連載第2回 パレスチナ難民の子どもたちの未来を切り開く「教育」
中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムをイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。
教育、それは何よりも大切な「難民の宝」
「あなたにとって、一番大切なものは何ですか?」と、ガザ地区にあるUNRWAの中学校で50人ほどの女子生徒を前に聞いてみました。「家族」、「友達」、「お母さん」などと並んで多かった答えは「教育」という答えでした。パレスチナ難民は70年という長い難民生活を過ごす中で、教育の大切さを強く認識しています。
実際、UNRWAの主要プログラム予算の6割近くは教育に使われています。677の小中学校で学ぶ約51万人のパレスチナ難民の子どもに対して基礎教育が無償で提供されており、3万人を超えるUNRWAのスタッフの約2万人が教師など教育に関わる職員です。難民の子どもたちにとって、よい教育を受け、よい成績を修めることは夢の実現への第一歩となっています。
僕らの学校は、借り上げの小さな建物
通常の学校ではなく、住居を借り上げて運営している学校をヨルダンで視察しました。これまでも幾度か学校を新たに建設するという話が出てはいるものの、「昨今の財政難では実現は無理でしょう」と、校長先生が肩を落とします。活発に動き回る年頃の小・中学生にはとても窮屈な環境です。廊下も狭く、もちろん運動場、理科の実験室などの特別教室はありません。
この学校は、午前は男子、午後は女子生徒の学校として2部制で運営され、校長や教師まで総替わりします。「こんな学習環境にも関わらず、生徒の成績は地域でも1、2位を争う優秀なものです。UNRWAの学校の生徒の識字率と教育達成度は、中東で最も高いレベルを誇っています」と、校長をはじめ先生たちも鼻が高いようです。これら先生たちの多くも難民で、生徒たちの高い学習意欲と成績を身近で支えています。
訪問時は男子生徒が学んでいました。事前に日本からの訪問者が来ると伝わっていたらしく、教室では日本について学んだことを発表していました。とにかく我こそはと、手を挙げて自分の意見を発表する意欲のある子どもが多く、圧倒されました。狭い教室は先生が動き回るスペースもなく、生徒もややもすれば隣の生徒の腕や手に触れあってしまうほどです。休憩時間には、唯一みんなで集まれるスペースで手足のストレッチです。実際、校庭もないのでこれが精一杯です。
緊張の高いキャンプ、そこでも子どもたちは学校に通う
子どもたちがいかに安心・安全に登下校できるか―それが大きな課題となっている学校がUNRWAの学校の中にはあります。ヨルダン川西岸地区の東エルサレムにあるシュファート難民キャンプの学校もその一つです。このキャンプは、西岸で最も人口密度の高いキャンプとして知られており、基本的なインフラの整備が追いつかず、キャンプ内の住環境はよくありません。あちこちで見かけた山積みのゴミからは異臭が発せられていました。
「西岸と東エルサレムとの分離壁(separation barriers)に隣接し、イスラエルの検問所もすぐ近くにあります。そのため、ちょっとしたトラブルから、緊張が一挙に高まることもあり、住民は不安を抱えながら暮らしています」と、この日、案内してくれた UNRWA パレスチナ西岸地区事務所の安藤 秀行(あんどう ひでゆき)オペレーションサポート・オフィサーから説明がありました。( UNRWA の仕事について安藤オフィサーの投稿があります。ぜひ、ご覧ください https://bit.ly/2HpQ3dH )
このように緊張が高く劣悪な住環境にある難民キャンプでこそ、子どもたちの「教育を受ける権利」は守られるべきです。なぜなら、自分の人生を切り開くには、よい教育を受け、よい成績を修めることが重要だと難民の子どもたちは信じているからです。
「天文学者になることが私の夢」― ガザのハディールさん
ハディール(12歳)さんは、天文学者になるという目標に向かってガザ地区のUNRWAの学校で学んでいます。彼女は、日本からの支援に感謝する UNRWA 制作のビデオ「To the People of Japan(日本の人々へ)」に出演しました。これは、ピエール・クレヘンビュール 国連パレスチナ難民救済事業機関( UNRWA )事務局長の今年1月末の訪日に合わせて公開されました。ガザ滞在中に私はハディールさんとお会いしました。
ガザは地中海沿いの長さ約 45km,幅6~10kmの細長い地区です。広さは東京23区の約3分の2ほどです。人口約190万人の約7割がパレスチナ難民で、そこには8つの難民キャンプがあり、これらキャンプ内の人口密度は世界で最も高いと言われています。約22万人のパレスチナ難民の子どもたちは、ハディールさんのように275校あるUNRWAの学校で学んでいます。
ガザでは2006年から現在まで大きな戦争が3度もありました。2007年以降、イスラエルから陸、空、海に対して課された封鎖によって、ガザは外部との人・物の出入りが厳しく制限され、日常品でさえ不足しています。住民は貧困にあえぎながら暮らしています。「生まれた時から厳しい状況のガザで暮らしているのは私だけではありません。でも、戦争で学校が崩壊した時はとても悲しくなりました」、とハディールさんは当時を振り返ります。「けれども、日本の支援のおかげで学校が建設され、私は天文学者になることをめざして再び学校で学んでいます」と、彼女の言葉には日本と日本の人々への感謝の気持ちがあふれていました。
「せめて学校では明るく元気に過ごして欲しい」― ラーウィア校長の願い
ガザは、私が今回訪ねた他のUNRWAの活動現場に比べて、生活のあらゆる面で厳しい状況にあります。教育の現場も例外ではありません。生きることで精一杯な難民たちにとって、学校とはどんなところなのでしょうか。ガザ地区南部のハンユニスにあるUNRWA 女子中学校の名物校長、ラーウィア校長から多くのことを学ぶことができました。彼女は1,000人に上る生徒のみならず父兄や地域からの尊敬も厚く、2015年11月、NGO「日本リザルツ」の企画で、東日本大震災で深刻な被害を受けた釜石との交流に参加するため、ガザの生徒を連れて日本を訪問しています。
ラーウィア校長が紹介してくれたのは3年前に始めた「私とあなたは姉妹」という相互扶助の取り組みです。クラスの生徒を二人組にし、学習面では授業で理解できなかったことを協力して解決します。さらに「姉妹」は生活面においても助け合います。相手の経済状況に応じて自宅から余った食料を持参したり、地域の協力を得て食料を調達したり、時には教師自身が貧困家庭の生徒に、簡単なサンドイッチが買えるようにと、ちょっとした資金援助も行っているそうです。
ガザでは貧しさで朝食をとらずに登校する生徒が少なくなく、ラーウィア校長の学校でも学習意欲が低く成績が振るわない生徒がいることが課題となっていました。「この地域では7割の家庭が貧困ラインを下回っています。『私とあなたは姉妹』によって、生徒の成績もこのように伸びてきました」、と校長は統計を示しながら説明します。そして生徒自身も次々にこの取り組みによって学習意欲が上がってきたことを嬉しそうに話してくれました。一年前まで成績最下位だったというある生徒は、「今は私の『姉妹』が勉強を見てくれます。おかげで朝食もとっています。今ではエンジニアを夢見るようになりました」と、停電が長時間続くガザの夜でも勉強ができるよう、自分なりに工夫した簡易的な発電機を見せてくれました。「ここでは貧しさのために家庭暴力など様々な問題を抱えている生徒が多いのです。せめて学校では明るく元気に過ごして欲しい」という校長の言葉がいつまでも耳に残りました。
子どもたちの未来を切り開く教育
同じパレスチナ難民でありながら、暮らす地域によって直面する課題は異なります。緊急事態にはないものの、恒常的に劣悪な環境で学ばざるをえないヨルダンの子どもたち。政治・経済・社会的に高度の緊張にさらされ、不安が多い中にも毎日学校に通う西岸地区の子どもたち。そして、人として生きるにはあまりにも厳しい状況にあるガザの子どもたち。私が出会ったパレスチナの子どもたちには共通点がありました。それはどんな状況にあろうとも、諦めないで学ぶ姿です。教育は彼らの未来を切り開くものと信じているからです。
UNRWAは今年に入って「 #尊厳を守る (#DignityIsPriceless )」キャンペーンを開始。パレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。
本シリーズの前回の記事はこちらから↓
【故郷を後にして70年。今も試練に直面し続けるパレスチナ難民と彼らを支援する国連機関UNRWA No.1】 - 国連広報センター ブログ