連載第6回・最終回 顔の見える支援で日本とパレスチナが繋がる
中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムをイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。
日本とパレスチナ、対等のパートナーとして信頼を醸成
今回の視察では、UNRWAの活動を中心に日本からのパレスチナ難民に対する大小様々な支援を見てきました。その中で気づいたのは、一つひとつの支援に魂を注ぐためには、対等なパートナーとして支援される側とする側が信頼を醸成していくことが必要だということです。日本は政府、JICA、市民団体など幅広いレベルで様々なアクターがパレスチナ支援を行っています。私がこの視察で感じる限り、関わる人々は支援される側の複雑な気持ちや深刻な状況を把握し、きめ細かくサポートしていました。欧米のようにパレスチナの歴史に直接的に関わった経験は日本にはありません。その意味でより中立的な立場でパレスチナに関わることができるのは支援するうえで利点になるかもしれません。しかし、現場を視察してみると、パレスチナ難民に日本からの支援が継続的に高く評価され、感謝されている所以は、支援に関わっている日本人がパレスチナ難民を対等のパートナーとして応援しているからだと気づきました。
ガザの空高く舞う凧、日本とパレスチナの連帯の象徴
日本とガザとの強い絆を表すものとして、毎年3月にガザ南部のハンユニスで行われている凧揚げがあります。これは、2011年の東日本大震災の犠牲者を追悼し、被災地の復興を祈るために、2012年から毎年3月にUNRWAが催しているものです。今年も3月13日、1,000人以上のUNRWAの学校に通う難民が参加しました。「今年になってガザの状況が悪化したので、凧揚げは中止かと心配していましたが、先生がこれまで通り実施すると言ったのでとっても嬉しかったです。地震と津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市の高校生ともインターネットで交流しました。釜石もガザもつらい経験をして、共通点があります。」と、凧揚げに参加したUNRWAアルアマル女子中学校のラマ・シャクーラさん(12歳)は日本と日本の人々への感謝や日本とガザの連帯について語っています。(UNRWA記事資料より)
ガザと釜石市との交流は、2015年11月、ハンユニスのUNRWA 女子中学校のラーウィア校長と3名の難民生徒が訪日した際に深まりました。(連載第2回 パレスチナ難民の子どもたちの未来を切り開く「教育」を参照)
幾度の戦闘を経験しているガザの人々は、地震と津波の甚大な被害を受けた日本の痛みがわかるのでしょう。これだけ多くの難民の子どもたちが参加する凧揚げが毎年実施されていることは、日本の人々にどれだけ知られているでしょうか。支援する側の日本がいつの間にかガザの人々に心配され、熱い声援を受けているのです。人と人との繋がりから生まれたこの絆は、今後も大切に育んでいかなければならないと強く感じました。
日本人職員の存在で、絆がより確かなものに
実は日本とガザの交流の実現には、一人の日本人女性の活躍がありました。当時、特定非営利活動法人 日本リザルツの職員として釜石でガザとの交流プロジェクトを担当しており、現在はUNRWAガザ事務所の渉外・プロジェクト調整官を務める吉田美紀さんです。彼女は2016年にJPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)としてUNRWAガザ事務所に入り、今年4月にJPO終了後、UNRWAの正規職員として引き続きガザで勤務しています。吉田調整官は、ガザに駐在する唯一の日本人です。今回の私のガザにおけるUNRWA活動の視察は、彼女の協力なしには実現しませんでした。
パレスチナ難民のアイデンティティーである伝統刺繍へのきめ細かい支援
パレスチナと聞くと度重なる紛争で悲惨なイメージがつきまといがちですが、難民女性たちは70年という長い間、自分たちの文化をさび付かせないよう大切に育んでいます。その一例がパレスチナ刺繍です。今回の旅でパレスチナ刺繍を用いて素晴らしい作品を生み出している難民女性に多く出会いました。そこには、支援を惜しまない日本人の存在がありました。
イエス・キリストの生誕地ベツレヘム近くにあるUNRWA のベイト・ジブリン キャンプでは、難民女性のグループが刺繍をして生活の一助にしています。特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター(JVC)は、ここでの刺繍プロジェクトに開始当初から関わっており、刺繍作品の数々はJVCを通して日本で販売されています。
「日本で販売するには高い質を維持することが求められます。大きなものは値段がはるので小物を多く作るよう提案しています。色やデザインも日本人の好みに合わせてもらっています。作り手もそれなりに自負があるので、素直に私たちのアドバイスを聞いてくれるとは限りません」と、JVCエルサレム事務所の現地代表を務める山村順子さんはプロジェクトの苦労を語ってくれました。山村さんは頻繁に難民キャンプの女性グループを訪ね、今では自分のお母さんほどの年齢になる女性たちを前に時には厳しいことも言える間柄になっています。「競争が激しい日本市場の現実を知ってもらうのは彼女たちのためになり、本当の支援となるはずです」、と対等のビジネスパートナーとして付き合うことの大切さを山村さんは強調しました。
難民女性に話を聞いてみると、刺繍は単に収入源になるだけではなく、孤立しがちな彼女たちに生きる楽しみを与えているようでした。「夫は女性グループの刺繍で出かけると言うと、安心して外出を認めてくれるのよ」、「刺繍のために集まっておしゃべりをしていると、日ごろのつらいことも忘れるわ」など、手も口も忙しく動きます。コミュニケーションを上手く用いて日頃のストレスを解消するのはどうやら万国共通の女性の技のようです。
UNRWA直営の唯一のパレスチナ刺繍センターがガザにあります。UNRWAの創設直後に設けられたスラーファ刺繍センターです。このセンターの製品を日本で販売しているのが、滋賀県在住の北村記世実(きたむら きよみ)さんです。19年前、ガザでボランティア活動に参加した北村さんは、パレスチナ伝統工芸品の通販を通してガザの難民女性の自立を支援しようと2013年にパレスチナ・アマルを起業しました。「『パレスチナのモノでおしゃれを楽しむ』をコンセプトに、ガザの女性たちが自信と尊厳をもって人生を輝かせることができればと願っています」と、今ではオンライン販売の他に全国各地で展示や販売会も積極的に行っています。
スラーファには18歳以上の約300名の難民女性が参加し、その中には夫を亡くした女性や離婚者も多く含まれます。「毎日6,7時間は刺繍に没頭して、嫌なことも忘れます。私の家族には失業した男性が何人もいて、ここでの儲けは貴重です。多くて一ヵ月200シェキル(6千円ほど)ですが、先月は薬代に使いました」と59歳のウンム・ファワードさんが作業の手を止めることなく話してくれました。「外に出る機会があまりない難民女性たちにとって、刺繍は自宅でできる数少ない収入を得る仕事です。加えて、パレスチナの伝統を守ることは自らのアイデンティティーを強め、自信を与えています」とスラーファの責任者、アイーシャさんが教えてくれました。
国際協力機構(JICA )による大規模な支援
冒頭にあるようにガザでは毎年凧揚げが行われ、日本からの支援に対する感謝と日本との連帯が表明されています。では具体的にどのような支援が行われているのでしょうか。ジェリコの農産加工団地(JAIP)というパレスチナ全体を支援するダイナミックなプロジェクトが動き出しています。これは日本政府の「平和と繁栄の回廊」構想の代表的な事業で、民間セクターの参加を促すことでパレスチナを含む地域の持続的な経済開発をめざしています。その実施を担っているのはJICAです。古代都市として有名であるジェリコは死海の近くに位置し、世界で最も標高の低い町です。4月でも40度を超える真夏日が続き、冬でもとても暖かく暮らしやすい場所です。2018年5月初め、パレスチナを訪問中の安倍晋三内閣総理大臣夫妻もJAIPを視察しました。
2018年5月現在、広大なJAIP の敷地内で37社のテナントが入居契約を済ませ,うち12社が稼働しています。若い女性起業家のラシャ・タリフィさんが、ナツメヤシから糖分を抽出してサプリメントにして販売するというビジネスのフル稼働に向けて準備をしていました。「乾燥したパレスチナの地でもよく育つナツメヤシに着目しました。昨今、ナツメヤシはミネラルが豊富で健康食品として人気があるんです」と、自らのビジネスの展望について熱く語りました。
日本の支援は農産加工品を通した経済支援にとどまらず、JAIPを含む周辺地域から出る汚水処理のための下水道施設の建設にも及んでいます。「ここ西岸地区には、下水道施設が整備されていないところが少なくありません。多くの家庭では、汚水は各家庭の敷地にある浸透槽に貯められます。しかし、未処理のまま地下に浸透するので地下水が汚染されてしまいます。ご存知のように降水量が極めて少ないジェリコにとって、地下水は私たちの生活に不可欠です。この下水道施設のおかげで地下水の汚染が抑えられます」と、この施設の主任オムラン・カラフさんが説明してくれました。
カラフさんの案内で下水施設の屋上に行くと、処理されてきれいになった水が農業用水に使われ、周辺にはこれまで存在していなかった緑が広がっていました。
難民の日々の生活の中でひときわ目立っているJICAの支援があります。JICAが2010年にパレスチナで導入したアラビア語版の母子手帳です。年間約9万人生まれるというパレスチナ難民の子どもたち全員に提供され、母子の健康管理に貢献しています。その後JICAはUNRWAと共にこの母子健康手帳の電子化に取り組み,2017年4月にスマートフォンのアプリケーションとしてヨルダンで配信が開始されました。この電子版母子手帳は、より多くのパレスチナ難民家庭の健康を守るため今後さらに普及される予定です。
日本からの支援、人と人の繋がりで質の高いものに
日本のパレスチナ難民への支援の礎には、長い年月を経て培ってきた人と人との信頼関係があります。言いにくいことでもはっきりと物申す方が受益者のためになる、ということを現場ではよく耳にしました。風通しの良い現場には、そのような人間関係が必ずあることに気づきました。 パレスチナ難民にとってこの70年という月日は、私たちの想像を絶する試練の日々であり、「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史だと言ってよいでしょう。パレスチナの政治的解決は楽観できるものではなく、昨今、ますます多くの難民たちが貧しさに苦しみ、数々の問題を抱えながら暮らしています。そんな難民に少しでも元気を与えるものとして、遠い日本からの人と人を繋ぐ支援があります。そのような質の高い心のこもった支援が、今後も引き続きパレスチナ難民のもとに届くことが期待されています。そのためには一人でも多くの日本の方々に現場の支援活動、支援を受ける難民たち、そして支援をし続ける日本の人々について知ってもらいたいと強く感じました。
こちらのビデオもご覧ください↓