(PADMAN/2018/インド)―第31回東京国際映画祭招待作品―
本作品の題名は『バットマン』ではない、『パッドマン』である。パッドとはいわゆる女性の生理用品である。これは、インドで実際に会った話で、2001年頃、一般に普及可能な女性の生理用品を開発した物語である。皆もそうであろうが、筆者も本作に対し当初は気恥ずかしい思いがあったが、そんなことはなく、愛情と努力がテーマで、最後、主人公は国連で演説もしてしまうという感動的な作品である。監督は、プロデューサーとして『マダム・イン・ ニューヨーク』などに携ってきたR・バールキである。
本作ではインドでは生理の時は、学校に行けない、汚い小屋に入れられる、不衛生な布を代用していたなど、不浄なものとされていた。しかも、当時、生理用用品は高級品で、1割ぐらいの方しか使えなかったという状況であった。
南インドの町工場で働く主人公ラクシュミ(アクシャイ・クマール)は、生理で苦しんでいる妻を助けたいとの強い愛情から生理用品の開発に注力する。「なぜ男性が」などという差別や試練を受け、どん底まで落ちていく。
彼は愛情に裏打ちされた不屈の精神をエネルギーとして、イノベーションともいえるアイディアで大量生産できる機械を開発した。それは、同時に多数の女性に働く機会も与えた。この彼の理解と行動力により、インドの女性は様々な意味で自立できたといわれている。
現在、インドは世界経済の中心となりつつある。我々が見ている世界地図は、赤道よりも、両極(北極・南極)に近づくと極端に大きくなるメルカトル図法が一般的である。そのため、間違った印象もあるが、インドの国土の広さはヨーロッパ全体と同じ広さである。人口についていうと、ヨーロッパは全体で約5憶人に対し、インドは約12憶人もいる。人口密度は日本並みだ。しかも、ヒンズー教が子沢山を良い事としているせいもあり人口増加率も高い。中国の人口は約13憶人であるが、一人っ子政策を採用している関係から人口増加率は低く、インドが人口世界一になるのも近いといわれている。
一般的に経済成長についていうと、いわゆる高度成長期はその国で一回しかない。日本では昭和40年代ぐらいがそこに当たった。風景でいうと、人、特に子供が多く、モノが足りておらず、収入が増加していき、一気にモノを買い揃えていく時がそれにあたる。現在のインドがそこにある。現在の日本のように成熟した国は、モノは行き渡っており、壊れないと新しいモノを買わないのではないか。さらに、インドは国の政策として、IT(情報技術)を教育の柱として産業を育成していった。今やインドといえば"IT"と認識している方も多いのではないか。
筆者は「企業戦略」も教えているが、その中で重要な概念が、先に出た「イノベーション」である。様々なものを結び付ける「新結合」ともいわれている。ちなみに、筆者が映画評論の手法として名付けたのが「シネマ経済学」である。経済学的な視点で映画を評論するというもので、映画と経済学のイノベーションともいえるのではないか。筆者は特許庁から「商標登録」も取得した。以前、著作権の面で嫌な経験をしたことがあったことも商標登録を取得した理由の一つである。
実際に、いわゆる「イノベーション」によって大きく企業を成長させた事例を分析してみると、"共通して"経営者に最も必要なモノとして挙げられるのは、主人公のような「不屈の精神」である。そのギリギリの努力が道を切り開くのである。それは"ヒラメキ"とも似たもので、常に考え悩んでいる状態から思い浮かぶものである。そういう状態の時に、脳が様々なものを求め考えているせいであると考えている。
本作は2時間 20分とやや長編で、久しぶりであったが「インターミッション(中休み)」が入る。シリアスな内容であるが、インド映画らしくコメディタッチの部分も多く、また踊りのシーンもある。
国連演説の彼の英語はお世辞にもうまくないが、聴衆には感動を与える。個人的には、うまくない英語で留学生に英語で講義をしている筆者自身の強い励ましにもなった(笑)。