朝日新聞デジタルによると、小山さんは市内のカリタス小学校に子どもが通っていたという。小山さんの子どもにはけがはなかった。
■外務省に約10人いるミャンマー語専門家の1人
外務省の公式サイトに2014年に掲載された世界一周「何でもレポート」によると、小山さんは外務省に約10人いるミャンマー語専門家の1人だった。
外国語大学に入学時、アジアに関心があり、一般に知られていない珍しい言語を学びたいと思っていた小山さんはミャンマー語を専攻科目に選んだ。
大学在学中に初めてミャンマーを訪問して、ミャンマーの魅力を感じた。大学で学んだことを活かせる仕事に就きたいと2004年に外務省に入省。研修語は希望通りミャンマー語を指定された。
ミャンマーで2005年から2年間の語学研修を経て、3年間を在ミャンマー日本大使館で勤務した。大使館では政務分野を担当する傍ら、要人訪問の際には通訳業務もこなした。
帰国後は大臣官房総務課を経て、南部アジア部南東アジア第一課に勤務。ミャンマー語の通訳担当官(大臣クラス以上の通訳が期待されている職員を認定する制度)に。
その後、国内外の報道機関への情報発信や、文化の国際交流の企画などを担う広報文化外交戦略課に所属していた。
■アウン・サン・スー・チーさんの「お菓子担当」に任命
2013年4月、ミャンマーで民主化運動の指導者だったアウン・サン・スー・チーさんが訪日した際には、小山さんは担当官として京都日程に同行した。
スー・チーさんが京都市内でプライベートの買い物をするため、急きょ買い物の通訳を務めることになった。スー・チーさんの好みに合うようなお菓子を一緒に探した小山さんは、その功績が認められたのか、その後の日程でも「お菓子担当」に任命され、大活躍だったという。
2014年版の外務省の「専門職員採用案内」では顔写真付きで紹介。以下のように抱負を述べていた。
「日本の国益のために働きながら、ときにはミャンマーの立場に立って、日本がミャンマーを正しく理解できるようなイベントなど、両国の交流が進むアイデアを出していきたいと考えています」