金曜日の夜。
仕事帰りに、神保町の書店まで一駅分歩く。
週末に読む本はどれにしようか。
店内を彷徨いながらただ書棚を眺める時間。
都内で会社員として働いていた頃は、大きなストレスはなかったものの、このままこの会社で働きつづけるのだろうか、これがやりたかったことなのだろうかという迷いを抱えていた。仕事に楽しさややりがいを見出していたし、人間関係も良好だった。けれど...。
いつから通うようになったのか、そのきっかけも思い出せない。
神保町にある東京堂書店は、ぼくにとって「本屋」の原体験だ。
見たこともない本が整然と並んでいた。静かな佇まいの本。それらを眺めていると、この世界のことなんてほとんど何も知らないんだなと思った。不思議と焦りはなく、何も知らないということの清々しささえ覚えた。
決断できなくても、期待に応えられなくても、受け容れてもらえる場所。
たくさんの世界、たくさんの価値観が並ぶ場所。
本屋は、大げさにいえばぼくにとって「救い」のような存在だった。
こういう場所のためになら、一生を捧げて働けるのではないか。
仰々しいので、人から尋ねられれば「趣味が高じて」と一言で済ませているけれど。
会社を辞め、青山ブックセンター本店で2年半働き、その後地元である茨城を中心に書店チェーンを展開するブックエースに転職した。現在TSUTAYAララガーデンつくばに配属されて5か月が経つ。
「本当はもっと売りたい本、教えてください」。
そう聞かれて真っ先に浮かんだ本がある。
オーウェン・ジョーンズ『チャヴ 弱者を敵視する社会』(海と月社)だ。
左派論客である著者が、イギリスの労働者階級がいかに蔑視され、貶められているのかを暴いたノンフィクション。「チャヴ」とは、労働者階級を指す蔑称で、そのイメージは「暴力、怠惰、十代での妊娠、人種差別、アルコール依存など」酷いものばかりだ。
サッチャリズム、ニュー・レイバーの政策によって破壊された一次産業とコミュニティ。政治家とメディアが結託して行う差別的なイメージ操作。「いまやわれわれはみな中流階級」であるという欺瞞...。
筆者はこう指摘する。
ニュー・レイバーの政治家たちは、労働者階級の子供の学業成績がふるわないことや、貧乏が世代から世代へと受け継がれていることの理由にも、たびたび「向上心の乏しさ」をあげた。
p.115
結局、メリトクラシーは、「頂点に立っている者はそれだけの価値があるから」とか、「底辺にいる者はたんに才能が足りず、その地位がふさわしいから」といった正当化に使われる。
p.122
メリトクラシーとは「能力主義」のことだ。聞こえはいいし、馴染みもある。民間企業で働く人の多くは「成果主義」という言葉に好意的であるはずだ。だが、ここでは社会問題をあくまで「個人」の問題にすり替えるための口実にされてしまっている。
BNP(極右政党のイギリス国民党/著者補足)は不平等を人種問題にすり替えて焦点を当て、多文化主義を悪用した。つまり、白人労働者階級を、迫害された民族的マイノリティと見なしてプロパガンダに用い、反人種差別的な外見を整えたのだ。
p.289
2000年代には、労働者階級を代表しているかのような体裁を整えた極右政党、イギリス国民党(BNP)が支持されるが、その実BNPの経済政策は労働者階級に資するわけではない。その上、労働者階級には「移民嫌悪」というレッテルまで貼られてしまう。
つまり、あらゆる側面で問題がすり替えられ、隠され、労働者階級が敵視されている。
富裕層による脱税という「何百億もの略奪」は見過ごされているのにだ。
自分の理解が表面的なものであったことに衝撃を受けた。
ブレグジットもニュースは見ていたものの、「右傾化」「移民嫌悪」の表れだと単純に考えていた。だが、根底には「雇用」という経済問題が横たわっている。ないものにされた「階級」は厳然としてそこにあるのだ。それを構造的に支える「エスタブリッシュメント」層とともに。「向上心」とか「自己責任」といった強者の論理が虚しく響く。
最後に著者は述べる。
新しい階級政治は、いまやイギリスだけの現象ではない。億万長者のビジネスエリートたちがグローバル化したのであれば、労働者階級の人々もあとに続かなければならない。
p.330
なかなか世界中の労働者と連携して闘うというイメージは持ちづらいが、問題は国家を超えて関係し合っている。オーウェン・ジョーンズがあぶり出した「弱者を敵視する社会」とその構造だって他人事ではないはずだ。
何が起きているのかを知ること。できることをひとつひとつ積み上げていくこと。
『チャヴ』を読むと、暗澹たる気持ちになると同時に、腹の底から力が湧いてくる。
この世界の真実は往々にして見ることができない。あるいは、巧妙に隠されてしまっている。本は、それらの「見えているはずなのに、見えなくなってしまっているものを、人の営みによって見えるようにするもの」だと思う。『チャヴ』を読んでそのことを体感いただけたら書店員冥利に尽きる。
連載コラム:本屋さんの「推し本」
本屋さんが好き。
便利なネット書店もいいけれど、本がズラリと並ぶ、あの空間が大好き。
そんな人のために、本好きによる、本好きのための、連載をはじめました。
誰よりも本を熟知している本屋さんが、こっそり胸の内に温めている「コレ!」という一冊を紹介してもらう連載です。
あなたも「#推し本」「#推し本を言いたい」でオススメの本を教えてください。
推し本を紹介するコラムもお待ちしています!宛先:book@huffingtonpost.jp
今週紹介した本
オーウェン・ジョーンズ『チャヴ 弱者を敵視する社会』(海と月社)
※咋年12月にはオーウェン・ジョーンズの最新刊『エスタブリッシュメント』(海と月社)も刊行。『チャヴ』とあわせて。
今週の「本屋さん」
益子陽介(ましこ・ようすけさん)さん/TSUTAYA LALAガーデンつくば(茨城県つくば市)
どんな本屋さん?
「TSUTAYA LALAガーデンつくば」は、ひたちなか市にあるコーヒー専門店「SAZA COFFEE」との県内初のコラボとなる、BOOK&カフェスタイルの書店です。お子様連れのファミリー層のお客さまが多いため、休日はお店の前にある広場で書店イベントなども開催。広い店内には「お店に置いていない本はないのでは!?」と思うほど、豊富なジャンルの書籍が並んでいます。
ファミリー層に特化したお店なので、児童書と教育書コーナーは広く、お子様が伸び伸びと遊びながら気になった絵本が読めます。
益子さんはビジネス書が大好きということで、「ビジネス書コーナーに革新を!」と思わず手に取ってしまうような素敵な棚づくりを日々実践中、見どころの1つです。
(企画協力:ディスカヴァー・トゥエンティワン 編集:ハフポスト日本版)