“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響 ~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察

2年もの時間と膨大なコストをかけて、有罪に追い込もうとしている検察のどこに「正義」があるのだろうか。
時事通信社

大阪地検特捜部が、国立循環器病研究センター(以下、「国循」)の元医療情報部長の桑田成規氏を逮捕・起訴した「国循事件」、今年3月16日に大阪地裁で言い渡された有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)に対して桑田氏が控訴し、大阪高裁での控訴審に舞台が移った。この事件の弁護を7月に受任、主任弁護人として控訴趣意書作成に取り組んできたが、8月13日、大阪高裁に控訴趣意書を提出した。

「国循官製談合事件」とも言われているが、この事件で問題になったのは「談合」ではない。国循の情報システムの運用保守業務の入札に関して、従来から業務を独占してきたN社と新規参入業者のD社とが争いとなった際、発注者側の「情報提供」や「仕様書の作成」が、D社に有利にN社等を不利にするものだとして、いわゆる官製談合等防止法(正確には、「入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律」)の「入札等の公正を害すべき行為」に該当するとされた事件だ。

桑田氏自身とその支援者たちが「冤罪」であることを切々と訴えてきた【国循サザン事件―0.1%の真実―】と題するブログ等でも、一審判決後、久々のブログ更新で、控訴趣意書提出を報告している。

もっとも、桑田氏の事件の「冤罪」は、事件と無関係な人間が犯人とされて巻き込まれるという一般的な「冤罪」とは全く構図が違う。高度な技術を要する情報システムをめぐる発注の中で起きた事件であるだけに、「冤罪」の構造は複雑だ。

桑田氏自身もブログ等で発信し続けてきた事件の構図を大まかに振り返ってみよう。

医療情報学の専門家として大規模医療機関で活躍していた桑田氏

桑田氏は、医療情報学の専門家だ。2003年から2011年にかけて、鳥取大学医学部講師兼医療情報部副部長として勤務し、電子カルテシステムの開発管理保守で実績を挙げた。その後、同年3月に大阪大学の准教授となったが、上司の教授から、当時、電子カルテの導入が難航していた国循の医療情報部長への就任を打診された。大阪大学に戻ったばかりで、しばらくは研究のキャリアを積みたいと考えていた桑田氏は逡巡したが、国循での電子カルテの導入は自分でなければできない、との使命感から、就任を受諾し、2011年9月から、国循での病院情報システムや、職員間のネットワークの運用責任者の業務に就いた。

就任直後から、桑田氏は、病院情報システムへの電子カルテの導入に精力的に取り組み、2012年1月には、その構築を成し遂げた。しかも、桑田氏が導入した電子カルテのシステムは、病院で電子カルテに蓄積された診療データを、セキュリティを保ちながら研究所の臨床研究にも利用できるようするなど画期的なもので、仮想化システムを活用した「4階層ネットワーク」の構築は、厚労省の独立行政法人評価委員会において高い評価を受けた。

桑田氏は、国循全体の職員間のネットワークシステムの運用にも関わった。桑田氏が医療情報部長に就任するまで、国循の情報システムに関する業務はN社がほぼ独占し、高い価格で、非効率な業務が行われていた。情報システムに関する発注では、業務の内容を熟知している既存業者が圧倒的に優位な立場にあるので、競争条件を対等にし、新規参入を可能にするためには、新規参入業者への情報開示と、発注条件に対する業者側からの意見・質問への応答を義務付ける「意見招請手続」などが重要だったが、国循では、それらが行われておらず、情報ネットワークを担当していた桑田氏の前任者や、発注手続を担当する契約係も、N社の独占による「ぬるま湯」的状態に甘んじていた。

桑田氏の着任以降は、桑田氏が、鳥取大学時代から、情報システム業者として高く評価していたD社が、国循の情報システム業務に参入し、N社の独占の牙城を崩していった。その結果、業務は大幅に効率化され、費用も大きく低減された。

大阪地検特捜部の強制捜査着手

こうして、国循にとって懸案であった電子カルテが導入され、情報システムをめぐる状況が劇的に改善されるに至ったのだが、それを根底から否定する動きとなったのが、2014年2月の大阪地検特捜部の国循への強制捜査着手だった。その容疑事実は、「桑田氏と契約係が共謀してD社に予定価格を漏洩した」という、いわゆる官製談合防止法違反、公契約関係競売入札妨害罪だった。

"入札価格の漏洩の競売入札妨害罪を「入り口事件」にして強制捜査に着手し、贈収賄事件の立件を狙う"、というのは、昔から、警察の捜査2課等が、土建屋談合・贈収賄事件で用いてきた「使い古された捜査手法」だった。それを、高度の技術を要する複雑な大規模医療機関の情報システムの問題で使おうとしたことに、検察捜査の根本的な誤りがあった。

ここで前提とされていたのは、①桑田氏とD社との「癒着」、②桑田氏が国循の情報システムの発注においてD社を不当に有利に取り扱った「不正」の2つだった。

特捜部がこのような狙いで捜査に着手することとなった背景に、桑田氏が国循医療情報部長に就任して以降、国循からの大型の情報システム受注を次々と失うことになったN社やその関係業者側の不満・反発があった。N社は、平成24年度にD社にネットワーク関連業務の受注を奪われた後、25年度の入札で、関係業者S社に参加を打診し、それを受けたS社は原価を無視した過度な安値で落札して強引に受注を図ったものの(いわゆるダンピング行為)、国循が「履行能力調査」を行ったために受注断念に追い込まれていた。実際に、一審公判の中の証人尋問で、S社の担当社員が、社内で、「こいつら(D社)、国循のK部長を潰さないとダメなのではないか」というメールのやり取りをしたり、早くから特捜部に協力したりしていたことが明らかになっている。

特捜捜査の目論見は外れ、官製談合防止法での強制捜査の「暴挙」へ

その後の捜査で、特捜部は、①の「癒着」を徹底して炙り出そうと、桑田氏とD社との金銭的関係や飲食等を徹底的に洗ったが、完全に「的外れ」だった。桑田氏とD社の関係は、桑田氏がD社を「情報システム業者として技術的にもレベルが高く、誠実に仕事をする業者」と評価し、国循の業務でもD社を活用した、ということだけであり、それ以上でも以下でもなかった。桑田氏とD社との間には、「癒着関係」など全くなかった。

しかし、②の「不正」の方は単純ではなかった。官製談合防止法は、2000年以降の談合批判の高まりを受けて、2002年に議員立法で制定されたもので、もともと刑事罰則を設けていなかったが、旧日本道路公団等、相次ぐ官製談合事件を受けて、2006年に再び議員立法により改正され、発注者側の公務員等に対する罰則が盛り込まれたものだった。

「反公共工事」を旗印にしていた当時の民主党が中心となった議員立法だったこともあり、発注者側の職員に対して、徹底して「談合関与」の排除を求めるものだった。「入札等の公正を害すべき行為」という曖昧な要件で、いきなり公務員側に重い罰則が適用されることになったため、談合とは関係ない行為までもが、特定の業者との「癒着」とは無関係に、広範囲に処罰の対象とされることになった。通常は、そういう行為は、行政内部での措置や人事上の対応で済ます程度のものであり、警察送致や告発で刑事事件にされ、間違って刑事事件として取り上げられても、「起訴猶予」で終わるのが当然であった。しかし、それを敢えて刑事立件して起訴するという「暴挙」も、起訴権限を持つ検察がやろうと思えばできないことではない。

国循への強制捜査は、大々的に報じられていたこともあって、特捜部は、後には引けなかったのであろう、国循の情報システムの発注に関して、桑田氏がD社に情報提供した行為や、仕様書案への条項の盛り込みなどを、官製談合防止法に違反する「入札等の公正を害する行為」として無理矢理立件し、桑田氏とD社の社長を逮捕・起訴したのである。

桑田氏が、情報システムを劇的に改善させ、大きな成果を挙げた国循の内部者の立場や感情も、特捜部の無理筋の捜査の助けとなった。桑田氏の前任者にとっては、桑田氏が国循で大きな成果を挙げたことは、それまでの自らの仕事が否定されたようなもので、決して快く思ってはいなかった。それどころか、N社の独占に手を貸していた自分の仕事を「正当化」するためには、検察が、桑田氏のやり方を「D社を有利にし、N社を不当に不利にするものだ」と見てくれることは、望むところだったはずだ。国際協定で義務づけられた意見招請手続も行わず、「ぬるま湯」的な発注を放置していた契約係も、桑田氏が就任した以降のことが「当然のこと」であれば、自分達がやっていたことが「不公正」となってしまう。契約係にも、検察捜査に最大限協力する動機があった。

桑田氏は、起訴事実をすべて争い、全面無罪を主張した。公判では、35回の期日、延べ14人の証人尋問、被告人質問10回、審理は2年近くに及んだ。

「最大の攻撃防禦ライン」がもたらしたもの

こうした中、検察側・弁護側の最大の攻撃防禦ラインとなったのが、「桑田氏が、D社に送付した体制表について、どのような認識を持っていたのか」という点だった。実際に桑田氏がD社に送付した資料は、N社が平成24年度入札の競争参加資格審査のために提出していた体制表だったことは客観的事実だった。それについて、桑田氏は、「その年度の体制表(現行体制表)だと思ってD社側に送ったもので、N社が入札のために提出した資料とは知らなかった」と一貫して供述していた。

この点が、桑田氏の行為について犯罪の成否に関する最大の争点とされ、攻撃防御の主戦場となった。しかし、犯罪の成否と、その犯罪が、刑事事件として処罰すべきものなのかということとは異なる。特に、官製談合防止法については、上記のような制定経緯から、入札等をめぐる不公正な行為を防止するため発注者側の行為が広く対象とされている。通常は刑事処罰の対象には全くなり得ない行為であっても、形式上は「入札等の公正を害すべき行為」に該当する余地がある。

桑田氏がD社に送付した目的は、「その時点で業務を行っている業者だけが知り得る情報を、新規参入業者にも提供することで、入札参加者間の公平で対等な競争条件を確保すること」だった。それによって、入札での競争機能が高まると考えたからだった。それは、N社の独占の下、競争が機能せず、非効率な情報システムが放置されてきた状況を抜本的に変えるためだった。D社の利益を図るためではないことは明らかだった。

しかし、そのような目的であっても、入札参加者の1社への情報提供となると、形式上、違反・犯罪に当たる可能性がある。

もし、送付の際、体制表が現行のものだと思っていたとしても、契約担当者を通じて正規の手続で情報提供したものではない以上、D社への情報提供は、それが入札のために提出した資料であろうと、前年度の体制表であろうと、官製談合防止法違反が禁ずる「入札等の公正を害すべき行為」に該当する可能性は、ある。

そういう意味では、業務体制表をD社に送った際に、「N社が入札のために提出した資料」との認識が桑田氏にあったのかどうかは、本来、重要な争点ではなかった。

しかし、「N社が入札のために提出した資料のD社への送付」であることを犯罪成立の根拠として強調する検察と、それを真っ向から否定する桑田氏や弁護側という対立構図のために、一審公判では、その点が検察官と弁護側との激しい攻防ラインとなった。

それは、検察にとっては好都合な展開だった。もともと、「認識の立証」というのは、刑事事件の立証の中で、検察が得意技にしているものだ。国循の契約担当者などの証言で、現行体制表との認識で送付したとの桑田氏の供述を否定することは、困難ではなかった。

桑田氏とD社との「癒着」や、その利益を図ったことなど、本来、刑事処罰にすべき理由を何一つ立証できなかった検察は、体制表についての「認識」の立証だけは、優位に立つことができた。

結局、一審判決では、「N社が入札のために提出した資料ではなく現行体制表だと思ってD社側に送った」という桑田氏の供述の信用性が否定され、それに伴って、「D社の利益を図ったものではない」という桑田氏の供述全体も否定され、他の公訴事実についても、「D社の利益に、他の業者に不利になるようにした」との認定から「ドミノ倒し」的に、全面有罪の判断につながった。

一審判決は、弁護側の主張のほとんどを退け、公訴事実すべてについて有罪。判決文は、検察論告の要約に等しいものだった

以上が、大阪地検特捜部の捜査着手から、一審有罪判決に至るまでの桑田氏の「冤罪」の経緯だ。

桑田氏の行為のどこに「犯罪性」があるのか

そもそも、桑田氏を捜査の対象とし、逮捕・起訴して、2年もの時間と膨大なコストをかけて、有罪に追い込もうとしている検察のどこに「正義」があるのだろうか。

桑田氏は、極めて有能な医療情報学の専門家である。その能力を最大限に活かし、鳥取大学医学部での電子カルテシステム構築で大きな成果を挙げ、電子カルテ導入が難航していた国循の医療情報部長として、めざましい成果を挙げた。まさに、大規模医療機関において多くの患者の生命と健康のために、医療情報システムが確実に機能するよう最大限の努力を行い、成果を挙げてきた。その過程で、入札手続に関して、仮に、官製談合防止法への「形式的違反」があったとしても、それは、D社という特定の業者の利益を図ったものではなく、D社からの見返りを期待したものでもない。単に、独占受注に胡坐をかいていたN社側の「不当な利益」を失わせただけだ。それが、果たして刑事事件として取り上げるべき問題なのか。世の中の様々な法令違反の行為の中から、健全な社会常識に基づいて、「処罰すべき行為」を刑事事件として取り上げて事件化するのが、検察、とりわけ、特捜部の役割ではないのか。

一審論告で、検察官は、単に「被告人桑田が有罪だ」と主張するだけで、その悪情状を何一つ指摘できていなかった。

それどころか、「被告人桑田の動機」について、以下のように述べて、「懲役2年」を求刑した。

D社の能力を評価していた被告人桑田において、優秀な業者が落札できるようにして、国循の情報システムをより良いものにしたいという動機に出たものであったとしても、それが各犯行を正当化する理由にならないことは当然である。

しかし、一体何が「当然」なのであろうか。桑田氏の行為は単なる「手続上の問題」に過ぎない。形式上法令違反に当たるとしても、検察官の処分としては、「起訴猶予」が当然だ。

一審判決は、その検察官の主張を「丸呑み」し、執行猶予付きとは言え、「懲役2年」という、全く理解し難い量刑の判決を言い渡したのだ。

検察は不祥事の反省も教訓もすべて捨て去った

国循事件は、かつて2010年に無罪判決が出され、証拠改ざん問題も発覚して厳しい社会的批判を浴びた「村木事件」以降に、大阪地検特捜部が初めて手掛けた「本格的検察独自捜査」だった。しかし、その事件で、検察が行ったことの不当性、社会を害する程度は、「村木事件」にも匹敵する、というのが控訴趣意書の作成を終えた私の率直な印象だ。

村木事件は、「証拠」の問題であり、「事実」の問題だった。そこに、大阪地検特捜部の重大な「見込み違い」があり、不当な捜査の末、証拠改ざんという問題まで起きた。一方、国循事件の問題は、贈収賄事件の立件を目論み、それに失敗した特捜部が、健全な常識を備えていれば、凡そ刑事事件にすべきではないとわかるはずの問題を、無理矢理刑事事件に仕立て上げたことにある。不当な起訴に対して組織的なチェックが働かなったばかりでなく、2年にもわたる審理に膨大なコストをかけた挙句、懲役2年を求刑し、一審裁判所が、それに盲従した。そもそも、検察組織内部で、「何を刑事事件にすべきか」、「何が悪いのか」について最低限の常識が働いていれば、このようなことは起こり得なかった

一方で、東京地検特捜部も、「リニア談合事件」で、日本の社会資本整備に壊滅的打撃を与えていることは当ブログでも取り上げてきた(【リニア談合捜査「特捜・関東軍の暴走」が止まらない】など)。両特捜部に共通するのは、検察改革で強調された「引き返す勇気」など屁とも思っていないということである。

奇しくも、国循事件の控訴趣意書の作成が佳境を迎えている頃、法務・検察の姿勢を示す「ある事象」に気づいた。

取調べの録音・録画の証拠としての取扱いが重要な争点となった「栃木小1女児殺害事件」の控訴審判決が8月3日東京高裁で言い渡された。その際、「検察の在り方検討会議」で、取調べの録音録画を直接証拠として用いることについての議論をしたことを思い出した。「検察の在り方検討会議」は、2010年、大阪地検不祥事からの信頼回復のため、法務大臣の下に設置された会議だった。委員として会議に加わっていた私は、「取調べの可視化は不当な取調べ抑止のための手段である。録音・録画を直接証拠として用いることは、本来、公判廷の被告人質問で行うべきことを、密室の取調べで、弁護人の立会なしで行うことになりかねない。」という意見を述べた。最近、いくつかの事件で、録音・録画の直接証拠化の是非が重要な問題となっているのだ。

当時の議論の内容を確認しようと、法務省のホームページを見たところ、1年ほど前には、議事録、資料全てが掲載されていた「検察の在り方検討会議」の頁から、最終提言以外が全て削除されていた。法務省での他の会議については、全て議事録・資料が掲載されているのに。

法務・検察当局は、大阪地検特捜部をめぐる不祥事も、それを受けて法務大臣の下に設置された「検察の在り方検討会議」も、全て「なかったことにしたい」ということなのであろう。

結局、特捜検察は何一つ変わっていない。一連の検察不祥事の反省・教訓も、「引き返す勇気」を強調した「検察改革」も、全て捨て去り、「おぞましい権力機関」として蘇ろうとしている特捜検察、それが、社会にとって、どれ程危険なことかを痛感させられるのが、今回の「国循事件」だ。

一審で証言台に立った、京都大学医学部附属病院医療情報企画部長の黒田知宏教授は、今回の事件について、

普通にやってそれが罪に問われるというのであれば、この業界で働く方は、本当にいなくなる可能性がある。

と述べている。

今回の国循事件のような「不正義」がまかり通るのであれば、情報システムの世界のみならず、それを基盤として営まれている社会全体にも、重大かつ深刻な悪影響を及ぼすことになりかねない。

健全な常識からは考えられない検察官の不当な起訴に対して、一審大阪地裁では行わなかった"正当な司法判断"が、大阪高裁の控訴審で下されることを期待し、桑田氏の主任弁護人としての活動を続けていきたい。

(2018年8月16日郷原信郎が斬るより転載)

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