西日本を中心とした豪雨の影響で、大規模な被害が出ていた岡山県倉敷市。
その倉敷市で、国内でも有数の観光地として知られる美観地区には、モネやセザンヌ、アマン=ジャンなどが描いた西洋美術の有名作品を収容している大原美術館がある。
以前来館したという人が、この美術館は「高梁川の氾濫に備えて美術品を保管していた」と7月7日にツイート。美術館が「本当の話」と認め、「危機管理はかくあるべき」などと注目を集めている。
Twitter上では「世界の宝、リスク管理が凄いですね」「気になっていた。心から安堵」などのコメントが続いた。
美術館としては「当たり前の備え」
大原美術館によると、美術品を保管する分館の収蔵庫は2007年に建てられた。
収蔵庫は周辺の下水道の雨水排除能力や、敷地内の高低差をもとに設計。また、倉敷市のハザードマップを参考に、岡山県内西部を横断するように流れる一級河川の高梁(たかはし)川が氾濫して、2mの冠水があった場合を想定している。
周辺道路が冠水するなどの被害にあった際は、防水壁が上がるようになっており、美術品を保管している心臓部には水が入らないようになっている。
担当者は「この地区は鉄砲水が来る地域ではないので、浸水被害がありそうな場合は、地下展示室などの美術品を収蔵庫に入れるなどして対応します。台風などの被害に備えて『2m以上の場所に絵画を飾っている』というわけではありません」と話す。
また「昭和5年の建設当時は、こうした洪水被害についてはあまり考えられていなかったと思われますが、防災対策は日進月歩で進んでいます。日本国内では、台風などの水害は絶対に考えなくてはいけないことで、2007年の収蔵庫は水害対策を施していました」という。
「それでも、仮想敵である災害は予想を上回ることもあり、現在では、美術館を建てる際は災害に備えて保管方法を考えるのは当たり前のこと」と話す。
このような対策は大原美術館だけではなく、全国で共通の常識だという。
また、台風の場合は、交通機関がストップする前に館内の来館者に向けて告知をして、早期閉館をすることがある。
しかし、今回の場合は岡山県内でほとんどの交通機関が使えなくなり、美観地区に来ていた宿泊客が帰れない状態だったため、休館や早期閉館ではなく、通常どおりの時間で開館。ただ、来られない職員がいるので、限られた人数で運営するため7月7日は本館のみ、8日は本館と工芸・東洋館のみで開館した。
現在のところ、一部老朽化している施設で雨漏りなどがあるというが、浸水被害はなく、美術品に影響は出ていないという。
美観地区は浸水の被害なし
岡山県内を流れる高梁川水系支流の小田川では、7日午前6時50分ごろ、倉敷市真備町にある堤防が100mにわたり決壊していることが確認された。国土交通省によると、これらの影響で、真備町地区では地区の4分の1を超える約1200ヘクタールが浸水した。
だが大原美術館などがある美観地区は、被害が深刻な真備町地区から9kmほど離れており、倉敷市によると、7月8日午前10時半の段階で、浸水の被害報告はなく、大雨の被害による店舗の休業もないという。
大原美術館とは
大原美術館は、1930年(昭和5年)に、倉敷を基盤に紡績業などで幅広く活躍した事業家の大原孫三郎が、友人だった画家・児島虎次郎の死を悼み、設立した日本最初の西洋美術中心の私立美術館。
大原家の支援を受けた児島虎次郎は、再三ヨーロッパに渡り、絵画を学ぶとともに、西洋美術の収集も手掛けた。 フランスを代表する画家であったアマン=ジャンの「髪」や、当時、すでに巨匠と認められていたモネ、マティスらを訪ね、モネからは「睡蓮」を、マティスからは「マティス嬢の肖像」を購入するなどした。
だが虎次郎は、1929(昭和4)年、47歳で亡くなってしまう。死を悲しんだ孫三郎はこれを機に、虎次郎が収集した作品、そして虎次郎が画家として描いた作品を公開するために、美術館の建設を決意したという。
1930年に本館ができてから、江戸時代に大原家の米蔵だった建物を、1961年に陶器館(現工芸館)、1963年に棟方志功室と芹沢銈介室、1970年に東洋館と順番に改装し開館。また、1961年には分館を開館し、2007年に分館の中に収蔵庫を作った。
また、工芸・東洋館の入口脇で咲いている黄色やピンクの睡蓮は、交流のあったモネの自宅の庭にあった睡蓮が株分けされてやってきたものという。