昨年末に『続・百年の愚行』を上梓した。2002年に刊行した『百年の愚行』の続編で、「百年」は20世紀を、「愚行」は人類が犯した戦争、差別、迫害、環境破壊、経済格差の拡大などを指す。世紀が改まったのに「続」を冠して同じ題名の書物を出すのは本来おかしい。だが、同じ原因に根差した愚行が止む気配が一向にないどころか、ますますひどい状況になってきたのだから仕方がない。もちろん本を1〜2冊出したところで、世界の状況が変わるわけはない。しかし、愚行について知っているのと知らないのとでは、私たちの行動はまったく異なるだろう。まずは世界の現状を知る。すべてはそこから始まる。
先週末からは『百年の愚行展』を開催している(9月27日まで@アーツ千代田3331)。展覧会に展示しているものは3種あって、ひとつは世界各国の古新聞を台紙として用いた『百年の愚行』オリジナル複写版の原稿(台紙付き写真)76点。オリジナル複写版は判型が大きく、したがって販売価格も高く、実際に目にした方は少ないと思う。いまやオールドメディアと呼ばれるようになった新聞と、体を張って事件を取材したジャーナリストたちへの敬意を込めた、私たちの思いを感じ取ってほしい。ふたつ目は『続・百年の愚行』に掲載した写真50点。こちらは現在のメディアの主流であるテレビモニターで見せる。印刷とは異なり、透過光メディアで見る写真はとても鮮やかだ。
3つ目は書籍と直接の関係はない。世界各地のプロや市民カメラマンをネットワークし、彼らが投稿した写真を即座に公開するニュースメディア「Demotix」の協力を得て行う、最新のニュース映像のプロジェクションだ。取り上げられるのは愚行ばかりではないが、広い世界が刻々と変化していることがリアルに感じられるだろう。歴史は止まっていない。
歴史は決して止まらないが、書物は印刷すれば、より正確に言えば校了すれば、増刷時に多少の修正は加えられるとはいえ、原理的に止まってしまう。それが、2冊の書物を作って痛感したことだった。紙に染み込んだインクは動かしようがない。現在進行形の愚行を進行形のままに捉えることはテレビやラジオやウェブにしかできない。そこで、『続・百年の愚行』ではFacebookサイトを開設した。少しではあるが、海外メディアの報道記事をセレクトし、もとの記事にリンクを張る形で紹介している。もちろんこれはリアルタイムではない。リンクを張った元記事でさえ、報道なのだからリアルタイムではない。
「Demotix」も完全にリアルタイムではない。写真家が撮影現場からすぐに投稿しない場合もあるだろうし、ひとつのテーマを長く追っている写真家だと、昔撮影した写真が数年後にアップされることもある。だが、最新映像を「Demotix」のサーバーから選んで、展覧会の会場に設置したプロジェクターに吐き出すプログラムをプログラマーに書いてもらい、実際に映像が映し出されたとき、スタッフの誰もが新鮮な感動を覚えた。旗を掲げたデモ隊が映っている。殺気立った武装集団の写真もある。ベルルスコーニが取り巻きとおぼしき連中と談笑している。なぜか下着姿の美女が数人、なまめかしくポーズを取っている。誰だかわからない歌手のコンサートシーンもある......。
写真はランダムに映し出される。キャプションは短く、どこで何を撮ったのかわからないものもある。必ずしも単体で力強い写真ばかりではなく、きちんと編集された写真集でもなく、状況説明の行き届いたニュース番組でもないのに、そして背景事情はおろか被写体が何かもわからないのに、なぜこんなに心が浮き立つのだろう?
現実の世界の情報量は、いかなるメディアでもカバーしきれないほど莫大である。当たり前だが日々は意識していないその事実が、映し出された写真のランダムネスゆえに逆説的に目玉と脳に突き付けられたのかもしれない。あえて言うなら愚行も含めて世界はこんなにも豊かなのだ。「豊か」と言っては語弊があるなら「世界はこんなにも世界である」とトートロジックに言い換えてみよう。まずは世界の現状を知る。すべてはそこから始まる。