元SEALDs 奥田愛基、いま明かす「本音」と再出発への思い。

1年の沈黙破り、単独インタビューに応じた

安倍政権への批判が強まり、国会前が再び政治の舞台になっている。その中で、かつて国会前デモのアイコンだった元SEALDsの奥田愛基さんは、メディア上で沈黙を保ってきた。彼はいま、何を考えているのか。本人が「1年ぶり」のインタビューに応じた。

Huffpost

久しぶりに金髪にしたという奥田愛基さんは、淡々と近況を始めた。

「インタビューに応じるのは1年ぶりくらいですかね。大学院で勉強をしながら自分がやりたいことを悩んだ1年だった、とも言えますね」

奥田さんが「再起」の舞台に選んだのは「国会前」ではなく渋谷だった。5月26日、27日に「音楽×アート×社会をつなぐ都市型フェス」と銘打ったイベント「THE M/ALL」を開く。

「ASIAN KUNG-FU GENERATION」の後藤正文、「水曜日のカンパネラ」のコムアイといったミュージシャンが個人として参加することが既に発表されている。

彼は主催者の一員として、無料開催を目指すべくクラウドファウンディングを始めたり、参加するアーティストの交渉、イベントの企画作りに奔走していた。

最近も合間を見て国会前などのデモには参加している。前に立ってマイクを握るように頼まれることもあるが、人前でのスピーチは呼吸が整わなかったり、過呼吸気味になったり身体に負荷がかかるのだという。

国会前での抗議集会(2018年4月14日)
国会前での抗議集会(2018年4月14日)
NurPhoto via Getty Images

「別にどうしても自分が前に出たいというタイプではないんです。安保法制が問題になった2015年は全部引き受けないといけないって思ってました。

でも、それから体調も悪くなったし......。去年は結構、大変でした。

見つかったらマイクを渡されるから、今はデモに参加するならなるべく後ろにいる(笑)」

大学院で政治学を学ぶ一方、学費を稼ぐために編集や音楽フェス運営のアシスタントをした。そこで気がついたことがある。

「国会前デモのこととか、自分ことを何も知らない人たちと一緒に仕事をしました。いちスタッフとして扱ってくれて、まず機材を運ぶとか、荷物を詰め込むとか。そんなことから始まったんです。

関わっている仕事の環境がとても心地よくて『俺は生きていける』って思えたんですよね。

そこで、ちょっと考えたんです。あれ俺って狭い意味での政治のことを勉強したかったんだっけ?」

考える時間を手に入れて、日本政治を学んでいくうちに、奥田さんは「政治への関わり方はもっと広げられるだろう」と思った。

それはデモで声をあげるだけでなく、本を読むというだけでもなく、音楽もファッションも取り入れて誰でも参加できて、この先につながる場所を作ることだった。

「THE M/ALL」では、音楽だけでなく、30時間ぶっ通しのトークセッションも取り入れる。彼の言葉を借りれば、「政治も社会も恋も音楽も全部横断的に話していく」場だ。

企画に込めた思いを打ち明ける。

HuffPost

「せっかくイベントやるならNOって声をあげて終わりにするのは嫌だったんです。NOだけで終わらない、もっと開かれたイベントはできないのか。

デモに行く人とクラブに行く人、ファッションが好きな人との間に溝があるように思うんですね。それをどうにか超えようとする試みをずっとしてるわけですけど、

自分はどれも好きでよく参加している。デモが終わって、クラブに遊びに行くことだってある。

ヘイトスピーチが広がっているような国でも、クラブにいったら国境を超えていろんな人が同じ音楽で踊っている。もうみんな一緒に生きてるじゃんって。

これがリアルなんですよね。音楽の前ではちょっとした意見の違いとか、考えの違いなんて気にしないで、誰でも受け入れている。実際自分自身が悩んでるときに救われたって感覚もあります。

いろんな人たちが混ざることでエネルギーが生まれて、外に開かれた強いものになっていく。これって全部じゃないけど日本の社会運動が苦手にしていることだと思うんですよね。

社会運動だけの話じゃないかもしれませんが、同じジャンルで固まっていっても、外には開かれていかないじゃないですか。

デモに行く人が『クラブなんて...』とか、クラブを楽しむ人が『デモなんて...』ってもったいない。

音楽を聴く人も、社会を考えたい人も全部を混ぜていきたいんです」

ケンドリック・ラマ—
ケンドリック・ラマ—
Getty Images for Coachella

例えば、と奥田さんはアメリカで絶大な人気を誇るミュージシャン、ケンドリック・ラマーの名前を挙げた。

ケンドリック・ラマーのヒップホップは過去の音楽的遺産を自分の音楽に取り込み、アメリカ社会を描き出すリアルな言葉を紡ぐ。社会的な背景、歴史、音楽、彼のファッションや立ち居振る舞い......。すべてが断絶せずに「カルチャー」としてつながっている。

聴き手もそれを受け止めて、支持をしている。

自分もカルチャーが作りたいのだ、と語る。インタビューのなかで奥田さんが何回も強調したのは「開かれている」、そして「考える」という言葉だった。

HuffPosd

「カルチャーって日常や生活と地続きじゃないですか。

メディアが切り取るデモとリアルな現場は違っていて、本当はいろんな人がいっぱいいるんです。

有名なクラブのオーナーやミュージシャンが参加していることもある。

『どっから来たの?』とか『なんで来たの』なんて会話をしながら後ろのほうで参加している人、たぶん霞ヶ関の役所の人なんだろうけどマスクをつけたまま後ろの方でじっと立っているだけの人......。

それぞれに日常や生活があるけど、デモが起きている場所で交わっていく。

デモに参加している人はどうせ『反安倍政権』だろって声も聞くけど、まったく違いますよね。個々にいろんな事情がある。

自分だって、政策に反対の声はあげているけど、コールしながら、『この問題は安倍政権が退陣したところで解決しないよなぁ』と、もやもや考えていたことだってたくさんあります。

これが現実でしょ。一人の人間がそこにいるんだから。色々な葛藤もありつつ行動してる。

最近のアーティストって『わからない』とか『言えない』ってことをそのまま歌詞にしてる人が結構いる。

日和ってるって見方もあるけど、俺はこういうリアルな気持ちを切り捨てずにいたいって思うんですよ。どっちか立場を明らかにしろってところから始めるんじゃなくて、決めなくていいからまずは考えていきたい。ていうか、いろいろと考えてることぐらいは共有してたい。

だいたい、社会は複雑で、簡単にわかるわけないんです。すぐに日本の未来を変えられるとか、何かができるとはまったく思わない。

もやもやしていること、悩んでいること、わからないということだらけ。わからなくても、ダメでもいいんですよ。等身大で、だから考えるっていう場所を自分はつくっていきたい」

多くのミュージシャンが登場するライブの一方で、トークセッション、その場で作り上げるインスタレーション......。

「THE M/ALL」は、そんなジャンルを横断するDJ役を、奥田さんが担うイベントだと言える。思い返せば...と少しだけ考えて、彼は言葉をつなぐ。

「国会前で自分がやっていたスピーチも、分解していけば『自分の言葉』はあんまりないと思うんですよ。誰かの言葉をつないで、つないで、これは俺の話だって語っていた。

まあカチッとしたスピーチをしてたというか『司会業』的な、国会前でみんなの話を聞いて、みんなの声を表現してもらってつないでいくっていう意識だったと思うんです。

これってヒップホップで、昔の曲とか音をつないでいくサンプリングと変わらないんですよね。歴史の中で、何度も再生して、再構築していこうっていう」

デモであっても、そこにはいろんな人がいる。ましてや社会は......と考える。一色に染め上げる空間ではなく、多様でありながら楽しい場にしたいという思いが、国会前から「渋谷」に表現の場を移した最大の動機だろう。

2015年8月30日、国会前での抗議集会
2015年8月30日、国会前での抗議集会
Getty Images

「このイベントはまず自分が楽しいものになります(笑)。自分が好きで、聞いてほしいって思っているミュージシャンや、語りたいと思っていることを詰め込む。

僕の周りには、いろいろ考えた上で、デモで発言することを選んだ友達がいる。

彼なりに考えてデモに人生を賭けた。このイベントは、その手前の自分たちがどんな社会に生きてるかとか、葛藤であったり、そしてまた迷いつつも表現したり、そういうものを共有できる場にしたいんですよ。

できれば俺と真逆の考えをしている人も呼びたいんですよね。それも一つのリアルですから、居酒屋で言い合いになる友達もいるんですよ。

「お前はサヨクの手先だ」とか言われて、笑いながら「いや、ちげーし」と言い返したりして(笑)もうそのやりとりそのまま見せたいですね。

考えが違っても、楽しくお酒は飲めるし、語ることだって楽しい。現実ってそんなものだと思うんです。もっとおおらかというか。

インスタレーションのコンセプトは『ストリート』です。デモにいく人も、クラブに行く人も、地続きのストリートにいる。

そんなリアルを表現してみたい」

HuffPost

奥田さんは「初めてのイベントだから、本当にクラウドファウンディングで資金が集まるかも含めて不安だらけなんですよ」と、ぽつりとこぼした。メールの出しかた、依頼の仕方から手探りである。

「お世話になっております」という書き出しで、メールを大量に送るのも、それまでやったことがない経験だった。注目を集めた国会前デモとは違う形で、奥田さんは社会との関わりを模索し始めている。

こんな出来事があった。

「実家がある北九州でずっと仲良かった、友達がこの前突然亡くなってしまったんですよ。その時に思ったんです。

ずっと体調も悪くて、どうしようって思っていたけどカッコ悪くても、ダメになっても、何があっても生きていこうって。『俺は生きているよ』って定期的に発信することが大事だって、恩師からも言われました。

1年ちょっとあんまり表に出なかったけど、やっと自分ができることを見つけたって感じです」

自分にできることと、やりたいことを考えてたどり着いた現在の目標をこう表現する。

「やっぱり、『政治』って狭い括りじゃなく、カルチャーをつくる側にいたいなって思ってます。こっちで生きてますよーって。

そんな決断はダメだとか、イベントは無理だっていう人もいると思うんですよ。でも、ダメならダメでいいんですよね。俺はつくるしかないって思っています。

カルチャーをつくろうとする態度、何度でも0を1にしようとする意思、それ自体が大事だと思うんです。人間は何度でもやり直せる」

一呼吸おいて、こう続ける。

「大変だけど、今が一番楽しいです。等身大でいられるから」

苦しんだ時期を抜けて、自分が楽しいという場から社会へ。第二幕が始まる。

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