沖縄の誇りある豊かさ~基地に依存しない経済めざして

安倍晋三首相に近い自民党の若い世代の国会議員たちが6月下旬に開いた勉強会は、講師が「沖縄の二つの新聞社はつぶさなあかん」などと語り、これに同調するような声も出て、報道弾圧で盛り上がった。

安倍晋三首相に近い自民党の若い世代の国会議員たちが6月下旬に開いた勉強会は、講師が「沖縄の二つの新聞社はつぶさなあかん」などと語り、これに同調するような声も出て、報道弾圧で盛り上がった。政権党の欲望が露骨にだされ、国会でも批判が強まった。

この背景には、いま、名護市辺野古の新たな米軍基地建設をめぐって、島ぐるみで進められている反対運動への政権党のいらだちがあり、反対運動は地元新聞にあおられている、との反感がある。

沖縄は古代から穏やかな独立国だった。しかし、1872年、明治政府は、琉球国を廃し「琉球藩」に名前を変えさせ、さらに1879年、武力によって「沖縄県」として編入、王国は完全に消滅した。いわゆる「琉球処分」である。

今回の自民党議員たちの猛々(たけだけ)しい発言は、言論の自由の問題にとどまらず、沖縄を政府にたてつく「植民地」とみる、差別意識の表れである。

6月23日、沖縄戦が終わり70年となる戦没者追悼式で翁長雄志知事は、安倍首相の面前で、「未来を担う子や孫のために誇りある豊かさを創る」と強調した。これは昨年12月の知事選で、自民党政権が支持した候補に大勝したときのスローガンだった。

「平和の架け橋」への決意

それは「基地経済からの脱却宣言」であり、アジアにむかって「平和の架け橋になる」という決意表明でもあった。沖縄では、第2次世界大戦末期、住民の4人に1人が戦火の犠牲になった。その沖縄の知事が、終戦70年を期して、あらたに未来への道筋を問いかけたのだ。

辺野古に新たな基地をつくる「建設作業中止」を翁長知事が安倍首相に迫ったのだが、首相はそれに答えることなく、「振興」という名目の資金をだす、という現状容認を押しつけただけだった。

翁長知事が「国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります」といったのは、けっして一般論を述べたのではない。「沖縄には過去も現在も、そのすべてが等しく保障されていなかった」「一方的に戦争の負担が押しつけられている」という抗議が、20万人以上の犠牲者を出した慰霊の地で、安倍首相に面と向かって行われたわけだ。そこに翁長知事の覚悟がしめされている。

「誇りある豊かさ」とは何か。安倍首相のいう「振興」が軍事の鎖への「依存」であり、そこからの脱却のときだ、との明白な主張である。

基地関連収入は、すでに県民総所得の5%台に縮小した。終戦直後は半分、1972年の本土復帰時で、15・5%をしめていた。が、いまや観光収入10%の半分でしかない。

よく言われる数字だが、日本全体の面積の0・6%しかない沖縄に、米軍専用施設の74%がある、という不合理と差別が、辺野古への新基地建設反対運動の中で強調されている。「もうたくさんだ」との声とともに。

日本政府は、辺野古米軍基地建設に関し、「(街中にあって)世界一危険な普天間基地の移転」というコンセプトで建設を強行しようとしている。しかし、辺野古への新基地建設は、1965年当時からあったことは、いくつかの資料で明らかになっている。それは、海岸線を埋め立てて飛行場を建設し、隣接して米海軍の強襲揚陸艦の岸壁をつくる計画だった。

その後、ベトナム戦争が泥沼化したため、米国の財政が悪化、自力での建設ができなくなった。そしていま、普天間基地の危険回避のための辺野古移設という名目で、日本が全額負担し、米海兵隊に譲渡する、というストーリーに転換した。

「沖縄処分」はまだ続いているのだ。

(2015年8月21日「AJWフォーラム」より転載)

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