森林文化協会が発行している月刊「グリーン・パワー」は、森林を軸に自然環境や生活文化の話題を幅広く発信しています。8月号の「NEWS」では、政府が国内5番目の世界自然遺産登録を目指した「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の推薦を2018年5月に取り下げた背景を、朝日新聞編集委員の野上隆生さんが分析しました。
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「想定外だ」「甘かったと言われても仕方ない」
登録延期の勧告が出た5月4日未明の記者会見で、環境省幹部は衝撃をそう語った。
国や地元自治体の間では、「登録間違いなし」という「前評判」が広まっていただけに、ショックを受けた関係者は多かった。
だが、事前に問題点を指摘してきた専門家や環境NGOの目には、IUCNの勧告は当然に映った。特に沖縄本島北部「やんばる」にある広大な米軍北部訓練場は最大の懸念材料だった。
推薦地域と同様の生物多様性を有し、生態系の連続性のカギも握る北部訓練場を、推薦地域からすっぽり外す政府の方針に対し、「『政府が管理できないから含めない』で済むのか。登録に必要な『完全性』を満たしていることを説明できるのか」と疑問を投げかけてきた吉田正人・筑波大教授(世界遺産学)の懸念が、まさに的中してしまった。
「登録延期」を勧告したIUCNは、日本政府が昨年2月に提出した推薦書をどう評価したのか。
政府は、大陸から延びた細長い半島がいくつもの島々に分かれる過程で、生物が独自の進化を遂げた貴重な「生態系」と、ノグチゲラなどの固有種が多く生息する豊かな「生物多様性」を理由に推薦した。IUCNもその遺産価値は認めたが、「生態系」は評価基準に合わないとして、「生物多様性」に焦点をあてて境界線を修正するよう求めた。推薦地が分断されていて、生態学的な持続可能性に疑念を持たれたからだ。
外来種対策では、奄美大島のノネコ管理計画への努力を評価する一方で、他の侵略的外来種へもその努力を拡大するよう求めた。
さらに、西表島で観光客が急増している現状などを指摘した上で、来訪者数の管理計画や観光客の収容力に応じた観光管理計画の実行も勧告した。
こうした指摘はいくつかあるが、気になるのはやはり、IUCNが米軍北部訓練場をどう見たかだ。
北部訓練場返還地と未返還地
勧告のなかでIUCNは、2016年末に返還された約4000haの地域を必要に応じて推薦地域に統合するよう求めた。環境省は既定路線だったはずのこの点ばかりを強調して今回の「登録延期」を説明するが、さらに注目したいのは、未返還のままの北部訓練場に触れた、「推薦地の包括的管理計画に未返還地を統合するため、必要な調整の仕組みを、さらに発展させよ」という勧告部分だ。
IUCNは未返還地について、「景観の連結性や主要な種の重要な生息地を支えており、推薦地に対する事実上の重要なバッファーゾーンとして機能している」とみており、内部の視察も必要だとして、強い関心を示している。
だが、環境省の担当者はこの勧告について、「これまでも外来種対策、特にマングース対策は米軍と協力して進めている。IUCNからの一定の評価も得られていると理解している。これからも協力関係を継続し、米側への働き掛けをしていきたい」と、特別に意識する様子は見せない。
実は、日米両政府は一昨年末、北部訓練場の自然環境保全に関する合意文書を交わしていた。文書は、両政府が推薦地保全の重要性を共有、隣接する北部訓練場も含めマングースやノネコの捕獲などの保全事業に取り組み、登録やモニタリングなどの情報共有、意見交換をする、という内容だ。
今回、IUCNの評価書に書き込まれるまで、環境省はこの合意について積極的に説明していない。知床(北海道)や小笠原諸島(東京都)の世界自然遺産登録時と比べ、情報開示が大幅に後退していた。と同時に、この合意が、「調整の仕組みを、さらに発展させる」ことにどれだけ役立つのか、環境省の説明から見えて来ない点も気になる。
吉田教授はこの点について、「これはあくまでも基本的な合意。IUCNが求めている『包括的管理計画」(Overall Management Plan)』の中に、米軍の役割などを盛り込めるのかどうかが問われる」と指摘する。
生態系を外していいのか
生態系の評価基準に合致しないとするIUCNの勧告を受け、環境省は来年2月までに、推薦書の再提出を目指す。その際、基準を「生物多様性」一本に絞るか、「生態系」基準も残すか、結論はまだ出ていないという。
生態系基準を満たすには、抜本的な境界線の修正が必要なだけに、難航が予想される。だが、奄美・琉球の島々が過去から未来へ向けて固有の生物種を進化させているあかしとして、生態系基準を満たしてこそ、世界自然遺産としてこの地域の魅力と特徴を最大限に生かせるのではないか。
桜井国俊・沖縄大学名誉教授は「やんばるの森から川、河口のマングローブ、そしてサンゴ礁の海までを一つのつながりとして推薦していたら、生態系基準にも合致したはずだった」と指摘する。「なのに、『米軍基地があるから』と北部訓練場や新基地建設が進む辺野古・大浦湾を避けて、やんばるの尾根筋だけを申請した。こうしたやり方では、本来守るべき自然を守れない」。桜井名誉教授は政府に対し、推薦書の再提出に向け、基地の機能制限や全面返還までも視野に入れて米側と協議するよう求めている。
北部訓練場内に6カ所のヘリ着陸帯が完成し、昨年以降、オスプレイや軍用ヘリの飛行は増え、着陸帯近くの東村高江住民は、さらに騒音に悩まされ続けている。上空をオスプレイが低空飛行する地域が世界遺産としてふさわしいのか。米軍基地の存在から目をそらして自然保護を考えることはできない。それが沖縄の現実でもあることを、今回の「登録延期」は改めて示した。