国連難民高等弁務官や国際協力機構(JICA)理事長を務めた緒方貞子さん(92)が10月22日に亡くなった。「現場主義」を貫き、世界中を駆け回った緒方さんの経歴を振り返りたい。
■曽祖父は犬養毅元首相
緒方さんは1927年、東京で生まれた。曽祖父は犬養毅元首相で、「貞子」は犬養元首相が名付け親だ。
外交官だった父の影響で、幼少期から米国(サンフランシスコ、ポートランド)や中国(福州、広東、香港)で育った。
大学は一期生として聖心女子大学に進学。卒業後は渡米し、ジョージタウン大学を修了、カリフォルニア大学バークリー校で政治学博士号を取得した。
その後は国際政治学者としてのキャリアを歩んだ緒方さん。国際基督教大や上智大で教鞭を執った。専門は日米関係や対米戦争。曽祖父の犬養元首相が殺害された五・一五事件の当事者のヒアリングもした。
研究の一環として、第2次世界大戦後、米英などの連合国側が日本の戦争指導者を裁いた東京裁判も複数回傍聴した。
緒方さんは、16年10月6日付の朝日新聞夕刊のインタビューに「研究し始めた頃はまだ当事者が生きていて、研究の素材があった」と振り返った。
■前例にとらわれない国内避難民の保護
そんな国際政治学者の緒方さんが国際機関に活躍の場を移したのは1976年。日本人女性として初の国連公使に就任した。
91年には日本人としてはもちろん、女性としても初めての国連難民高等弁務官に就任した。
国連難民高等弁務官としての緒方さんを語る上で、外すことができないのが、就任早々に発生した、湾岸戦争中のイラクでのクルド人避難民への対応だ。クルド人避難民はイラク国内から隣国トルコに向かったが、トルコは入国を拒否。国境付近にとどまらざるを得ない状況になっていた。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はそれまで、国を逃れた難民を支援対象としていた。イラク国内にとどまっている場合は支援対象外となるが、緒方さんは「国家によって生命と安全を保障されない国内避難民」も対象に拡大。UNHCRの活動にとっても大きな転機となる決断を下した。
緒方さんはこの決断について、2016年10月3日朝日新聞夕刊で「私は人間を助けるということが何より大事であると考えました」と語っていた。
■高等弁務官退任後も、アフガニスタン支援日本政府特別代表やJICA理事長を歴任
緒方さんはその後も、旧ユーゴスラビアの紛争やルワンダ虐殺など、各地の紛争地から逃れる難民の支援に奔走。防弾チョッキ、ヘルメット姿で現地入りする緒方さんの姿が、TVや新聞で報道されて人々に鮮烈な印象を与えた。
2000年に約10年間務めた国連難民高等弁務官を退任したが、その後も国際的な知名度を活かして、世界を舞台に活躍を続けた。
小泉純一郎政権では、アフガニスタン戦争後の支援政府特別代表に就任。02年に東京で開かれたアフガン復興支援国際会議では、カルザイ暫定政権議長(後の大統領)とともに共同議長を務めた。一時は、外相への待望論もささやかれるほどだった。
■「日本は国際交流で発展してきた国」 日本にも提言
生涯を通して世界で活躍した緒方さんに、今の日本はどう映っていたのだろうか。
緒方さんはUNHCR協会ウェブサイトでのインタビューで、次のように語っている。
「(日本は)国際交流によって発展してきた国なのです。誰も彼も日本に入ってきたらいいとは思いませんが、必要に迫られて日本に来る難民の受け入れには寛大でなければなりません」