前略 オボカタさま
突然このような連絡を差し上げる非礼をお詫びします。面識もなく、連絡先も存じ上げませんが、勝手に書きます。
とある大学で授業を持つ者なのですが、一度お越しいただけないかと存じます。自分探しをして大学院に来た教え子どもに、腹のくくり方教室を開いてやっていただきたい。
あなたの世紀の発見に揺さぶられ、私はかっぽう着を購入致しました。ネットで「残り2着!」とあおられ、2着購入致しました。今も着用しております。私の周りにも自称他称リケジョがわんさかおります。一瞬、彼女たちの輝きが増しました。以上、報告です。
それからの上下運動には、凄みを感じております。
第一幕:スタア誕生 「かっぽう着天使あらわる」
第二幕:スキャンダル「そんなものははじめからなかったのよ」
第三幕:ゴシップ 「手玉に取られた大物たち」
第四幕:社会派ドラマ「わが闘争」
これほどまでの、クドカンもテリー・ギリアムも凌ぐ劇性を示される力量に、ひざまずきます。あなたが狙ってこうなったものではないのかもしれません。でも、このドラマがトンイよりも続くことを、畏れつつ期待しております。
私はあなたが不服を申し立てる根拠を理解してはいません。でも批判承知で会見に臨まれ、涙も笑いも見せられる覚悟っぷりは尋常ではない。それがこれから始まるかもしれぬ法廷闘争の前哨戦として弁護団に勧められたものであったとしても。私は理研の責任感と振る舞いに疑問を感じてきましたが、その思いが強くなっています。
落とされた爆弾の破壊力はすさまじく、ご所属の組織やご出身の大学にとどまらず、日本のアカデミズム、いや文化全般に轟を響かせています。
私にはSTAP細胞を云々する知識はありませんし、その存在の真偽も語る立場にありません。ただ、本件が広げた波紋には関心があります。
学術論文でのコピペがルール違反として改めて確認され、その違反が蔓延していたこともネットで明らかになりました。
今回の一連の件は、デジタルでコピペが簡単になったことが一つのきっかけであり、また、ネット民によってあれもこれも暴かれていったことが事件化の要因でありましょう。
デジタルが原因を作り、デジタルが問題を明らかにしました。しかも、コピーというデジタルの優れた機能がネガティブに使われ、ネット炎上という普段ネガティブに見られている機能が役に立っている、という事例です。
こうした機能を浮き立たせた点もあなたの功績ではありませんか。
ただ、そのあたりはあなたも微妙な状況にあり、答えにくいことと存じます。授業で伺いたいと思っているのは、さらにその先に広がる議論への感想です。
例えば、
「小保方さん「コピペ論文」で揺れる早稲田大学――法学部に広がる「モカイ文化」とは?」
ここではコピペにとどまらず、「模範解答」を丸暗記することが否定的に捉えられています。そうなのですか?模範解答の丸暗記は悪いことなのでしょうか。むしろそれで社会が成り立ってきたんじゃないのでしょうか。
入試にしろ何にしろ、試験の大半は、頭に丸暗記したことを吐き出すことが求められてきましたよね。教科書に書いてあることを頭にコピーして、それを紙にペーストすれば合格したんですよね。コピペそのものを否定するのは、矛盾していませんか。
膨大な情報の海から必要な情報を抽出して、整理して提示するのは「編集力」です。情報量が爆発的に増大する社会では、編集力は創造力と並んで大事な能力になります。これは切って貼って紡いでいく、コピペ力です。引用力と言い換えたほうがよろしいか。
論文では引用は本質的に重要です。正しい参考文献と引用があればこそ、学術への貢献が明確になります。要は自分の情報と人様の創作物とを区分しろよってことですよね。コピペ自体を否定するのはどうなのでしょうか。
コピペすれば正解なのに、コピペじゃダメだっていうのは、出題が悪い、ってことなんじゃないのですか。例えば試験での解答に、「・・・」(模範解答集からの引用)って書いたら、失格なのでしょうか。
あなたは、情報社会にとって大事な論点を提示されたと考えます。こうした問題をどのように捉えておられるか。伺いたく存じます。
実験ニコ生による201回目の成功を期待しております。 草々
(2014年4月10日「中村伊知哉ブログ」より転載)