2016年5月27日。
オバマ大統領がアメリカの現職大統領として初めて被爆地広島を訪れました。
〝歴史的な1日〟と言われたあの日から早くも半年が経ちました。
オバマ大統領の訪問とこの半年を振り返って広島平和記念公園でガイドをしていて感じることを書いてみようと思います。
まずあの日を振り返ってみます。
あの日の夜中、5月27日の午前1時。なぜか覚えていないけど写真を見返すと自分は夜中に平和記念公園にいました。(※寝ながら歩いて行ったわけではありません。おそらくバイト帰りでした。)
夜中の原爆ドーム。
静かに核兵器廃絶を訴え続けています。
慰霊碑から見た原爆ドーム。
間には平和の灯がいつも通りゴウゴウと燃えていました。
朝になり、いつも通り平和記念公園へ。
平和記念公園の外ではこのようなデモが行われていました。
平和記念公園内の様子。
中には「オバマ大統領を見るために来た」という人もいましたが、ほとんどの人は決められた日程の中で普通に平和記念公園を訪れた人たちでした。
ただ、警備や報道の方が多く、なにか独特な空気が流れていました。
平和の灯は昨夜以上にゴウゴウと核兵器廃絶を訴えていました。
朝は普段通りガイドをしたのですが、15時ごろから平和記念公園内はすべての区域で立ち入り禁止に。
立ち入り制限があるのを知らなかった方々は、原爆ドームや平和記念公園、資料館をじっくり見る事が出来ず残念そうでした。中には怒っている方もいました。
4月にケリー国務長官が広島を訪れた時も同じでした。
もちろん制限は必要ですが、一般の観光客の方、特に海外から広島に来る方々はとても思いの強い方ばかりです。
ほとんどの方が、一生に一度しか広島を訪れることが出来ません。
そういう意味ではもっと一般の観光客への配慮も必要だったのではないかと思います。
偉い人も一般の人も広島に来てくれる方々をもっと大事にしなければと思います。
オバマ大統領の訪問が近付くにつれて、平和記念公園の周囲はどんどん慌ただしくなっていきました。
ただ、
「アメリカの現職大統領が初めて被爆地広島を訪れる」
という歴史的な盛り上がりよりも単に
「アメリカのオバマ大統領が広島に来る!」
そのような盛り上がりだったように感じます。
そんな中、訪問直前にあることを発見しました。
ここは平和記念公園の東側の路地なのですが、歴史的な場所です。
2枚目の写真の中央に写っているのは爆心地を表すモニュメントです。71年前の8月6日午前8時15分1発の原子爆弾が広島に投下されこの上空600メートルで爆発しました。
原爆ドームの前でガイドをしていると「爆心地はどこですか?」と毎日のように観光客から聞かれます。
原爆ドームの南東160メートル地点、また投下目標となった相生橋から300メートル地点のこの場所の上空で爆発しました。
実は不思議なことに平和記念公園内には爆心地を表す案内板がどこにもありません。だから、広島に来ても爆心地を知らずに、訪れずに帰ってしまう人がほとんどです。
爆心地はとても大事な場所です。
平和記念公園内に爆心地を示す分かりやすい案内板があるべきだと思います。
さて、なにが発見だったかというと、これは前々から薄々気付いていた事なのですが、、
広島の人も爆心地を知らない
ということです。
爆心地の前を観察しているとオバマ大統領を一目見るために訪れた多くの広島の人達がこのモニュメントの前を通りました。
しかし、ほとんどの人は見向きもせず通り過ぎていきました。
それは、広島の中にはこのようなモニュメントが多くあり街に馴染んでいます。だからわざわざ立ち止まって見ることはありません。無意識はそこにあるものをなかったことにしてしまうのです。
ただ、たまたま気付いた人たちがびっくりしていました。
「え、なにこれ、、爆心地ってここだったん?」
「へぇ〜ここなんじゃ」
いろんな声が聞こえてきました。
もちろん広島のすべての人が知らないということではありませんが、知らない人は多いと思います。
今まで自分がガイドした広島の人たちも半分以上が爆心地を知りませんでしした。
実は自分もガイドを始める2年前まで爆心地を知りませんでした。
原爆ドームの真上で爆発したと思っていました。
自分が平和記念公園を訪れるようになったきっかけは英語を勉強したかったからですが、ガイドをするようになったきっかけは、広島出身でよく知っていると思っていた原爆についてなにも知らなかったことを知ったからです。
広島では平和教育が盛んです。しかし、それは小学校の話で、中学校、高校、大学と進むにつれて、ほとんど原爆について考えることはなくなっていきます。(私立や公立、市立や県立など学校間で大きな差があります。)
ただ、小学校の時に学んだことは実はあまり覚えていなかったり、間違って覚えている場合が多いです。
しかし自分がそうであったように、平和教育を受けているし、毎年黙祷したり、テレビを見るので、大人になった時に「自分は原爆について知っている」と思っています。だから改めて原爆についてしっかりと考える機会はなく実は原爆について深く知らない人も多いのです。
広島の人がもっと原爆を学んで伝えていかなければと思います。
被爆者が高齢化し、減少していく中、これから誰が原爆を伝えていくのでしょうか。
さて、そんな中オバマ大統領の訪問の時を迎えました。
多くの方が、オバマ大統領を一目見る為に訪れましたが、ほとんどの方が、一目も見れなかったのではないかと思います。
オバマ大統領は平和記念公園に到着後、資料館を見学(10分間)、慰霊碑に献花をした後スピーチ(17分間)を行いました。その後被爆者と会話をし、遠くから原爆ドームを眺めました。
お世辞にも被爆の実相に触れたとはいうことは出来ませんが、それでもアメリカの現職大統領が初めて広島を訪れた〝歴史的な1日〟となりました。
その日の夜は、オバマ大統領の献花した花輪を一目見ようと写真を撮ろうと多くの人が慰霊碑を訪れました。
ただ、残念なのは見ていると、慰霊の気持ちをもって慰霊碑に手を合わせた方はごく少数で、ほとんどの人はまるでショッピングモールのセールに並んでいるような空気でした。
こうして〝歴史的な1日〟が終わりました。
あの日感じたことは
(なるほど、こうやって歴史は作られていくのか)
ということです。
これはあまりポジティブな感情ではありません。
もちろん、被爆者の中には喜んだ方も多くいらっしゃいます。オバマ大統領の広島訪問が1つの区切りになった方もいます。それは理解しています。
ただ、上手くは言えませんが、なんだか悲しい気持ちになりました。
もちろん喜んだ人達を否定するつもりはありません。ただ、オバマ大統領の広島訪問により、原爆がまた1つ〝過去のこと〟となりました。
しかし、個人差がありますが今でも放射線による病気が続いています。71年経っても原爆について全く話をしたくない人がいます。子供や孫が生まれる際に元気に生まれてきてくれるか心配している人がいます。今でも原爆を憎んでいる人が多くいます。他にも目には見えないところで多くの問題が続いています。
原爆は71年経った今でもまだ終わっていません。
しかし、それが今回の訪問、平和のために、未来志向という言葉により、原爆を過去のものにしてしまいました。
前に進むことはもちろん大事ですが、過去に起きたことや、現在起きていることを見ずに前に進むことは出来ません。
平和のためにや、未来志向という言葉の持つ力と怖さを感じました。
長くなりましたが、訪問後の変化について。
オバマ大統領の訪問後、平和記念公園や平和記念資料館を訪れる人が増えました。これは、オバマ大統領の持つ影響力だと思います。
6月〜8月にかけては
「オバマ大統領が折った鶴はどこで見れますか?」
「オバマ大統領が立った場所はどこですか?」
と聞かれる事も多かったです。
また
「アメリカの大統領が来たのに日本人の私が来たことがないのは恥ずかしいので来ました」
という人にもたくさん会いました。
海外の観光客も増えているというデータがありますが、これは以前から広島を訪れる観光客が増えておりオバマ大統領の直接的効果がどれだけあるかは分かりません。
ただ、会話の中で、訪問について意見を求められる事は多くありました。
資料館には実際にオバマ大統領が折った鶴が展示されています。
連日多くの人が関心を持って見入っていました。
しかし、オバマ大統領のブースの右側に展示してある、現在の平和記念公園がある当時の中島地区の地図版や、左側に展示してある改装中の東館の展示を補う8枚のプレートを見る人はあまりいませんでした。
中島地区の地図版では、現在の平和記念公園がある場所に元々多くの一般市民が住む街があった事を知ることが出来ます。
8枚のプレートからは、広島の成り立ちや、核兵器の開発、また、現在の核兵器の状況について知ることが出来ます。
逆に言えば、この両方を見なければ、ここに街があったことや、現在の核兵器の数を知らないまま帰ってしまうのです。
実際に、原爆ドームの前で、資料館を見た後の方をガイドすることもよくあるのですが、質問をするとほとんどの人がここに街があったことや、いま世界に約1万5000発の核兵器があることを知りません。
オバマ大統領をきっかけに、広島を訪れる人が増えていることはとても嬉しい事なのですが、鶴を見て満足するのではなく、やはりもっと学んで帰って欲しいと思います。
また、半年が過ぎオバマ大統領の訪問により増えていた観光客の数にも陰りが見えます。
最近は当初に比べたら
「オバマ大統領が折った鶴はどこで見れますか?」
「オバマ大統領が立った場所はどこですか?」
と聞かれることも少なくなりました。
〝歴史的な1日〟と言われたあの日はなんだったのだろうかと感じる事もあります。
オバマ大統領の訪問による熱はブームのように終わってしまいました。
また、あの日
「私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません。」と宣言したオバマ大統領と「「核兵器のない世界」を必ず実現する。その道のりが、いかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく、努力を積み重ねていくことが、今を生きる私たちの責任であります。」と宣言した安倍総理ですが、アメリカ、日本の両政府は、10月に行われた国連の核兵器禁止条約制定に向けた交渉開始決議に揃って反対票を投じました。
この決議は直接核兵器禁止条約を制定するものではなく、核兵器禁止条約制定に向けた交渉を開始するための決議です。
政治的な問題を抜きにして、自分はがっかりしています。あの日喜んだ被爆者のほとんどの方から嘆きや悲しみ、怒りの声が上がっています。
自分たちは〝歴史的な1日〟を本当に核兵器廃絶への道のりに繋げられているでしょうか。
これは政府の問題だけではありません。
あの日、笑顔でオバマ大統領の訪問を迎えた自分たち、平和記念公園を訪れる人たちにも原爆、戦争について学び、現在の問題について真剣に考えていく責任があります。
偉そうな文になってしまいましたが、とにかく、まずは広島で起きたことを知って欲しいです。
それは原爆ドームを見ればいい、資料館を見ればいいということではなく、ガイドの方から話を聞いたり、自分で本を読んだりニュースを見たり、いろんな方法で、知って欲しいです。
また、平和記念公園もワイワイ歩くだけでなく、しっかりといろんなことを考えながら慰霊碑やモニュメントを見ながら学びながら歩いて欲しいと思います。
全て大切なものばかりですが、平和記念公園内にある原爆供養塔は地下室に約7万人遺骨が納めてある、特に大切なものです。
平和記念公園を訪れる方は必ず足を運んでもらえたらと思います。
また近くには韓国人原爆犠牲者慰霊碑や被爆した暮石などもあります。
こちらもぜひ訪れてみてください。
平和記念公園や資料館を訪れるのがゴールではなく、ここでしっかり学び、帰った後も関心を持ち続けてもらえたらと思います。
長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方はありがとうございました。
最初にデモの写真を載せましたが最後に、今年の8月6日の平和記念式典での湯崎広島県知事のスピーチの一節を紹介しておわります。
〝安全保障の分野では,核兵器を必要とする論者を現実主義者,廃絶を目指す論者を理想主義者と言います。しかし,本当は逆ではないでしょうか。廃絶を求めるのは,核兵器使用の凄惨な現実を直視しているからであります。核抑止論等はあくまでも観念論に過ぎません。
核抑止論は核が二度と使われないことを保証するものではありません。それを保証できるのは,廃絶の他ないのです。〟
71年たつ今だかららこそ学ぼう。
そして伝えていこう。
(ブログ「23歳が原爆を伝えるガイド日記」)