■ 尾を引く靖国参拝批判
私がこの提案を行うのは初めてではない。敗戦60周年に当たる2005年8月、米ウォールストリートジャーナル紙オピニオンページに、アメリカ大統領と日本の首相が広島平和記念公園と真珠湾アリゾナ記念館で相互献花を行い、あの不幸な戦争の記憶にケジメを付け、歴史和解を最終確認する儀式を提唱して以来、ほぼ毎年、同じ主張を続けている。
しかし今回はもっと切羽詰まった理由がある。昨年末に安倍首相が、アメリカ側からの事前の警告を無視して靖国参拝を強行したことに対し、在日アメリカ大使館が即座に「失望」声明を出し、国務省、ホワイトハウスもこれを追認するという同盟国としては異例の事態が起こって以来、アメリカと日本との間で不協和音がじわじわと広がりを見せているからである。安倍政権が日米同盟の深化のためにと打ち出している集団的自衛権の解釈見直しの努力の足元で、日米同盟は根っ子のところで不安定さを増す皮肉な現象が起こっているからである。
確かにアメリカ国内で、「靖国という日本の国内問題に介入する結果となった」として、オバマ政権の対応に異を唱える声がゼロではない。しかし中立的な米議会調査局が2月末にわざわざレポートをまとめ、「安倍首相が米国の忠告を無視して靖国を突然参拝したことは、日米両政府の信頼関係を一定程度損ねた可能性がある」と指摘した事実に示されるように、識者、メディアの大勢は党派を超えて批判的である。
こうした状況を打開するため、安倍外交は真珠湾のアリゾナ記念館訪問、献花という戦後69年たっても日本の現職首相はもとより、前、元の首相の誰も手掛けていない「大きな外交」を今こそアメリカに向けて展開する時だ、というのが私の直近の提案である。オバマ大統領のヒロシマ訪問が本人自らの「ヒロシマを訪れたい」との度々の発言にも関わらず、今回も韓国訪問の関係での日程短縮もあって実現しない今、まず安倍首相の方から思い切ったアメリカとの根源的な和解達成の一石を投じるべきだという主張である。
とにかく日米同盟という言葉がすっかり定着し、錦の御旗のようにまかり通るその足元で、一皮むくと心配な構造がのぞいている。
■ 中国人や韓国人は怒るだろう
特に、今年に入って、安倍首相が任命したNHK新会長や経営委員、官邸の首相補佐官、参与らが参拝擁護、アメリカ政府の「失望」声明への不満、さらには極東軍事裁判を「米軍による東京大空襲や原爆投下という悲惨な大虐殺をごまかすための裁判だった」と決めつける発言など右派的な発言が繰り返された結果、共和党、保守派にまで、安倍靖国訪問への違和感が広がりを見せている。しかも安倍首相がこれらの発言をすべて「個人の意見だ」として問題視せず、一部の人の「発言撤回」だけで、誰も辞任しない状況もこうした不協和音を増幅させている。
NHK経営委員の東京裁判を100%否定する発言については、一人のアメリカの友人から、安倍政権は敗戦後の日本とアメリカの関係をその根っこから書き換えることを望んでいるではないか、との激しいコメントが寄せられてきていることを紹介しておく。
一番の試練は、靖国参拝が「不戦の誓い」であり、「戦死者を弔うというリーダーとしての世界共通の行為だ」との安倍首相の論理が中国や韓国だけではなく、肝心のアメリカとの間でさえ通用しなくなりつつあるという現実である。
その理由は根深い。靖国神社がサンフランシスコ平和条約第11条でその結果を受け入れた極東軍事裁判での14戦犯を合祀しているという事実に加え、その付属施設として神社内に設立されている歴史資料館「遊就館」の展示内容が太平洋戦争は自衛のためだったという視点でまとめられ、神風特攻隊が美化され、あの戦争が中国をはじめとするアジア各地にもたらした被害についてはほとんど触れられていないことも大きい。「世界共通」の戦死者追悼の場にはなり得ないというわけである。
私も約10年前、ブッシュ政権がイラク戦争に踏み切ったころ、訪日した熱烈なブッシュ支持者であるネオコンの有力コラムニストの要望で「遊就館」に案内したとき、「これでは中国人や韓国人は怒るだろう。私にも不快感が残る」とのコメントをもらったことを思い出す。
一月末のダボス会議での記者会見で安倍首相が、尖閣問題での日中衝突の可能性についての質問に自分の方から現在の日本と中国の対立状況を第一次世界大戦前のイギリスとドイツとの関係に例えたことも、地元欧州をはじめ世界の関心を集めた。靖国訪問から注目を集めるようになった安倍外交の従来の日本外交にはない「特異性」を際立たせることになった。首相官邸はその反響の大きさにも「余計な説明を付け加えた通訳の責任だ」として黙殺している。
しかし、第一次大戦100周年の今年、その舞台となった欧州のど真ん中で、日本の首相があえて日本と中国の関係をその欧州の傷跡になぞった不用意ぶりに首をかしげる向きが大勢で、メインスピーカーとして招かれ、アベノミクスを世界経済の新たなエンジンとして売り込んだ「成功」を脇に押しやってしまったという。
もともとこの第一次世界大戦前のイギリス、ドイツとの関係との相似性は、キッシンジャーを初めとするアメリカの識者が、アメリカと中国との関係、特にその衝突の可能性への深い懸念とそれを防ぐ方策の分析の中で取り上げていたテーマである。突如としてその懸念を現在の日中関係と並べたことに、あるアメリカの学者は「安倍外交はアジアでの中国との関係のメインプレイヤーの座を狙っているのではないか」と皮肉を込めた「警戒」のコメントを寄せてきた。
少なくともこうした安倍外交の姿勢が結果として、中国が世界的な規模で展開している激しい「過去の侵略を悔い改めようとしない」安倍外交批判を利する状況を生み、さらには従軍慰安婦問題などで強硬姿勢を崩さない朴政権下の韓国と中国との連携強化による反日共同戦線への動きを助長しかねない、というのが今のオバマ政権の一番の懸念である。
隣国の中国と韓国との間で安倍第二次政権発足後、首脳会談一つ開かれない異常な緊張関係が続いているのも、突き詰めると、こうしたアメリカと安倍政権との隙間風を中国、韓国が探知し、その対日強硬姿勢を構築しているともいえる。それにアメリカの政治では、一昨年のオバマ再選に貢献した中国系、韓国系市民の政治的影響力が強まっている現実も、日本ではあまり知られていない。
■ 河野談話継承でも回復しない日韓関係
この点で、3月25日オランダのハーグでオバマ訪日を前にしたアメリカの強い介入で「北朝鮮の脅威」に議題を絞って開かれた日米韓の首脳会談が象徴的な出来事だった。その場での朴大統領と安倍首相とのオバマ大統領を真ん中に挟んだ誰の目にもよそよそしい関係が、現在安倍外交がはまり込んでいる袋小路をさらすことになったからである。
安倍首相が政権発足後避けていた河野談話の継承を明言したのはその約10日前の3月14日で、日米韓首脳会談に同意するための条件として韓国から突き付けられた要求を受け入れたものであることはこれまた誰の目にも明らかだった。しかも、その直後に官邸側近から「検証が進めば見直しもあり得る」との発言が飛び出し、二人の握手、安倍首相によるハングル語の挨拶にもかかわらず、その後も日韓関係の打開とは結びついていない。24日からのオバマ大統領の日韓連続訪問で果たしてこの袋小路を抜け出せるのかどうか、ここでもまたアメリカの仲介に依存するという二重のアイロニーが進行している。
もともと、もしこうしたアメリカとの「大きな外交」を展開するのであれば、わずかな日程の中での「国賓待遇」にこだわらず、オバマ大統領のヒロシマ訪問をアメリカ側に呼びかける展開もあり得たのではないか。
来年は戦後70周年の節目を迎える。アベノミクスのお陰もあり、長期政権の展望を描き始めた安倍政権に今求められているのは、こうした歴史のケジメをはっきり意識した大局観の外交だと思う。それは真珠湾アリゾナ記念館―広島の相互献花の儀式の場を、やがて北京、南京、ソウル、そして最終的には平壌まで拡大していくシナリオを持つことである。それが安倍外交にとって、現在の対中、対韓外交での守勢から抜け出す「急がば回れ」のチャンスともなると思う。
私は2009年に出版した『オバマ大統領がヒロシマに献花する日―相互献花外交が歴史和解の道をひらく―』(小学館101新書)で、ドレスデン、コベントリー、ケルン、ゲルニカ、アウシュビッツなどでの現地取材の上で、ドイツと欧州各国との歴史和解と日本との落差を詳細に検証している。ご一読を期待したい。