私は都内の看護学部の学生だ。縁あって様々な業種の方と話す機会があったが、自分が看護学部の学生であると名乗ると、看護師のイメージで話をされることが多々あった。そこで、看護師のイメージと実際に自分が学び目指している看護師像に大きなギャップが存在していることに危機感を感じ、この先の人生や人々の生活に強い不安を抱いた。看護師は、人々の健康的な生活を支え、高齢化社会を迎える上でも大きな役割を果たす重要な職業である。どの職業にもイメージと現実のギャップは存在するかもしれないが、私は看護師の役割についてもっと多くの人に知ってもらいたいと考えている。この現状を打破していくためにどうしたら良いのか、私なりに考察していきたい。
看護師について、皆さんの持っているイメージは夜勤等の激務に象徴される「大変そう」なイメージ、医療ドラマで良く出てくる「注射」や「血」のイメージ、ナース服や女性が多いことから連想される「かわいい」や「コスプレ」のイメージ、今までの時代背景や多くのマスメディアが描いてきた「医者の言いなり」といったイメージに留まっているのではないだろうか。マスメディアは、医療に関する国民のリテラシーを大きく左右する。ゆえに、「医者の言いなり」というイメージは、医療従事者のことを知らない国民に対し、医療の中心は医師であり、看護師はその指示に従うだけの汚物を扱う大変な女性の仕事だと思わせている。確かに、このイメージが強いのは戦後の看護師不足を解消するため設けられた准看護師制度の影響があるのかもしれない。しかし、今は4年制教育を受ける看護師が増え、看護界全体のレベルは上がってきている。この事実を裏付けるように、「大学卒の看護師が10%増えると患者の死亡率が5%減る」という研究が、Linda H. Aikenらにより2003年にアメリカ医師会誌(JAMA)で発表された。さらに、同じ研究グループが欧州で追試験を行ったところ患者の死亡率が7%減るという結果も2014年に英国のLancet誌で報告されている。このように、患者の命を守るためには看護師の教育レベルの向上が必須である。しかし、その事実に、イメージが追い付いていない。裏付けも取らないで勝手に独り歩きするイメージを植え付けているのは、中学・高校の先生方だ。生徒にそのまま教える様は現代の某メディアそのものである。ひとつ体験談をご紹介したい。
私が大学に合格した時お世話になった先生は、「おめでとう」という雰囲気よりも合格した私を前に、「国公立や早慶上智の方が良い大学だ」と唱え続けていた。そして合格後、担任や部活の顧問の先生には「注射の練習するんだよな、痛そうだな。」「大変で汚い仕事だけど、やりがいはあるから頑張れ。」とよくわからない同情と声援を受けた。私の友人も、看護学部を目指し小論文を学ぶために通っていた医療系専門の塾の先生に「どうせお前ら医者と結婚したいんだろ。」と授業中に言われたらしい。きっと医療に明るい人ならば、この状況の衝撃を共有して頂けるだろう。さらに、同世代の友達には「看護師ってことは血とか大丈夫ってことだよね?すごい!自分には無理だけど、頑張って!」と妙な尊敬や応援されたり、「医者の言うこと聞かなきゃならないのでしょ。大変そう。」と言われたりした。教育者の両親を持つ友人は、看護師になることを反対されたと言う。きっと直接看護師と関わったことがないからそういうことを言うのだろう。
大学に入学してから、多くの同級生が一度はそのような経験をして悔しい思いをしていたということを知り、驚くと同時に不思議に思った。働き始めたらそんな思いは薄れてしまうのだろうが、常に勉強し続けながらも患者さんの命や生活を守る重要な存在であるはずなのに、なぜこのような思いを中高生時代に抱く必要があるのだろうか。
大学に入ると植え付けられてきたイメージが違うと気付く事になる。看護学部では心理・栄養・薬理・疾病治療・生涯発達・コミュニケーション・文化・社会・情報・自然環境など、人間をとりまく基本的な内容を身に付け、患者さんの生命と安全を守るために多くの知識や患者さん中心に考えるための系統的な思考について学ぶ。看護師になるまでに必要な総授業時間数は、看護師等養成所の運営に関する指導要綱によると、3000時間以上、97単位と定められている。一般大学に比べて必修の授業が多く、一週間25コマのうち、私の大学では4年制の学部生は18コマ、3年制の社会人編入の学生は23コマ埋まっている時期もあった。このように忙しいカリキュラムの中でも、加えて実践的な実技・知識の習得のために、授業の空き時間には看護技術の練習も求められる。看護技術は、一つ一つの技術が身体への負担や患者の安全において考慮されており、習得するにはとても苦労する。
実習では、それらを確実に対象者への看護の実践に活かして働いている看護師さんの指導を受けた。そこでは、患者さん中心の看護をする上で心理社会的な要素だけではなく、病気に焦点をあてた自然科学的な要素も看護師は視点として持っておく必要があり、その煩雑さには大いに悩まされた。
看護実習の中で一番大変と言われている臨地実習は約半年間、7時半病棟集合16時解散で、小児・成人・老年・周産期・地域といったライフステージごとの領域別に、様々な施設で様々な対象者と向き合う。記憶に新しいのは、老年の実習で認知症の患者さんを受け持たせて頂いた時のことである。
私が担当した患者さんは、自宅で食事中に食べ物を詰まらせてしまったことから入院した、認知症の方だった。数字や文字は認識するのが難しいという症状があるが、感情はしっかり残っている。感情が残っていることは、認知症という疾患が脳の障害による疾患であるという知識がなくては理解できないだろう。認知症は一般的に、何を言っても理解できないと誤解され、虐待を受けやすい存在でもある。よって、彼のことを理解する上では、認知症という疾患の病態生理をまず理解することが重要であると再確認させられた。そして、要介護度5でありほぼベッド上で寝たきり、両腕だけが動かせるような状態だった。入院生活でのストレスや暴力的になっていることから、自らのベッドの柵や栄養を入れる管を勝手に外して安全が保たれなかったり、リハビリを拒否したりする、といった問題行動がみられていた。そこで私は、彼がかつて貿易会社に勤められ世界を行き来していたこと、そしてトランプや賭け事が大好きだったという社会的背景から、回想法という心理療法を用いて世界地図を紙に印刷したものを病棟のベッドサイドで彼に見せ、懐かしい思い出をよみがえらせたり、一緒にトランプをしたりした。その結果、彼の精神状態は落ち着いて頻繁に笑顔が見られるようになり、リハビリにも積極的に参加してくれるようになったのである。このことから、彼にとって安全でかつ一人の人間として尊重される入院生活を送れるように、看護師は生活のサポートをする、とても身近な存在であるということを実感した。
さらに、彼の腰部には大きな褥瘡(床ずれ)があり、その清潔を保つために定期的にケアをしたり、同じ部位に体重がかかって皮膚を傷つけないように体位変換をしたり、口から栄養が取れないため1日に3回決まった時間に経管栄養を行ったり、薬をその人に合った方法で与えたりすること等も行った。こういった事も看護師の仕事の内である。全てのケアについて、何のためにその患者さんにそのようなケアを行うのか、という根拠を現場の看護師は理解して行っている。私は、それまでに習った全ての知識や技術を生かさなければ、ケアすることはできないということを実感した。それはつまり、看護師さんが患者さんと真摯に向き合って"どのようにすれば患者さんの生活をより良くする事が出来るか"を考えることができるか否かで、患者さんが病院でもその人らしく生活できるかどうかを大きく左右するのだ。実際、患者の少しの異変に気づくためには、専門的知識や理論的思考、幅広い知識を元に発達していくものとされている直観力が臨床において重要であると言われており、しっかりとした教育を受けなければ、患者さんを一人の人間として尊重するような関わり方ができないのではないかと考えられる。
これが看護学部で学ぶ看護師の一つの現実である。看護師ってやはり「大変」だというイメージを助長してしまったかもしれない。しかし、一般大学に行ったとしても、看護学校の4年間と同じくらい大変な就職活動があると考えれば、看護学校での生活は精神的にも鍛えられるため、そこまで辛く感じない。さらに、大学生活での経験の多くは、自分自身の人生についても考える機会にもなり、有意義である。看護をする上で自分の性格や思考の傾向を把握し、自分自身とも向き合う必要があるからだ。看護師は国の定める資格であり、資格さえあれば全国どこでも看護職として働けて、なおかつ再就職にもほとんど困らない。もっとも離職率が高いため、現場での働きやすい環境の整備は同時に進めていくべきだと考えられるが、女性としてワークライフバランスを考えた人生計画を立てる上では、働き続けやすい制度が整っていると考えられる。
看護学部で学んだ後も、将来の選択肢は多様である。臨床の看護師以外にも、保健師や助産師で別の専門職になる道、さらにキャリアを積めば大学教員や研究者になる道、政策やヘルスケアビジネスの分野で活躍する道だってある。このように、看護で学ぶ内容や看護職という職業は、どのような道に進んでも自らの可能性を広げることが出来るため、とても魅力的である。
最初に述べたとおり、看護師に対する一般的なイメージは現実に追いついていないため、私は看護師についてより多くの人に、特に中高生に知ってほしいと考えている。そのためには、看護師自身が情報発信をする必要があると考えている。かの有名なフローレンス・ナイチンゲールは「看護覚え書」という本を著し、看護の知識や技術は一般市民が身近な人の健康を守るためにも役立つもの、といった内容を唱えていた。当時その本は多くの人に読まれたことで、人々のヘルスリテラシーを向上させたのではないかと考えられる。現在、多くの健康情報がインターネット上に溢れている。それらの多くに、看護学部で学ぶ内容も含まれてはいるにも関わらず、看護師が発信したと分かるものは少ない。情報化が進んでいる中で、看護師が人々の健康的な生活を支える役割がある職業だと認識される機会が少ないのではないだろうか。そこで、私は役割を知ってもらうためには、自ら情報を発信する責任があるのではないかと考えた。誰でも発信できる時代だからこそ、一次情報に価値があると考えたからだ。それを実現する手段として、まずは「M-Labo」という医療系メディアを他大学の学生と一緒に立ち上げ、運営を開始した。まだまだ試行錯誤ではあるが、もちろんこれに留まらず、より広く様々な所で発信していきたいと思う。
大学で4年間学んだ今の私にこそ、高校の先生や予備校の先生に看護師とは如何なるものか伝えることができるのだと考えている。看護師の役割について伝えることは、看護師の未来を守るだけでなく、病院にかかる多くの方を救うことにもつながると信じている。看護師は患者の守護神である。もし、この文章を読んで看護学の可能性に興味を持ってくださる高校生がいたら、ぜひ看護学部に入学してほしい。教育者には看護のことをかつてのイメージだけで伝えるのではなく、新しい学問領域として前向きな視点で伝えてほしい。
(2014年10月9日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)