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蝶野正洋、30年連れ添う妻はドイツ出身。「中2レベル」の英語でも意思疎通ができるワケ

花束を持って訪ねた日々から30年。「No give up」の精神で積み上げてきたもの

言葉も知らない、知人もいない異国の地で突然暮らすことになったら?

プロレスラー、蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)さんの妻、マルティーナさんは約30年前、まさにこのような事態に遭遇した。

結婚を機に、故郷ドイツを離れて来日。当時はもちろん、言葉を気軽に調べられるインターネットやスマートフォンもない時代。

それでも彼女は、逆境を乗り越えて日本に根を下ろし、妻、母、ビジネスウーマンという3足のわらじをはきこなしている。

Jun Tsuboike

夫妻の会話は大半が英語だが、蝶野さんの英語力は、自称「中学2年生レベル」。

それでも、マルティーナさんにはちゃんと伝わる。それは、夫妻が長年築いてきた立派なことば、“蝶野語”と呼ぶべきかもしれない。

そんな二人に、異言語間でのコミュニケーションの秘けつを聞いた(以下、敬称略)。

■言葉は通じなくても愛を伝えたい。花束を手に猛アプローチの日々

── まず、お二人のなれそめからお聞かせください。

蝶野 1987年、武者修行として参加した初の海外ツアーでドイツのブレーメンを訪れたんです。その時、友人に連れられて行ったホームパーティーで、マルティーナと出会いました。

当時ヨーロッパは、まだ東洋人が少なくて、距離を置かれることもありました。言葉も通じません。俺は、孤立感からすっかりホームシックになってしまって、ホテルとトーナメント会場を行き来するだけの生活。でも、オープンに接してくれるマルティーナに、好感を持ちました。

Jun Tsuboike

── どんな風にアプローチをしたのですか?

蝶野 それから1週間、花束を抱えて毎日マルティーナの仕事先へ行きました。そりゃあもう、試合より忙しかったよ(笑)。ディスコやアイスショーなどに誘いましたが、ろくに言葉も通じず、何回も振られました。

「ならば、髪型をかっこよくしよう」と理髪店に行っても、説明ができない。雑誌を見せて「こんな感じにしてくれ」と頼んだら、チリチリパーマにされてしまってね。仲間のレスラーたちに爆笑されました。

Jun Tsuboike

── マルティーナさんは、蝶野さんにどのような第一印象を持ちましたか?

マルティーナ 「大きなアジア人」(笑)。ブレーメンは小さな町で、当時アジア人はほとんどいなかったんです。「日本」で思い浮かぶのは、家電製品の「メイドインジャパン」くらい。でも、彼は何度も花束を持って来てくれて、少しずつ心が動きました。

Jun Tsuboike

 ── 蝶野さんはその後、ドイツからアメリカへ移ったのですね。

蝶野 仕事を求めてアメリカのいろんな州を巡るといった、旅芸人のような生活を送っていました。しばらくすると、マルティーナが、訪ねて来てくれたんです。自分を信頼して、知らない国まではるばる会いに来てくれた。それが決め手になって、真剣に交際することになりました。

それから、やっとギャラで暮らしていけるようになって、彼女を呼び寄せたんだけど、今度はビザのトラブルで日本に帰国することに。その時、マルティーナから「結婚するか、しないならドイツに帰る」と迫られたんです。それで、腹をくくって1991年に結婚しました。

■「バスオイル」が「天ぷら」に? 日本暮らしは買い物も一苦労

蝶野 帰国直後は、俺の兄と3人で同居し始めたんだけど、俺は1週間後にはツアーに出ていきました。兄も忙しくて不在がちでした。

── マルティーナさんは、いきなり一人残されて大変だったのでは?

マルティーナ それはもう大ショック。突然、東京という大都会に来て、頼れる人もいないし、電車の乗り方さえ分からない。思っていた以上に言葉の壁もありました。

ある日、肌が乾燥したので、買い物に出かけて「バスオイルありますか」と英語で聞いたら、店員さんたちが集まって「オイル? ああ、天ぷら?」と話している(笑)。

Jun Tsuboike

文字も全く読めないので、飲み物やお菓子も何種類も買って、一つひとつ中身や味を確かめていきました。

── 一番つらかったことは何でしょうか。

マルティーナ 話し相手がいなかったことです。ドイツ語や英語が話せる友だちもいないし、SNSもない。当時、国際電話はすごく高くて、ドイツに電話すると1回1万円くらいかかってしまう。お金もなかったし、電話もできず、孤独でしたね。

Jun Tsuboike

■夫婦ケンカのたびに「ドイツに帰る!」 それでも夫が一番の友だち

── 孤独を乗り越えるきっかけになったことはありましたか?

いまでも友だちをつくるのは難しいんです。私を見て、心を閉ざしてしまう人もいます。でも、少しずつ外に出て、街の様子を見ていきました。夫のコスチューム作りなど、仕事にも没頭しました。

2000年には会社を立ち上げて、日本人スタッフとも話をするようになったし、子どもができてからは、とにかく大変で、それどころじゃなくなりました(笑)。

── ドイツへ帰りたいと思ったことはないですか?

マルティーナ 確かにありましたが、自分で決めたことは最後までやり通したい。「No give up」の精神で頑張ってきました。それに日本に来て30年、仕事も家庭も夫と一緒に一つひとつ、積み上げてきました。簡単に投げ出すことはできません。

Jun Tsuboike

私は動いているのが好きで、30分買い物をしたら次は運動、次は掃除と、毎日分刻みのスケジュールで行動しています。

夫婦で始めたアパレルブランドでは、衣装デザインを担当しています。だから、友人とゆっくり過ごす時間もあまりなくて、一番の友だちは夫です(笑)。

蝶野 ケンカすると必ず「ドイツに帰る!」と言われて、最初の20年くらいはそのたびに「帰っちゃったらどうしよう」とおびえていました(笑)。今も1日1回くらいケンカしますけど、さすがにもう思わなくなりましたね。

マルティーナ 今はケンカもどんどん短くなって、3分だけ。その後は、すぐ忘れちゃう。

■その人の職業や地位ではなく「人となり」を知る。言葉の壁の乗り越え方

── 日本に対して、どんな印象を持っていますか?

Jun Tsuboike

マルティーナ 日本人とドイツ人は似ていますね。清潔で、マナーを守り、礼儀正しい。ただ、ドイツ人は非常に率直で、好き嫌いやものごとの評価をあからさまにする。日本人は人当たりがソフトなところが素晴らしいと思います。

でもねえ……、ラーメンをすする音!「ずずーっ」!(震えあがるジェスチャーをしながら)あれだけは嫌いですね。今も慣れません。

── 最近はインターネットや翻訳ソフトなどのツールが発達しました。便利になったと思いますか?

マルティーナ 本当にそう思います。昔は何でも夫に聞いていましたが、今は夫ではなく、まずインターネット検索(笑)。漢字の看板も名刺も、アプリで翻訳できる。30年前にこうしたツールがあったら、私は今ごろ、大企業の社長になっていたでしょう(笑)。

蝶野 俺も、マルティーナとのメールのやり取りなどは翻訳ソフトを使っています。スペルが怪しい単語が多いので(笑)。

── コミュニケーションで最も大切なことは、何でしょう?

蝶野 伝えたいという意思と工夫だね。海外遠征でも、最初は食事の時も隣の人の皿を指して、同じものを注文することしかできませんでした。でもそのうち、イタリアンレストランで卵を割るしぐさをして「コッコッコ」と鶏のまねしたら、ちゃんとカルボナーラが出てくるようになった(笑)。

マルティーナともこうやって30年間連れ添ってるし、身振りと片言の英語でも、意思を伝えることができるんですよ。

マルティーナ 正直なところ、日本で言葉の壁を感じることはまだまだあります。ただ、いまは、日本語、英語、ドイツ語、身振り手振りのミックスで、コミュニケーションが取れるようになりました。

自分が心を開いてさえいれば、コミュニケーションは取れるものだと、この30年間で学びました。大事なのは、その人の職業や地位ではなく「人となり」を知ろうとする気持ちだと思います。

Jun Tsuboike

言葉がうまく通じない状況で出会いながらも、互いの努力で愛を育んできた蝶野さんとマルティーナさん。マルティーナさんのように、仕事や家庭の都合で居住したり、旅行で訪れたりする外国人は、日本でも今後増加していくと予想されている。

日常的に外国語に触れる機会が増えていくなか、「言葉の壁をいかに乗り越えるか」が、社会課題となりつつある。その解決策の一つを提示しているのが、NTTドコモの「はなして翻訳」だ。

「はなして翻訳」は、リアルタイムで相手の言語を訳してくれる「対面翻訳機能」などが搭載されたスマートフォンアプリ。行きたい場所へのルートが分からない。食べたいメニューをうまく表現できない。目の前で困っている人の手助けをしたいけど、言葉が通じない。そんな場面で、スムーズなコミュニケーションを助けてくれる。

NTTドコモは、「はなして翻訳」をはじめ、さまざまな個性に寄り添い、一人ひとりが自分らしさを発揮できる社会を実現するための取り組みとして「For ONEs」を掲げている。

「テクノロジーの力で、コミュニケーションがどんどんラクになっている」と語っていた蝶野さん夫妻。私たちが心を開き、一歩踏み出すだけで、新しい世界が広がるのかもしれない。

(取材・文:有馬知子 撮影:坪池順 編集:磯村かおり)

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