「健康でいたい」と多くの人が思うものの、世の中には健康や医療の情報があふれ、どれが信頼できて、自分に合ったものなのか分かりづらい。
また、会社の健康診断の前後数日は健康に気をつけていても継続できない……という人も少なくないだろう。
そんな悩みを解決する糸口が、「遺伝子情報全体を示すゲノム情報とビッグデータの活用にある」と話すのは、NTTライフサイエンスを立ち上げ、トップに就任した是川幸士氏だ。
是川氏は、企業が社員の健康をサポートする「健康経営」という考え方に着目し、「社員が健康に働ける環境を整えることで、企業の価値は上がる。鍵を握るのは、よりパーソナライズされたデータにある」と語る。
NTTグループが見据える、健康の未来像とは?
―― まず、NTTライフサイエンスがめざす未来像を教えてください。
社員の健康状態が向上することは、企業にとっても大きなメリットがあります。社員が健康的に働くことが、企業の業績にもつながっていくでしょう。
同時に、少子高齢化が進んでいる日本社会にとっても、多くの人が健康でいることは、医療費や社会保障費の適正化というメリットをもたらします。
とはいえ、私たちで難病問題まですべてを解決するというのは現実的な目標ではありません。私たちが着目しているのは、生活習慣病です。予防医学の観点から、生活習慣病のリスクを低減させることをめざします。
「健康診断前後だけ気をつける」から脱却するには?
私もそうですし、皆さんも思い当たる節があるかもしれませんが、会社で健康診断をやりますよね。その前後数日は、食事やアルコールを少し節制したり、数値を見て「気をつけないといけないよなぁ」と思ったりするでしょう。
しかし、数日経てば元どおりで、食事も普通に食べています。せっかく、検査をしてもこれではもったいない。
生活習慣病は、文字通り生活習慣が関係している病気ですから、日々の生活そのものを正していかないとどうしようもないのです。
現状、社員にとっては、起こり得るリスクが“自分事”になっておらず、健康意識が高まるような仕組みはあまりありません。健康診断や人間ドックは受けるものの、継続的な行動変容にはつながっていないことからも明らかです。
企業にとっては、健康経営の重要性は頭では理解しているものの、具体的に何をやったら良いのか分からず、従業員に定期健康診断は実施しているものの、集まったデータの活用には至っていない。
そこで、私たちが提供する「健康経営サポートサービス」では、起こりうるリスクをより自分事として捉えてもらうために、健康診断などのオプション項目に遺伝子検査をつけています。あなたのゲノムデータから導き出された情報ですよ、と個々人にどのようなリスクが高いのか、よりパーソナライズされた情報を渡せるシステムです。
健康的な生活を「続ける」方法って?
―― しかし、現実の人間はそこまで合理的な判断を下せるわけではない。健康に気をつけろ、食事を節制しろと言われても、ついつい食べてしまう。
そうです。だからこそ「行動変容」まで促したいというのが、サービスの狙いです。例えば、自身の健康情報にアクセスできるアプリを導入し、生活習慣の見える化をめざします。ばく然と健康に良い生活をめざしましょう、減量しましょう、運動しましょうというだけではなく、アプリを介して、定期的に科学的に裏付けがある健康情報を送るということを考えています。
1人では持続しないダイエットでも、友達と一緒なら頑張ることができるという人もいると思います。その場合は、職場の仲間同士でダイエット情報を共有することで、モチベーションを維持するといった仕組みも考えられます。
逆に1人で黙々とダイエットに取り組みたいという人には、定期的にメッセージを送ったほうが効果的かもしれない。
流行している言葉を使えば、ナッジ(※英語でひじで軽く突くことを意味する。 行動経済学では行動を変化させる工夫のこと)をどう提供できるかがポイントです。情報の提供の仕方一つで、人間の行動は変わります。
健康に働きたいという目標のために、個人にとって最適化された行動を促す仕組みを作っていきたい。それは、今の技術で十分に可能だと思っています。
ゲノム情報でどこまでリスクが分かる?
―― ゲノム情報の解析でどこまで生活習慣上のリスクが分かるものでしょうか。
よく聞かれることなのですが、私たちはゲノム情報の解析ですべてを理解できるとは思っていません。研究が進行中の分野でもありますし、今の段階ですべてが分かるわけではないと言われればその通りです。
私たちは、NTTグループも含めた社員の健診データと生活習慣が分かる問診のデータを経年で蓄積しています。これは個人に関する文字通りのビッグデータです。そこにゲノム情報を掛け合わせることで、生活習慣と病気の関係について、より理解が進むのではないかという仮説を持っています。
これは私たち単独ではできないので、大学とも提携して、研究を進めていく予定です。
ゲノム情報は「究極の個人情報」、流出リスクは大丈夫?
―― ゲノム情報は究極の個人情報と言われています。流出した時のリスクはこれまで以上に高い。情報の取り扱いが問われてきそうです。
その通りです。例えば「この人は病気のリスクがありそうだから…」として人事面などで不当な扱いがあっては絶対にいけません。これまでの健康診断でも同じですが、あくまで、個人のデータは個人のものであり、他の誰にも開示しません。自分の情報にアクセスできるのは、自分だけです。
私たちは医療系の研究者とも組んで、ビッグデータ解析を進めますが、研究利用も含めて、ゲノム解析については必ず本人の同意をとります。本人同意がないデータは研究に使いませんし、同意がない限りゲノム解析もしません。法的にも他の個人情報と同等の扱いが求められており、厳重な管理に努めます。
集めたデータについても、取り扱うことができるのはNTTライフサイエンス社のみであり、社内でも万全のセキュリティ対策をします。
たとえNTTグループの企業であっても、データそのものにアクセスすることもできません。あえて新たに会社を設立したのもこの取り組みのためで、会社そのものがファイヤーウォールなのです。
研究などについては、統計処理を施した後のデータを使います。本人が特定されるようなことはありません。
健康のお手本「スーパーヒーローモデル」って何?
―― 資料の中に「スーパーヒーロー」モデルを探りたいという言葉がありますね。何やらものすごいプロジェクトになりそうな気がしますが……。
すごい言葉ですよね(笑)。これは病気にかからない究極の人間を探すという話ではなく、ゲノム解析上は生活習慣病リスクが高いのに、病気になっていない一群を「スーパーヒーロー」と定義しています。
この人たちはいったい、どのような生活を送っているのか。統計的なデータから研究を進めて、モデルとして構築したいということですね。
「あなたは〇〇病のリスクが高いことがわかりました」というだけでは、健康経営のサポートとは言えない。スーパーヒーローモデルを作ることができれば、あなたのリスクは高い、でもあなたと同じようなリスクを抱えていた「スーパーヒーロー」は〇〇な生活を送ることで、病気のリスクを回避していますよ、という具体的な情報をお伝えすることができるわけです。
単なるデータ解析では終わらせず、行動変容を促すためにはこうしたモデルも必要だと思っています。ビッグデータの強みは、医学的に因果関係を証明しようとすると何年もかかるようなものであっても、事実として何が起こっているかを知ることができる点にあります。
研究者が注目しているのは、健康な人から大規模なデータを集めることができるという点です。特定の疾患がある人について、ゲノムレベルの検査、研究はありますが、今回のプロジェクトは違います。私たちのデータから、社会に貢献できる何か新しい発見が生まれるのではないかと期待しています。めざすのは、10年、20年後に健康であることです。
(取材・文:石戸諭 撮影:鈴木保浩 編集:中田真弥)