私は、フランスに居る時に歴史的一大事に遭遇するというめぐり合わせがあるようだ。
ひとつめは、「9.11」。つまり2001年9月のニューヨークのWTC(ワールド・トレード・センター)への航空機自爆テロだ。その時私はパリにおり、フライトが未定になったり、日本に帰国する便がなかなか取れず難儀した記憶がある。
ふたつめは、2015年にパリで起きた、シャルリーエブド社への襲撃テロ(風刺週刊新聞である『Charlie Hebdo』の本社がイスラム過激派に襲撃され、同紙の編集長をはじめ、社内にいたコラムニストや漫画家、警護の警官を含む12人が殺害された事件)である。その時もパリにおり、アパルトマンの一室で、空港の封鎖が解除されないと「帰国できないな」とテレビ中継を見ながらやきもきした記憶がある。
19時ごろ、ニュース速報で飛び込んできた
そして、4月15日にパリで起きたノートルダム寺院の大火災である。今回はパリではなく、パリの南西部にあるトゥールーズの家で、仔細をテレビの実況でみることとなった。出火が19時頃と言うこともあり、テレビでニュース速報が飛び込んできた。そして、現地からの中継に画面が切り替わる。
テロップで、マクロン大統領とフィリップ首相が現地に向かっているとの一報。セーヌ対岸からの映像では、屋根は木造構造なので相当な火勢と煙であったが、大統領が現場に行くくらい大変なことなのだと思わされた。
そうこうしているうちに、400人に上る消防士達の必死の努力にもかかわらず、火の手は強まり、ノートルダムの象徴である「la flèche」と呼ばれる90メートルを超える中央の尖塔が崩壊。テレビ中継の現場からは悲鳴のようなものが聞こえる。この映像は繰り返し流され、私の中で「9.11」のWTCの崩壊の映像と重なった。
翌日の早朝鎮火されるまで、テレビは夜を徹して消火活動の実況していた。ステンドグラスの一部は屋根の消失によって失われた可能性があるようだが、幸い「いばらの冠」などの聖遺物や絵画は無事なものもあるとのことだ。
実は、ノートルダム寺院の火災が起きた日の夜に、「gilets jaunes(黄色い蛍光ベスト)運動」への対応として数か月にわたり全国で行われた「grand débat(国民大討論)」における大統領の総括演説が行われる予定であった。しかし、早々に延期が発表された。この発表は、この火災がフランス人にとってそれほど重大であることを示していると言えるだろう。
修復には巨額な資金、長い時間が必要になる
23時頃に、類焼の危険がなくなったことを受けて、現地でマクロン大統領は悲痛な面持ちでスピーチを行った。消防士たち(実は、フランスでは消防士はカッコよい、とても、もてる職業である)を労うとともに、「最悪の事態(寺院の崩壊)は避けられた。我々で寺院を再建しよう。それが我々の運命なのだ」と強く訴えた。
大統領が現地に向かったというニューステロップが流れたのが19時すぎだったから、現場に4時間近くいたのであろう。大統領官邸は近いので一度戻ったかもしれないが、スピーチは現地で行っている。首相や他の閣僚の顔も見えた。
フランス人にとってノートルダム寺院がどれほど重要であるかを欧州の人たちもわかっているようである。テレビの中継の間に、テロップでメイ首相やメルケル首相など欧州各国の首脳からの哀悼のメッセージが続々と流れる。この時点で修復には、巨額な資金は当然として、20年近い年月が必要であろうといわれていた。
ここでもトランプ大統領は道化であった。早速、「一大事だ。なんで空から水をまかないんだ!」とお得意のTwitterでつぶやくと、すかさずフランス当局にTwitterで「寺院崩壊の危険性と周囲へのダメージの拡大があるので慎重に消火作業を進めている」と応酬され、炎上。さすが、薄識な大統領の面目躍如である。
フランス国家を象徴する非常に重要な存在のノートルダム大寺院
翌16日早朝の鎮火を受けて、同日夜8時よりマクロン大統領はテレビ演説を行った。この中で、大統領は、国民の力を結集し、なんと5年間(2024年のパリ・オリンピックを意識したのであろう。石材や歴史的建造物としての制限など課題も多いが、デジタル技術など最新の技術を駆使すれば、あながち無謀ではないであろう)で再建すると宣言した。加えて、前日に予定していた「国民大討論」の結果を踏まえて決めた施策の発表を再度延期した。当然政治的思惑はあるのだが、国民にとっての優先事項は明らかに、ノートルダム寺院の再建であるわけである。
ノートルダムの再建は国家プロジェクトであると語る大統領の言葉に、概ね国民は異存がなさそうである。前向きだ。
日本であればおそらく、出火原因で犯人捜しにマスコミが奔走するところだろう(日本人はこの手のことの原因や動機に異常に拘る傾向が強い)が、フランスでは多くの人々の関心はそこにないので、マスコミも大きな話題にはしない(当然、失火の原因については厳しい捜査がなされると当局が言明している)。
周囲のフランス人たちと話しをするにつけ、ノートルダム寺院は、パリの人々のみならず、カトリック信者のみならず、フランス人にとって、フランス国家を象徴する非常に重要な存在であると感じさせられる。多くのフランス人にとって相当な精神的ショックであるようだ。東大寺の大仏殿や法隆寺が消失した場合、多くの日本人は残念がることはあっても、果たしてこれほどの精神的なショックは受けるであろうか。中には、寺院の尖塔の崩落は、「9.11」のWTCのツインタワーの崩落と同じくらい精神的にショックであるとの意見もあった。また、尖塔が再建されても元には戻らない。ひとつの「終わり」であるとまでいう人もいた。
歴史的にみると、現在のノートルダム寺院は12世紀から14世紀半ばまでに建造されたものだが、フランス革命時にはすでに中央の尖塔は撤去されており、革命時に破壊され、荒廃していた。
現在のように国民にとって国家の象徴的な存在になるのは、ヴィクトル・ユーゴーが主導した国民的なノートルダム寺院復興運動に後押しされて、政府による抜本的な補修が行われた19世の半ばになってからのこと。崩落した尖塔もこの時の修復時に建造されたもの(14世紀の時代を想定した復元と言われるが)である。約150年以上にわたって、ノートルダム寺院は国民の間で、フランスの象徴として受け止められてきたわけである。
復興には多額の資金が必要になるが、火災後すぐに、ルイ・ヴィトンを傘下に持つアルノー氏やグッチを傘化に持つピノー氏などのフランス市民には評判の悪い超富裕層などから800億円近くの寄付が瞬時に集まった。この辺りも「オールフランス」である。その後も寄付は、ディズニーやアップルなど、フランスの国境を超えて集まっているようである。すでに募金額は、1000億円も超えたという報道もあり、ロシアのプーチン大統領までが技術者を派遣すると申し出ているそうだ。国際的な支援の動きはフランス人のプライドをくすぐるが、「不思議だ」 という人も多い。
分断に向かうフランスを救う、神の助けになるか
また、いかにもフランスらしいのは、今回の火災によるノートルダム寺院の再建を「元に戻すこと」を前提に考えていないということである。フィリップ首相は、現地時間16日未明に崩落した尖塔の再建にあたっては、設計案を国際的に公募するとし、その前提として、尖塔を以前の様に復元することにはこだわらない、つまり、新しい設計の尖塔もありのゼロベースで考えると言うことである。当然、右派の共和党や極右のル・ペン氏などは「復元しろ」と主張して、また政治のネタにしているのだが。ここに、再建(rebâtir)というが復元(restaurer)とは言わないゆえんがある。日本では、損壊したのが歴史的建造物の場合、すぐに復元に話が行きそうであるのだが、そこはやはりルーブル美術館の前庭にガラスのピラミッドを建てた国である。
マクロン大統領は、「この歴史的悲劇をフランスの新しい歴史作る、前を向いた国民を一体化(solidarité=連帯)する国家プロジェクトにする」と言っている。再建に向けた国民の連帯は、ある意味でフランス・ナショナリズムの喚起であり、国民もその方向を向いているように感じる。
そうなると、政治的な意味が出てくる。読者もご存知のように、フランスもル・ペン氏に代表される極右ポピュリズムが台頭し、昨年暮れからは黄色い蛍光ベスト運動が加わって、国家が二分されつつあったわけである。
しかし、今回のノートルダム寺院の大火災という惨事がもたらした、国民的連帯の潮流をマクロン大統領はうまく利用したいと考えているはずだ。実際、今回の大火災で、大きな課題であった「国民大討議」の結果を踏まえて決めた施策の発表を後日に延期したが、今のところ、その日程は未定である。
ことあるごとにマクロン大統領を非難する右派の人々も、今回の火災に対する大統領の対応を大声で攻撃はしていない。火災後すぐに大富豪による高額の寄付が集まったことに対して、税額控除目あてである(彼らは控除を辞退している)とか石の教会にはするが、貧困者にはお金を寄付しないのかと非難する意見もでている。
現状を見るに、マクロン大統領の期待したであろうノートルダム寺院再建一色でもないが、富豪の募金に怒った黄色い蛍光ベスト運動は思ったほど動員は盛りあがらなかったといえよう。私見では貧困問題も環境問題も重要であるが、ノートルダム寺院の再建も重要事項であるという最低ラインの了解は国民の間にはあるようだ。
紆余曲折はあるだろうが、フランスが連帯へと向かうのであれば、今回のノートルダム寺院の大火災という出来事は、分裂にむかっていたフランスを救う、まさに神の助けなのかもしれない。
翻って、日本を見るに、フランス人にとってのノートルダム寺院とは、日本人にとってどのような存在になるのであろうか。ある人が、「富士山が噴火して、あの綺麗な形がなくなって無残な山になってしまった」と言っていたがそのようなところであろうか。
富士山を再建するのはいくら何でも無理である。新元号は果たしてどうか。見るに新元号は格好のイベントではあるが、政権の望む国民の団結には程遠いだろう。
東日本大震災をみてもわかるが、日本人は自然災害の際に、絆を深めてきた。そこには、諦観を旨とし、現実を打破しようとしない「仕方ないね」という日本人の特性が色濃く表れるのかもしれない。