安倍首相はほんとうに国民を守ろうとしているのか/北朝鮮のミサイル発射

本当に国民保護をするなら、ミサイルが発射されないよう渾身の力を傾けるべきだ。

「北朝鮮のミサイル発射で地下鉄や新幹線を止めたんだって? 日本の慎重さ...石橋をたたいても渡らないような社会であることはよく知っているけど、あきれてしまった。ミサイル落下時にはガラス窓から離れるように、と政府が呼びかけているそうだけど、核ミサイルだったらどうするの? 思わず笑ってしまった」

韓国大統領選の取材でソウルを訪れ、東京特派員も経験した友人の元ジャーナリストと話していてこんなことを言われた。私は反問した。

――確かにソウル市民は平静なようにみえる。戦争が起これば、「ソウルは火の海」といわれているのに、どうしてこうも平静でいられるのか。

友人はこう説明してくれた。

■内戦を知らない日本人

「われわれは戦争を知っている。それも朝鮮戦争という内戦だ。同族、身内同士が殺し合う内戦はいかに悲惨なものか。その戦争の砲火が止んでまだ64年...それもいまだ休戦の状態だ。悲惨さの記憶は北の人間にもしみついている」

「加えて、いまの南北の国力差と周辺情勢。北は、戦争が起きたとたんに自ら滅んでしまうことを知っている。そのことも、あの内戦で十分に実感できている。戦争は簡単には起こらない」

「それに比べて日本はどうか。日本は戦後72年というが、日本人が体験したあの戦争は内戦ではなかった。地上戦も、沖縄以外は経験していない。日本の本格的な内戦といえば、400年以上も前の関ヶ原の戦いだろう。日本人にはわれわれ韓国人の戦争観は分からないだろう」

淡々とした口調でこう語る友人に、私はしばらく返す言葉を失った。日本の内戦は「関ヶ原」の後も実際には起きている。近くは戊辰戦争(1868~69)のことが思い浮かぶ。しかし、それももう150年近くも前のことになる。戦場はかなり限定され、死者は1万人前後だったようだ。

■死者400万人の朝鮮戦争

それに比べると、朝鮮戦争という内戦は、朝鮮半島のほぼ全域が戦場となり、死者は一説に、南北合わせて400万人ともいわれる。太平洋戦争における日本人の死者総数が310万人とされること、朝鮮半島の当時の人口が日本の半分以下であったことを考えると、それはいかにすさまじいものであったか。それによって南北に散り散りになった離散家族は1千万人ともいわれ、今なお、その傷はうずいているのである。

友人の元ジャーナリストは日韓の置かれた立場の違いについてこうも言った。

「この60年以上にわたる休戦期間中、韓国はずっと前線で北朝鮮と向き合ってきた。その間何度か『戦争再発の危機』があった。でも、その度ごとに避難騒ぎをしていたりしていては、日々の生活もままならない。この気持ちは、海を挟んだ日本にあっては分からないだろう」

■日本海が前線に

前線といえば、先月、防衛大学校の倉田秀也教授が次のような指摘をしていたことが強く頭に焼き付いている。4月21日付産経新聞「正論」欄である。

≪クリントン政権下、後に「第1次核危機」と呼ばれる1993年から94年、北朝鮮は既に韓国を「人質」にとっていたが、日本はまだそうはなっていなかった。...従って「第1次核危機」の前線は軍事境界線に引かれていた。だからこそ、板門店での南北協議で北朝鮮代表は「ソウルを火の海にする」と述べた。

四半世紀後、北朝鮮は日本も「人質」にとる核ミサイル能力を蓄積し、米本土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実戦配備に及ぼうとしている≫

そして、いまの危機。倉田教授は、ブッシュ政権期の「第2次核危機」に続く「第3次核危機」と呼ばれていいとして、次のように書く。

≪「第3次核危機」の前線は、軍事境界線だけでなく同時に日本海にも引かれている。過日、宋日昊・日朝国交正常化交渉大使も、今回の危機で「一番の被害は日本が受ける」と述べた≫

倉田教授はさらにいまのトランプ政権に関し、「米国が軍事的措置をとる可能性は排除できない」とし、次のように続ける。

≪それは確実に北朝鮮による「人質」への武力行使を招くであろう。ソウルへの攻撃で朝鮮半島は「戦時」に陥る。その際、さらに在日米軍基地が使用されれば、北朝鮮の反撃は日本にも及ぶ。...≫

説得力ある論考である。しかし、倉田教授はこのあと、

≪北朝鮮に対する軍事的措置は一見、同盟国を危殆に晒す非合理的なオプションだが、北朝鮮に非核化を強要し、「核の傘」の信頼性を保つためには示されてしかるべき措置とはいえないか≫

などとしている点には、私はついて行けない。

北朝鮮の「非核化」は達成できても、東京や大阪が火の海になるのでは何の意味もない。平和の確保こそが絶対に譲れない大前提だ。すべてにそれを最優先させたうえで北朝鮮の非核化を考えないといけない。北朝鮮に核を持たせてしまった今となっては時間をかけ、最後は話し合いで説得していく以外にないのである。

■政府の無責任さ

14日、北朝鮮はまたしても日本海に向けてミサイル発射実験をおこなった。稲田朋美防衛相によると、高度は2千キロを超えており、新型の弾道ミサイルの可能性があるという。

今回は電車も新幹線も止まらなかった。政府も、発射情報や避難勧告を伝える全国瞬時警報システム「Jアラート」を作動させなかった。菅義偉官房長官は「わが国に飛来する可能性はないと判断した」と説明している。

それにしてもこの間の政府の対応は無責任すぎる。その点を突いたメディアの論評などもあまり見かけなかった。

そんななかで私の心に響いた指摘が朝日新聞オピニオン面の「声」欄に載っていた。「首相官邸ツイート 無責任だ」との見出しが付いた5月4日付の無職中西幸男さん(大阪府 67)の投稿である。

そこでは、首相官邸が「弾道ミサイル落下時に取るべき行動」として「屋外では頑丈な建物や地下街へ」「屋内では窓から離れるか、窓のない部屋へ」などと呼びかけていることについて、次のように批判している。

≪安倍晋三首相は4月、北朝鮮がサリンをミサイル弾頭に装着する能力を保有している可能性があると国会答弁した。だが、日本政府が言う「国民保護」はこの程度のものなのだ。できもしないこと、できたところで何の役にも立たないことを指示する無責任さに腹が立つ≫

そして中西さんは、戦時中、内務省が国民向け冊子で「焼夷弾が落ちたら、シャベルですくい出す」などといった無意味な指導をして惨禍を広げたとし、次のように問うている。

≪本当に国民保護をするなら、ミサイルが発射されないよう渾身の力を傾けるべきだ。戦争になっても被害が及ぶ可能性の少ない米国に追従し、危機感をあおるのが愚かとは思わぬか≫

まったく同感である。

■対話へ柔軟姿勢も示す時

14日のミサイル発射について、安倍首相は米韓と連携して警戒監視に万全を期すよう指示し、「国際社会と連携しながら毅然と対応する」との方針も示したという。

しかし、「毅然と対応する」ことが、国民の安全確保にそのまま結びつくとはいえない。「毅然さ」を否定するものではないが、併せて北朝鮮との対話にも柔軟姿勢を示しておくべき時だ。折から韓国に新しく登場した文在寅大統領は「条件が整えば平壌にも行く」との決意を示している。

その文在寅氏は、こんどの大統領選に向けて次のようなことも言っていた。

「積極的な対策もなくただ非難するだけだったので北の核が兵器化したのだ。北の核問題で国際協力のもとに制裁するのも北を話し合いのテーブルに着かせるためなのだ。究極的には対話と協議だ」

「北の核問題を解決しようとするなら、国際的に制裁し、協議し、圧迫もしないといけない。しかしその制裁や圧迫すらも協議のためだ。そのような努力をまったくしてみもしないで拳を振り上げてばかりいてはなにもできない」(今年1月にソウルで発行された対談本『大韓民国は問う』の中での発言)

文在寅氏はこの間、対北朝鮮政策について金大中・盧武鉉政権で展開した「包容政策」をさらに発展させると繰り返し強調してきた。14日の北朝鮮のミサイル発射には厳しい姿勢を見せているが、対話は否定していない。対北関与政策で問題解決をはかろうという文在寅大統領の基本戦略は動かないとみられる。

日本はいま、韓国と同様、北朝鮮と前線で向き合っている。その北朝鮮への対応は、後方の米国などとは自ずと違って当然だろう。安倍首相はほんとうに国民の生命と安全を守ろうとしているのだろうか。

注目記事