北朝鮮のお正月

最初の段階では北朝鮮の正月は、陰暦の旧正月を祝祭日として考えられていたが...

=====北朝鮮の公式「お正月」の移り変わり

同じ民族なのに、韓国と北朝鮮の人が会うと変わってしまった風習のせいで違和感を感じたり不便を感じたりすることは否めない現実となった。

中でも節日文化に関しては、韓国と北朝鮮の間にかなりの差が出てきており、楽しく過ごすべき節日がかえって違和感を生むことも多くなるだろう。

代表的に旧正月の伝統が挙げられる。

北朝鮮政権は「正月」や「秋夕(チュソク、中秋節の日の称)」を陰暦で過ごす文化を中国の暦法に従う封建的遺習と見なしてその意味を大幅に縮小した。そのため、1989年までは陰暦の旧正月を祝祭日と考えなかった。

その代わりに陽暦1月1日を公式な「ソル(お正月)」として二日間の休日を定めるほか、住民に「ソル」記念の特別贈り物も供給していた。

1989年からは民族の節日の重要性を強調するように変わり、旧正月も公式な休日にしてお酒一本くらいの贈り物を供給しはじめた。

その後、2003年から旧正月の休日を3連休に拡大したが、長い間陽暦の正月を重視してきたため、北朝鮮住民のほとんどは陰暦の旧正月より陽暦の正月を大きな祝祭日と考えている。

=====お正月の伝統料理から地域色・家計水準も分かる

韓国では「お正月」に「トックッ(日本のお雑煮のような料理、お餅が主材料)」を食べる伝統があるが、北朝鮮では「カルグクス(麺料理)」や餃子のスープをよく作って食べる。

餃子スープに入れる餃子のサイズや形は地域によって家風によって少しずつ違う。

平安道地域と黄海道地域では餃子を子供のこぶし大に作って、開城地域では主に「ピョンス」という四角い形の餃子を作って丸い形で作る時も一口大に作ってスープに入れる。

咸鏡道地域は小麦粉が乏しいので餃子よりジャガイモのでんぷんで麺を作って食べ、韓国のトックッみたいに豚肉の煮出しに薄切りしたお餅を入れて食べる地域もある。

北朝鮮で節日は普段なかなか食べられないお肉が食べられる機会なので、多くの人が節日を楽しみにする。待ちに待っただけに欲張って食べ過ぎてしまい、消化不良で胃痛を訴える人や下痢で辛い節日を過ごす人など笑えないハプニングもある。

しかし、欲張って食べ過ぎることができる人もごく一部なのだ。

ほとんどは節日でも、ろくなお肉料理は思いもよらないし、頑張って少量の豚肉炒めをご飯に乗せて日本のお茶漬けみたいに豚肉煮出しをかけて一杯食べるぐらいである。

韓国では「ソンピョン」というお餅を秋夕に食べるのが伝統になっているが、北朝鮮ではある程度余裕のある家庭なら、秋夕のみならず節日の度にソンピョンを作って食べた。

ソンピョンの具を作る時に、豊かな家は砂糖やごま、えごまなどをふんだんに入れる一方、普通の家は素朴な具を作るので、ソンピョンの具はその家計の水準の表れでもあった。

しかし、配給制度が崩壊し「苦難の行軍」が宣布されてから食糧難が深刻になると、節日にソンピョンどころかおかゆを食べることも無理な家庭が増えた。

=====節日らしくない節日

私が脱北をした後もこのような状況は改善せず、むしろ節日を言い訳にして様々な名目の上納と強制労働が増える一方で、住民たちは節日の雰囲気を気楽に楽しめていないそうだ。

北朝鮮で重視する陽暦正月の1月1日、金正恩は指導者として北朝鮮住民のために何をしたか。新年の辞で、同情を買うつもりか人間的な面を見せかけて人気を上げるつもりか分からないが、自責の言葉を並べた。その自責が本当ならば今すぐにでも住民に必要な米と肉を供給し、家族と温かい節日を過ごすよう支援をするのが当たり前だろう。

しかし、金正恩政権の資金は住民たちの方に流れていないようだ。

大陸間弾道ミサイル(ICMB)の試験発射を準備する動きが見られるなど違うところで資金が費やされる状況が捉えられている。

金正恩は国務委員長「新年の辞」をスタートに、官営媒体を動員してICBMの完成を主張し国際社会を威嚇すると同時に、「北朝鮮は核強国」と宣伝することで住民たちを惑わしている。

朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」は1月20日の論評で「アメリカによる核戦争の脅威に備えて大陸間弾道ロケットの試験発射を行うことは自衛的な措置」「誰が何と言っても任意の時刻に任意の場所で発射する」とし、武力挑発に熱を上げる姿勢をあらわにした。

金正恩は新年の辞で『この世に羨むものはない』を歌った時代を再び今日の現実になるようにすると公言した。

『この世に羨むものはない』は、金日成の集権期を象徴するプロパガンダ歌であるが、実のところ金日成時代も、数十万ないし数百万と推算される大規模の飢餓・餓死が生じた90年代以降の状況と比べたら相対的に良かったに過ぎない。

ただ、今北朝鮮住民たちがその歌を懐かしく思っているなら、その理由は「金日成時代にはせめて配給があって飢え死にの心配はなかった」という意味だろう。核やミサイルは住民たちを食べさせてくれない。

「我が政権は核を保有している。なんて偉大なことか!」と繰り返し住民を洗脳させても、お腹が空いて相次ぐ強制労働で目が回る状況では、口先だけの宣伝は決して政権に対するプライドにつながるまい。

金正恩政権は、豊かで温情と余裕の中で時間を送るべき節日に、物質的な余裕を支援するどころかICBMの発射試験をすると扇動し、住民を労働現場に駆り出して、住民のために使うべき財源をミサイル開発に注ぎ込んでいる。これは、住民たちの基本的な幸福追求権を深刻に侵害する行為に違いない。

イ・エラン 韓国・自由統一文化院 院長、1997年脱北

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