北朝鮮「新人事」を読む(2)「実質ナンバー2」誕生か!?--平井久志

崔龍海氏が「党組織指導部長」か

今回の人事の重要なポイントの1つは、崔龍海(チェ・リョンヘ)党中央委副委員長の台頭だ。

昨年5月の第7回党大会では、金正恩(キム・ジョンウン)氏ら5人が党政治局常務委員に選出された。その時点での5人の序列は(1)金正恩党委員長(2)金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長(3)黄炳瑞(ファン・ビョンソ)軍総政治局長(4)朴奉珠(パク・ポンジュ)首相(5)崔龍海党中央委副委員長、というものであった。

しかし、本稿前回(1)で触れた通り、10月8日の故金正日(キム・ジョンイル)氏の総書記就任20周年慶祝大会での序列では(1)金正恩党委員長(2)金永南最高人民会議常任委員長(3)崔龍海党中央委副委員長(4)朴奉珠首相(5)黄炳瑞軍総政治局長となり、崔龍海氏は序列5位から序列3位へと上昇した。

崔龍海氏が「党組織指導部長」か

さらに崔龍海氏は、これまで除外されていた党中央軍事委員、党中央委部長にも選出された。

崔龍海氏はこれまで▽党政治局常務委員▽党中央委副委員長(旧党中央委書記)▽党中央委員▽国務委員会副委員長▽最高人民会議代議員▽国家体育指導委員長の6つの職責を持っていたが、これに▽党中央軍事委員▽党中央委部長の職責が加わったことになる。

問題は、崔龍海氏が朝鮮労働党のどの部長職に就いたかである。

韓国の情報機関、国家情報院傘下のシンクタンクである国家安保戦略研究院の北韓体制研究室は、「10月8日の金正日総書記就任20周年慶祝大会で、序列2位(金正恩氏は欠席)で報じられたことから、崔龍海氏が就く党部長職は『党組織指導部長』しかない」と指摘した。

昨年の党大会では、崔龍海氏はそれまでの党中央委書記を改編した党中央委副委員長に選出された。例えば、金己男(キム・ギナム)氏は党宣伝扇動部長であると同時に宣伝扇動担当副委員長であった。しかし、崔龍海氏は党部長職になく、担当とみられた勤労団体担当の部長は李日煥(リ・イルファン)氏であった。

『朝鮮中央通信』は、全国道対抗群衆体育大会の開幕式が10月17日に平壌体育館で行われ、崔輝(チェ・フィ)党中央委副委員長、全光虎(チョン・グァンホ)副首相、金日国(キム・イルグク)体育相らが参加し、崔輝同副委員長が開幕の辞を述べた、と報じた。

全国道対抗群衆体育大会は、日本の国体のようなスポーツ大会。以前は党勤労団体担当副委員長であった崔龍海氏が開幕の辞を述べていた。このため、崔輝氏が党中央委で勤労団体担当になった可能性が出てきた。崔龍海氏は勤労団体担当から外れた可能性が出てきたわけだ。

党組織指導部は、朝鮮労働党の「党中党」とされる核心部署であり、北朝鮮内の政務と人事を一手に握っている。それだけに、金正日総書記は、組織指導部と秘密警察の国家安全保衛部には部長を置かず、自らが兼任していた。

金正恩党委員長はこれまで、側近幹部である崔龍海氏と黄炳瑞軍総政治局長を競わせながら起用してきた。この6年間でも、崔龍海氏が上になったり、黄炳瑞氏が上になったりすることを繰り返してきた。1人の権力があまり強くなるようだと降格し、もう1人を昇格させるなどしてお互いをけん制させ、「ナンバー2」が生まれないような人事を繰り返してきた。

しかし、崔龍海氏の党組織指導部長就任が事実となると、崔龍海氏の権限は金正恩党委員長に次ぐ強力なものになる。

北朝鮮では金日成(キム・イルソン)主席の血を引く「白頭の血統」が最高指導者の根拠となっている。金正恩党委員長はだからこそ「白頭の血統」を引く金正男(キム・ジョンナム)氏の存在を恐れ、毒殺したのかもしれない。

この「白頭の血統」に次ぐ家門は、「パルチザンの血統」である。金日成主席とともに抗日パルチザン闘争を戦った盟友たちは、大きな尊敬を受けている。崔龍海氏の父はそのパルチザン出身の崔賢(チェ・ヒョン)初代人民武力部長である。崔龍海氏は「家門」という点でも、他の幹部より優位な立場にある。過去に何度も革命化教育を受けるなどしたが、パルチザン出身の崔賢氏の息子ということで難局を切り抜けてきた。

崔龍海氏が党組織指導部長の職責に就いたのであれば、パルチザンの家門の重みなどを考えると、金正恩党委員長に次ぐ権力者の地位に就いたといえそうだ。

しかし、権力の掌握に執着する金正恩党委員長が、崔龍海氏に党組織指導部長を任せるだろうかという疑問もある。崔龍海氏の権力があまりに大きくなれば、それは金正恩党委員長にとっては「潜在的なライバル」になりかねない。状況的には崔龍海氏が党組織指導部長に就任した可能性が高いが、金正恩党委員長が崔龍海氏のそれほどまでの権限拡大を容認するだろうか、という思いは残る。

趙然俊氏は党中央委検閲委員長に

党組織指導部には他の部署とは異なり、2人の第1副部長がいる。組織指導部の権限があまりに強いので、権力を集中させないために党を担当する第1副部長と、軍を担当する第1副部長に分けているのだ。これまでは趙然俊(チョ・ヨンジュン)第1副部長が党を、金京玉(キム・ギョンオク)第1副部長が軍を担当してきた。金正日時代には党は李済剛(リ・ジェガン)第1副部長、軍を金容哲(キム・ヨンチョル)第1副部長が担当し、この2人が張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長をけん制する存在だった。この2人が死亡したことで張成沢党行政部長の権限が強化されていった。

その張成沢党行政部長の粛清に中心的な役割を果たしたのが、趙然俊党組織指導部第1副部長と金元弘(キム・ウォンホン)国家安全保衛部長(当時)であったとされる。

その趙然俊氏が、今回の人事で党中央委検閲委員会委員長に選出されたのだが、党組織指導部第1副部長を辞任したのか兼務なのかは、発表では不明だ。韓国の統一部はこれで「趙然俊氏は一線から後退」とし、第1副部長を辞したという見方を示した。名誉職に就いたという分析だ。しかし、10月8日の金正日総書記就任20周年慶祝大会では序列22位でひな壇に姿があった。趙然俊氏が党政治局員候補などの職責を維持している可能性もある。

謎の朴光浩氏は党宣伝扇動部長か

まったく経歴も分からない朴光浩(パク・グァンホ)氏が今回の人事で、党政治局員、党中央委副委員長、党中央委部長の3つのポストに就いた。しかも、10月8日の金正日総書記就任20周年慶祝大会のひな壇では、党政治局常務委員の次に名前があり、党政治局員ではトップの序列で報じられ、突然ナンバー6として登場したのである。

同慶祝大会では司会を務めたが、こうした大きな行事でこれまで司会を務めていたのは、金己男党副委員長(党宣伝扇動部長)だ。朝鮮労働党では、宣伝扇動部は組織指導部に次ぐ重要部署と位置づけられており、朴光浩氏が党政治局員のトップで報じられ、金己男氏の代役を果たしたことから、引退した金己男氏の後任との見方が強まっている。

韓国の国家安保戦略院は、朴光浩氏が党宣伝扇動担当副委員長兼党宣伝扇動部長に起用された可能性がある、とした。同院は、朴光浩氏がこうした破格の抜擢をされた背景には、「彼の能力を認めた金与正(キム・ヨジョン)党宣伝扇動部副部長の推挙による可能性もある」とした。金与正氏は、金正恩党委員長の実妹である。

また、党宣伝扇動部で活動してきた幹部では、金炳鎬(キム・ビョンホ)党宣伝扇動部副部長が『労働新聞』責任主筆に任命された。

金正恩党委員長は、2013年12月に張成沢党行政部長を粛清する直前、革命の聖地である三池淵を訪問し、粛清を最終決定したと言われている。金炳鎬党副部長もこの時に随行した8人の幹部の中の1人である。2002年8月に『朝鮮中央通信』副社長になり、2009年同社社長を経て、今回『労働新聞』責任主筆に任命された。今回の人事では、党の重要部署であり、金与正氏のいる党宣伝扇動部の幹部が重用されているようにみえる。(つづく)

平井久志 ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2017年10月23日
より転載)

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