半年ほど前、私は、島根県隠岐島の海士町という離島に遊びに行き、和牛の繁殖農家さんと出会った。
そして、「家畜の命を区切る」というテーマで文章を書いた。(『命を区切って分担するからお肉が食べられる。』)
その文章を読んで「生産者の数だけ、答えがある」と連絡をくださったのが、群馬県前橋市の赤城山でホルスタインの肥育農家を営む、小堀さんだった。
その連絡を受けた三日後、私は、小堀さんにお会いし、連れて行っていただいた牧場で、初めてホルスタインを見た。
ホルスタインの足は馬のように長く、左右の後ろ足の間にははち切れんばかりの乳房があった。
そして、肋骨や背骨のカタチが浮き出ていて、とても痩せているように見えた。
私には、数ヶ月前に見た和牛と、今、目の前にいるホルスタインが、まるで違う生き物に思えたし、どちらも「牛」とひとくくりに呼ばれていることに違和感を感じた。
そもそも、肥育農家に、乳房の張ったメス牛がいることが驚きだった
なぜなら、ホルスタイン肥育といえば、産まれたばかりのオス牛を去勢し、ホルスタインの去勢牛として肥育するのが一般的だと聞いていたからだ。
実際、ホルスタインのメス牛は、搾乳量が落ちてくる5〜7歳で「乳廃牛」となり、肉牛農家を経由することなく屠殺されることが多い。
ホルスタインのオス牛が「国産牛」としてスーパーの精肉売場に並んでいる一方で、乳牛を卒業したメス牛は、安価な加工品や、肥料や革製品として利用されているのが現実だ。
私たちは、乳牛としての役割を全うしたメス牛を、酪農の廃棄物として扱い、肥育の手間やコストを省いてきた。
しかし、小堀さんの牧場では、北海道から買い入れた乳廃牛が「熟女牛」と愛され、大切に肥育されている。
ホルスタインは、効率的に搾乳できるよう品種改良を重ねられているので、搾乳中は摂取した栄養のほとんどをミルクのために使ってしまう。
だから脂肪もつきにくく、乳房が大きいわりに身体が痩せている。
小堀牧場では、約4カ月の肥育期間で、搾乳を止め、餌を変え、体重600kgほどの乳廃牛を、800kgほどに太らせ、立派な肉牛に生まれ変わらせる。
ホルスタインが太っても、和牛のようにサシが入ることはない。
しかし、小堀さんが肥育したホルスタインには、赤身の美味しさを引き立てるように控えめな脂がのり、噛めば噛むほど赤身の旨味が口に広がる。
後味にはミルクの甘い香りがほのかに残って、女性でも大きなステーキをぺろりと食べてしまうだろう。
「ホル(=ホルスタイン)の肉は乳臭くてまずいっていう人もいるけど、俺はそれが悔しい。乳牛だろうがなんだろうが、産まれてきたからには、美味いって食ってもらえる牛にしたい。ちゃんと肥育すれば美味くなることを証明したい」
小堀さんは、こんなに美味しいホルスタインを、「国産牛」と呼んでしまうのがもったいなくて「低脂肪牛」の名で販売している。
私には、小堀さんとの会話の中で、忘れられない言葉がある。
私が、コンビニの存在を「必要悪」と表現したときのことだった。
「必要悪ってのはそんな綺麗なもんじゃねぇよ。俺は、自分の仕事に誇りを持っているし、酪農家や牛たちを心の底から尊敬している。ただ、俺みたいな仕事を必要悪っていうんだ」
私はあの時、その言葉を自信満々に、誇らしげに言う小堀さんの気持ちが分からなかった。
けれど、今なら分かる気がする。
動物の命を利活用することが、その動物たちのためになるわけではないことは重々、分かっている。
むしろ、動物に、最初から最後まで、人間の都合を押し付けているだけなのかもしれない。
でも、だからこそ、正論や綺麗事で、消費者の道徳心に訴えかけるのではなく、「美味しさ」という最もシンプルな魅力を証明することが、動物への誠意であり、仕事への誇りになる。
「美味しさ」の追求は、日本人の得意分野であり、誇りでもある。
しかしその美味しさを支えるのは、動物の命を区切った先にある「汚れ」と「覚悟」だ。
たとえ、それが必要悪であっても。
(2014年7月29日「senalog」より転載)