NHK連続テレビ小説『半分、青い。』の注目度がグングン上がっています。視聴率も連続して20%の大台突破。そして今週、いよいよ一つの区切りがやってきました。
「あんなに好きだった漫画が、苦しいだけになってしまいました」
という鈴愛(永野芽郁)に、巨匠漫画家・秋風羽織(豊川悦司)が返した言葉は──。
「漫画家を、やめたらいい、と思います」
秋風の口からゆっくりと出た言葉。あまりにも辛い言葉。だが、まさしく鈴愛が心のどこかで求めていた言葉。視聴者も噛みしめるように、息を呑むように、一言一言を受け取りました。
静かに、とつとつと吐かれたこの台詞はものすごいインパクトがあって、漫画家修行編の幕を引き、秋風ロスを巻き起こしました。注目すべきは......秋風と鈴愛が、単なる「先生」と「生徒」ではなかった、という点でしょう。では2人はどんな関係なのか? 一般的な、教える側と学ぶ側の関係でないとすれば...?
秋風は、たしかに漫画の技術を鈴愛に教えました。しかしそうした技術・技以上に伝えたことがありました。
「生きる姿勢を自ら見せて、示した」のです。その意味で、「師匠」でした。
一方、鈴愛は「その生き様を受け取って、自分自身の道をさぐる」ことに。その意味において「弟子」でした。そこには、かけがえのない師弟関係が浮き上がっていたのです。そう、秋風塾は単なる教育の場ではなく、そこに漫画の「道」が描き出されていたのでした。
漫画家になることを諦める。漫画を描くことをやめることは、鈴愛にとっての絶望でした。秋風は、それは絶望ではない、ということを伝えたのです。1番好きな漫画を失うことを勧めるのは残酷ではなく深い「愛」と「慈しみ」に支えられた、次の一歩への助言でした。
「失うことは哀しいことではない」という人生の深淵が、そこにくっきりと浮かび上がってきました。
「師匠」とは、安易な救いや表面的な回答、慰めを与えてくれるような存在でもない。相手の無知や未熟さゆえ優位に立つような存在ではない。本当の意味で、行く先を照らしてくれる存在である、ということでしょう。
あるいは、一般的に先生とは生徒の持つ可能性や才能、強さを見、評価するのが普通ですが、しかし師匠とは、弟子の才能や強さだけを見るのではありません。弱さや欠如、不十分さを丸ごと受け入れる。見守る。それこそ親の愛。だからこそ師匠と弟子は疑似「親子」です。そう、まさしく弟子とは文字が示すように「子ども」です。
秋風羽織は、弟子・鈴愛の背中を押しました。今に拘泥するのではなく一歩進め、と。豊川悦司が演じた独特な師としての秋風の魅力は、滝壺のような深遠さと清らかさがあり、父のように包み込む愛がありました。
この朝ドラの凄い点は、そんな漫画「道」の思想にまで届こうかという脚本にとどまりません。漫画を諦めた鈴愛が、次回にはサッパリと前を向き100円ショップの店員になっている。喪失の哀しみをじくじくと引っ張らず、まったく違うシチュエーションに主人公を投下してしまう潔さ。正直、こんな朝ドラ見たことない。
いったい鈴愛はどこまで飛んでいってしまうのか? あと約3ヶ月間、目が離せません。こうなったら演出陣も俳優陣も思いっきり、エンジンをふかして欲しいものです。