ハーバード大ロースクールのJ・マーク・ラムザイヤー教授が書いた「慰安婦」についての論文が国際的に波紋を広げている。学術的に成り立たないとして、アメリカ国内の学術界や韓国社会で批判が強まり、日本をはじめとした各国の学術関係者らも声明を出して論文を批判するなど余波が広がっている。
ラムザイヤー教授は2020年12月、「太平洋戦争における性行為契約」という論文を国際学術雑誌「International Review of Law and Economics(IRLE)(法と経済学の国際レビュー)」に発表した。ラムザイヤー教授は、論文の中で、経済学のゲーム理論を元に、日本軍の慰安婦制度が「商行為」であったとした。
「ラムザイヤー論文の影響は計り知れない」とハフポスト日本版の取材に対して話すのはノースウェスタン大・歴史学部のエイミー・スタンリー(Amy Stanley)教授だ。
「不誠実で根拠なく否定論を展開するという前例のない事例です。これに対し、世界中の日韓史の学者が反発をしています。同時に、日本についてのこうした論文を注意深くみなければならないという“覚醒”にもなりました」と解説する。
「正直なところ、なぜこうしたことが起こったのかわかりません。ラムザイヤー教授になぜこれを発表したのかを尋ねる必要があります」と話す。
学術界からの反発は論文発表後、程なくして起きた。2月25日には、ラムザイヤー教授と同じくハーバード大ロースクール所属するジニー・スク・ガーセン(Jeannie Suk Gersen) 教授が有力雑誌NewYorkerで反論した。
このコラム記事「慰安婦の真実を追い求めて (“Seeking the True Story of the Comfort Women”)」の中で、ラムザイヤー教授の論文に対する学界の反応や慰安婦問題の国際性を指摘した。このコラムは、NewYorkerの公式サイトで、韓国語と日本語に翻訳されている。
メディアも続いた。NewYork Timesが「ハーバード大教授が戦時中の性奴隷を『売春婦』とし、慰安婦らが抗議」との報道を2月26日に、CNNは「ハーバード大教授が第二次大戦中の韓国の性奴隷は自主的なものだったとし、反発受ける」と題する記事を3月10日にサイトに掲載した。
韓国メディアも、この論文は「事実と異なる」などとして頻繁に報道されている。
日本をはじめとして各国の学術研究者も、同論文をめぐり懸念を募らせてきた。3月10日には、歴史研究者らによる歴史学研究会や歴史科学協議会、歴史教育者協議会と、慰安婦問題に取り組む市民団体「Fight for Justice」が緊急声明を日本語と英語で発表。文献の扱いが恣意的で、歴史的史料が示されないまま主張が展開されていると指摘。先行研究を無視し、「『慰安婦』被害と日本の責任をなかったことにしようとしている」と批判している。
声明では、女性の人権という観点や、女性たちを束縛していた家父長制の権力という観点が欠落している点も強調している。
声明の中で、「女性たちの居住、外出、廃業の自由や、性行為を拒否する自由などが欠如していたという意味で、日本軍『慰安婦』制度は、そして公娼制度も性奴隷制だったという研究蓄積がありますが、そのことが無視されています。法と経済の重なる領域を扱う学術誌の論文であるにもかかわらず、当時の国内法(刑法)、国際法(人道に対する罪、奴隷条約、ハーグ陸戦条約、強制労働条約、女性・児童売買禁止条約等)に違反する行為について真摯な検討が加えられた形跡もありません」としている。
声明を取りまとめた一人のシンガポール国立大学の茶谷さやか准教授 は、「私たちのチームは、世界の様々な学問分野や団体から問い合わせを受けました。結果的に、慰安婦をめぐって一部の人が主張する歴史修正主義を世界に知らしめることになりました」と影響を語る。
また、歴史学が政治的な動きに絡みとられることがあってはならないとし、「歴史学が政治的な攻撃の対象となったり道具となったりすることが起こっている中、政治やアイデンティティー抗争の最前線にある歴史学は『勇気ある分野』という評もいただきました。歴史学の慎重な研究がなぜ大事なのか、多くの人にわかってもらう機会になっています」とハフポスト日本版に対して話した。
IRLE編集部はサイト上で「論文の歴史資料に関する懸念が示され、審査している」としている。
冒頭のスタンリー教授は「物議を醸す、さらには不快な意見についても議論する必要がありますが、情報自体が間違っていたり、歪曲している人と公正な議論を行うことは不可能です。そのため、特定の種類の欺瞞を間違っていると正すことが必要です。これは通常、論文の査読がすべきなのですが、今回のケースではそれがうまく働きませんでした」と指摘する。
日本では、2021年1月12日に産経新聞の英語サイト「ジャパン・フォワード」にラムザイヤー教授の「慰安婦についての真実を回復させる」と題する記事掲載された。1月28日に、産経新聞がこの論文を「『慰安婦=性奴隷』説否定 学術論文発表」という見出しでとりあげた。学術関係者によると、これをきっかけに、ラムザイヤー教授の主張が一挙に注目を集めることになったという。
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ラムザイヤー教授は日本で幼少期を過ごし、日本語に堪能。東京大などで日本語による授業経験もあるという。2018年に旭日中綬章を受章している。ハーバード大学の公式サイトの英語版ではMitsubishi Professor of Japanese Legal Studies(三菱 日本法律研究教授)との肩書きだ。