■「恐ろしいことが起こっている」。もはや気候変動ではなく気候危機
2月のスウェーデン・ストックホルムに着いたら、そこは春だった。例年なら銀世界が広がっているはずだが、空港から市内へ続く道から見える景色は違った。枯れ草の茶色の草原が広がっている。北欧ならではの鋭い日差しを受けて草原はきらめいていた。
2月6日、南極で過去最高気温が記録されたが、スウェーデンも暖冬なのだ。タクシー運転手もぼやく。「本当だったらスタッドレスタイヤにスパイクをつけるが、今年はその必要が全くない」。
この状況に危機感を覚えているのが、厳しい冬に耐え抜く文化を作ってきたスウェーデン人だ。ストックホルムの郊外に住むトーマス・ベイジェ Tomas Beijeさん(43)は言う。「連日、温かくて正直言って過ごしやすくてありがたいけれど、恐ろしいことが起こっていると感じる」。
スウェーデンでは気候変動という文脈ではなく、「気候危機」ひいては「地球危機」の文脈で語られている。
■学校ストライキの学生ら「いつもここにいて訴えること大事」
それは、 グレタ・トゥーンベリさんが、毎週金曜日、学校を休んで気候危機を世に訴えるデモ”Fridays for Future(FFF、未来のための金曜日)”を多くの市民がこぞって「素晴らしい」と支持することにも象徴される。なぜ、トゥーンベリさんが支持されるのか、スウェーデンの人はどういう意識を持っているのか、出張滞在中の合間をぬって、2月7日のFridays for Futureをのぞいてみた。
「今日もどこかにいるはずだよ」ストックホルムの知人にそう言われ、議会の周辺を歩いたら、緑の布製の看板を立てて彼らはいた。
午前8時から午後3時まであるというそのデモには、昼すぎに15人ほど集まっていた。来られる範囲でさんさんごご集まり、自由で緩やかなデモだった。グレタ・トゥーンベリさんは、この日は北に1000キロ離れた小さな町ヨックモックJokkmokkへ運動のため行っていた。
ストックホルムのFFFでは、それぞれが持ち寄った手書きの旗を翻したり、その場で通行人に話しかけられて話し込んだりしていた。
学生たちは、暖冬とはいえマイナスの気温の中、厚い手袋をして、体をその場で動かしながら寒さに耐えていた。トイレは近くにあるカフェが無料で貸してくれ、その中で時折暖をとるのだという。
学生の一人が持ち込んだという大きなパンに、差し入れのジャムを塗って食べていた。集まっていた若者に話を聞いた。
「学校の出席日数によっては自分への助成金が減るのだけれど、いつもここに居て訴えることが大事だと思って、外せないテスト以外は参加している」というのは アストリッド・バーントゥソン Astrid Berntsson さん(19)だ。
ティルダ・トウルドマーク Tilda Thordmarkさん(18)はその日、学校を早退し正午から参加。ストックホルム郊外から来た。「私たちには10年しかない」と強く危機感を訴える。
アントン・オーラル Anton Ortell さんは、2019年3月から参加しており「僕たちは責任を持たなくてはいけない。学生ストライクは僕らの特権だ」と旗を振っていた。
■アボガドは食べない 「最後の飛行機旅行」も
危機の意識は、デモに立つ若者だけではなく、多くの人に共有されているようだ。
「飛行機を使う出張は許可が出ない可能性がある。オンラインで参加できる方法を考えている」と言うのはスウェーデン政府の役人。2020年10月から予定されているドバイ国際博覧会の参加を問われた時のやりとりだ。現地に赴かなくても良い場合は、余分な飛行機利用を避けようという政策現場での意識の変化だという。飛行機利用を避ける「飛び恥(Flight Shame)」は身近な言葉だ。
「最後の飛行機旅行」を決行した市民もいる。ストックホルムから電車で1時間ほどの郊外に家族4人で住むキャメリア・ペレス Camilla Pérezさんは、「飛行機の旅行は燃費が改善されない限り、当面の間できないかなと思って」と最後の飛行機旅行を日本の桜を見ることに決め、昨年、息子と東京へ旅行した。
肉は食べず、ベジタリアンにもなった。輸送中の温室効果ガスに配慮し、野菜は自宅裏の庭でできるだけ育て、空輸されるアボガドなどは避ける。「持続可能性を考えて人は生きなければ」とペレスさんは話す。
こうした人々の動きが当然だと解説するのは、ストックホルム在住の一般的な市民である会社員ダニエル・ヘックシャア Daniel Heckscherさん(46)だ。自身は熱心なエコ活動家ではないが、冒頭のベイジュさんのように「怖いからだ」という。
スウェーデンで感じる温暖化や豪州の山火事、各地のハリケーンなどの異常気象を見てそう危機感を抱いているという。これまでとは違う局面に入り、疫病や自然災害など想像できないことが人間を襲うといったことが予見され、「すぐそこにある危機として感じている」と話していた。