リセットされない問題
元号が変わっても、問題が解決するわけではない。例えばGDP(国内総生産)である。各種統計データに基づき算出される経済成長の最も重要な指標は、いま疑念の目で見られている。日本で言えば、厚労省による統計不正は深刻そのもので、算出方法の変更によって時の政権にとって都合の良いデータを出せることを示した。
GDPだけを指標にしていていいのか?とフィナンシャル・タイムズ元東京支局長のデイヴィッド・ピリングは問いかける。各国メディアで高い評価を得た著書『幻想の経済成長』(早川書房)を書き上げたピリングが来日し、単独インタビューに応じた。
日銀VS内閣府
ピリングが問題視する政府統計について、いくつかの記事から問題に迫ってみよう。2018年11月13日の日経新聞はこんなことを伝えている。
「日本の現状を映す統計を巡り、内閣府と日銀が綱引きしている。国内総生産(GDP)など基幹統計の信頼性に日銀が不信を募らせ、独自に算出しようと元データの提供を迫っているのだ。内閣府は業務負担などを理由に一部拒否しているが、統計の精度をどう高めるかは、日本経済の行く末にも響きかねない大きな問題をはらんでいる」
記事によると、日銀はすでに政府統計にかなり疑念を持っていたことがうかがえる。一連の統計不正問題の端緒になったのは、西日本新聞のスクープだった。
「政府の所得関連統計の作成手法が今年に入って見直され、統計上の所得が高めに出ていることが西日本新聞の取材で分かった」(2018年9月12日)
ここで動機の考察はしない。ポイントは実態の経済よりも、見かけ上成長しているように見せかけることは容易であるということだ。
ピリングが語る安倍政権の問題
ピリングは「日本で起きている問題は2つある」と語る。第一にGDPに過剰にこだわる政治サイドの問題だ。
あらかじめ断っておくと、ピリング自身は決して経済成長悲観論者でも、GDP否定論者でもない。
彼が警告を発しているのは、経済成長の指標がGDPのみになっていること、GDPが国の幸福度の代替的な指標になっていることだ。
《GDPそのものは優れた発明とも言うべきものですが、現代においてはそれだけで経済成長を捉えたり、国の幸福度を測れたりするものではありません。GDPはとても複雑な計算で算出されるものです。
どこかのデータを入れ替えたり、計算方法を調整したりすれば、見かけ上の数値は良くすることは容易なのです。
そうしてできたデータは国の実態を正しく反映していると言えるでしょうか?日本だけでなく、政府がGDPを良く見せようとすることは実際にあることです。
問題の根源は一つの経済指標を盲信していることにあります。経済は人のためにあるのであって、経済のために人がいるのではないということです。》
統計スタッフが足りない
第二に統計に関わるスタッフの少なさである。前出の日経新聞は、日本の統計職員は2018年4月時点で1940人であり、2009年に比べて半減したことを伝えている。
ちなみにアメリカは1万4000人超、フランスは2500人超、カナダは約5000人の統計スタッフを抱えているという。
《日本の統計スタッフは人材不足であると思います。いま問題となっているデータスキャンダルとも言うべき統計不正についても、原因の一つはリソース不足にあるでしょう。正確な統計調査にはコストがかかります。
イギリスでも統計調査を巡って問題が起きています。ウェールズにある国家統計局は、2007年にロンドンからこの土地へ移転しましたが、ロンドン在住のスタッフの多くは退職するという道を選びました。
この中には高度な専門知識を備えたスタッフも含まれています。リソース不足という問題が起きています。》
経済を伝えるメディアの問題
日本もイギリスも、「メディアにも問題がある」とピリングは見る。
《GDPはあくまで一つのデータでしかないのに、経済成長を測定する絶対的な指標として報じています。短い行数でニュースとして伝えるにはいいやり方かもしれませんが、一つのデータでしかないのです。
例えば、一人当たりGDPに着目して同時に伝えていく必要があるでしょう。日本のような国では、昔のように国全体で大きな成長は望めません。
そこで大事なのは、一人当たりはどうなっているのか、という指標です。
全体よりも個人に注目する。そして、メディアでよく見かける「平均」というのもやめたほうがいい。
経済で大事なのは、平均ではなく「中央値」です。これを使って報道したほうがいいのではないか、と思います。》
中央値というのは、簡単に言えば上から数えてもしたから数えても真ん中にある数字のことだ。
例えば日本の30代の平均年収で考えてみよう。平均は誰かが極端に高い収入を得ていると、一気に高くなる。平均は決して「真ん中」を意味しない。
中央値は日本の30代で、一番収入が高い人から低い人を並べたときに、ちょうど真ん中に位置する人を抜き出す。
この人の収入が「真ん中」であり、そこをベースに議論をしたほうが、実態を映し出すというのがピリングの主張だ。
人のための経済へ
彼の主張は一貫して、「人のための経済」が必要であり、そのために現実の経済を可能な限り捉えるデータ、データの見方が必要になる。GDPだけでは不十分ではないか、ということだ。
では、経済を測るために何かGDPだけではない別の方法があるのか。詳しくは彼の著作で言及されている。ここでは、いくつかの指標を組み合わせる見方を紹介しておこう。
《車のダッシュボードを思い浮かべてください。見た時点のガソリンの残りがどのくらいか、どのくらいのスピードが出ているかが一目でわかりますよね。国の経済も同じように、いくつかの指標で現状を捉えればいい。
私ならGDP、一人当たりGDP、富の再分配の指標としてジニ係数、健康寿命、環境問題に対する指標として二酸化炭素の排出量、それから会社と同じようにバランスシート(貸借対照表)ですね。
会社も利益だけ見ているだけでは何もわかりません。国も同様に、資産と債務を同時に見ていく必要があります。》
ピリングは単純にGDPを増やすというだけでなく、健康寿命も伸ばしていくという政策であったり、再分配への意識が向かったりする政策も重要だという。
「経済成長」をGDPだけではかると、時の政権の意向に「配慮」した統計データが出てくる可能性もある。それは測り方を変化させるだけで達成できる目標かもしれない。
一つの統計だけでなく、複数のデータから経済のダイナミズムであり、社会のあり方を考える。今こそ、必要な思考法と言えるだろう。