科学誌Natureは2014年4月30日に、日本の研究不正についての編集部論説(editorial)を発表した。これによると、日本は総合科学技術会議の指示を聞き、科学者にデータの管理法を教えて、米国の真似をして研究公正局を作れとのことだ。
大変不思議なのは、NatureはSTAP騒動の当事者で、こうした事態を招いた相応の責任がある(少なくとも、責任があるかどうか問われなければならない)のに、そうした可能性についての言及が全くなく、まるで他人事のようだということだ。
また、この論説は明らかにSTAP問題への反応であるにもかかわらず、「日本の研究不正にはとても奇妙な例がある(some of the more bizarre cases)」と言って(STAP問題とは別の)十年以上前の考古学での捏造事件に言及しているが、そもそも、他国の研究不正、たとえば米国や欧州にも同じくらい奇妙な例があり、これは世界的な問題ではないのか。
しかもこの論説は、日本の科学者にデータ管理法を教えろという、上から目線(patronising)で日本に御丁寧に対応を指示しているようだ。これではNatureがSTAP問題での自らの立場を傷つけないために、前もって用意した印象操作のための論説と言われても仕方あるまい。そしてNatureは日本のシステムに問題をなすりつけて自らの責任を逃れようとしているようにしか見えない。
さらに、この論説は、日本の統治機構の組織改編を強く勧めているが、こうした政府機関の増設は日本ではまず有効性がなく官僚のポストや天下り先を増やすだけに終わるであろう。つまり、これは中立な科学論説の顔を持ちながら、特定の政治的立場を後押しする論説ともいえる。
もちろん、本ブログで度々指摘しているように日本の科学界には問題が山積しており、それらへの対応は緊急の課題だ。しかしNatureという問題の当事者(利害関係者)がいまやるべきことは、STAP問題に、Nature自身が持っている問題が関わっていないかどうかの自己批判が先であり、それをしなければ日本のシステムをいかに改善するかについての建設的な批判はできないであろう。しかもNatureは、各国政府が科学研究の評価の要につかっている方法で最高峰に位置し、現在の科学評価システムを象徴しており、それがゆえに科学評価全般にわたる問題と無縁ではない。
(2014年5月10日「小野昌弘のブログ」より転載)