閣議決定した安保法制関連11法案についての記者会見で安倍首相は、「アルジェリア、シリア、そしてチュニジアで日本人がテロの犠牲となりました」「北朝鮮の数百発もの弾道ミサイルは日本の大半を射程に入れている」「自衛隊機のスクランブルの回数が10年前と比べて実に7倍に増えています」などと実例を挙げながら、「私たちはこの厳しい現実から目をそむけることはできません」と断定した。
「目をそむけることはできません」
これは最近の安倍首相の十八番のフレーズになっている。他には「はっきり申し上げておきたい」とか「断言します」とか「絶対に」とか「明確にしておきたいと思います」など。
要するに強調。動詞や形容詞を修飾する副詞的なフレーズといえるだろう。副詞自体に意味はない。「絶対に」とか「もっと」とか「明らかに」とか、前後の言葉を強調するだけだ。僕の周囲にもこうした話法を好んで使う男がいる。言っていることの中身は薄い。だからこそ必死に副詞や副詞的なフレーズを多用する。どうでもいいことなのに「はっきり申し上げておきたい」とか「断言します」などと言われれば、よほど重要なことなのかと思ってしまう。
「目をそむけることはできません」
...別に目をそむけていたつもりはないんだけどな。でもこう言われれば、これまで以上に凝視したくなるのが人情だ。つまり間合いを詰める。ところが近づきすぎると画像のフォーカスが合わなくなる。あるいは見当違いの方向を見ていることに気づかなくなる。
アルジェリアやシリア、チュニジアなどを挙げながら後藤さんと湯川さんが犠牲になったISの名を出さない理由は、現政権が二人をほぼ見殺しにしてしまった(決して扇情的な表現だとは思わない。後藤さんの妻から外務省へ身代金についての報告が来ているのに官邸も外務省もアドバイスすらしなかったことは、すでに明らかになっている)からだろう。
北朝鮮の弾道ミサイルについては個別的自衛権で対応できる。そもそも通常火薬のロケット弾(ミサイル)の被害規模を、多くの人は東京が火の海になるなどと思っているようだが、実際には桁違いに小さい。B29など戦略爆撃機に比べれば(ミサイルは)まったく少量しか火薬を搭載できないですからと、軍事評論家の前田哲男は僕に解説してくれた。ナチスのV2ロケットはロンドン市街に1000発以上着弾したけれど、被害規模はその前に繰り返されていた爆撃機による空襲に比べれば圧倒的に小さかった。ハマスのロケット弾はイスラエル市街に何度も着弾しているけれど、どの程度の被害かを考えればわかる。
もちろん被害規模が小さいから無視せよとは言うつもりはない。リスクは最小限にしなくてはならない。ただし正しいリスク回避と優先順位を決めるためにも、前提となる数値や過去の実例は正しく認定されるべきだ。少なくとも現状の安全保障体制を変えなければいけないほどの脅威ではない。
確かにスクランブルの回数は2004年に比較すれば7倍弱に増えたけれど、冷戦期にはほぼ現在と同じ回数のスクランブルが毎年記録されていた。そのほとんどの原因は旧ソ連の戦闘機だ。この時代には旧ソ連の核ミサイル(SS20)は何十発も日本(の米軍基地)に照準を定めていた。キューバ危機も含めて、いつ世界戦争が起きてもおかしくはなかった。今よりもはるかに国際関係は緊張していた。でも日本の安全保障体制は変わらなかった。変えなければいけないと主張する人もほとんどいなかった。その帰結として現在の繁栄と平和がある。スクランブルが567回から810回に急増したのは2013年だ。つまり第二次安倍政権発足以降。はっきり申し上げておきたいけれど、これが意味することから目をそむけてはいけない。これをマッチポンプという。
皮肉なことに特にオウム事件以降、この国の殺人事件数は毎年のように戦後最少を更新している。でも多くの国民はこのデータを知らない。実際の治安状況は世界トップクラスで良好なのに、扇情的なメディアの報道によって体感治安は悪化するばかりだ。だから厳罰化が進行して、街には監視カメラが急増する。
オウムによって刺激されたこの国の危機意識は、2001年以降は国内だけではなく国外に溢れだした。高揚する不安や恐怖を燃料にして集団化が促進され、一体となった国家は敵を探す。見つければ自衛を大義に攻撃したくなる。はっきり申し上げておきたいけれど(くどいな)、まさしく今、偽りの治安悪化幻想を理由に、国の形が変わろうとしている。
こうした動きを抑止するうえで、最も大きな力を持つ存在はメディアだ。でも首相の会見のテレビ報道を観ながらあきれた。「不安定な安全保障環境」「切れ目のない備えを行う」「抑止力はさらに高まり」「積極的平和主義の旗を高く掲げ」など、安倍首相が強調したいキーワードをリアルタイムに、NHKも民放もテロップで表示していた。ということは、事前に原稿を官邸から配布されていたということになる。
首相の会見をオンタイムで放送することは必要。でもメディアがその論旨を強調するお手伝いをする理由はどこにもない。
安倍首相や現在の官邸スタッフや閣僚たちが、本気で戦争を待望しているとは僕は思わない。彼らは彼らなりに戦争は絶対にあってはならないと思っているはずだ(と思いたい)。
ただ残念ながら、戦争のメカニズムをまったく理解していない。近代の戦争のほとんどは過剰な自衛意識によって生まれるとの歴史認識がない。戦争は絶対に避けねばならないと唱えるだけでは、その戦争を避けるために自衛力や抑止力を増強しようとの論理に対抗できない。こうして国は過ちを犯す。何度も何度も。
正念場という言葉をこれまで安易に使ってきてしまった自分を、今激しく悔いている。これから国会が始まる。安倍首相がアメリカに約束した期限は夏まで。本当の正念場を僕たちは迎えている。