『進撃の巨人』に自らを重ねる香港人。周庭さんだけじゃない、日本のカルチャーが香港の民主化運動に与える影響

逮捕時に、欅坂46の「不協和音」が頭に浮かんでいたと語った周庭(アグネス・チョウ)さん。民主化を目指し立ち上がる香港の人たちにとって日本のアニメやマンガが果たす役割とは?
民主活動家の周庭氏(2020年8月5日撮影)
民主活動家の周庭氏(2020年8月5日撮影)
Tyrone Siu / reuters

日本のアニメやアイドルを愛好することで知られる香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)さん。国家安全維持法違反の疑いで逮捕された際には、欅坂46の「不協和音」の歌詞がずっと頭に浮かんでいたと語っている

こうした彼女の「日本のサブカル好き」的な側面は、メディアでも語られているが、それは彼女個人にとどまる話ではない。

背景には、大衆文化が民主主義の勝利を推し進める「ソフト・パワー」概念があるのではないか、と指摘するのはネット文化に詳しい批評家の藤田直哉さんだ。香港の民主化運動と日本文化の関係を藤田さんがハフポスト日本版に寄稿した。

香港で民主活動家の周庭さんが、国家安全維持法違反の疑いで逮捕された。その映像はSNSで瞬く間に流通し、周さんを擁護しつつ中国政府を批判する声が上がった。

同じ日に、大きな力を持つメディア企業の実業家である黎智英(ジミー・ライ)氏が逮捕されているのだが、日本のSNSで話題になったのは周さんばかりであった。そのことを、台湾のメディアは、周さんが「アニメを実写化したような美少女」だからだろうと、いささか皮肉めいた分析をしている。

周庭さんを「民主の女神」「ジャンヌ・ダルク」と呼ぶことへの批判も一部巻き起こったが、それはこのような「キャラクター消費」への批判でもあるだろう。

若い女性がマスコットのようにメディアで扱われることへのジェンダー的、あるいはメディア論的な議論も問題意識にも強く賛同する。だがここでは、少し角度を変えて、日本で彼女が「キャラクター的に=サブカルチャー的に」消費されることと、彼女自身が日本のカルチャーをある種「内面化」していることの相関に注目したい。

Pro-democracy activist Agnes Chow, 21, attends a rally in front of her portrait after she was banned from running in a by-election, in Hong Kong, China January 28, 2018. REUTERS/Bobby Yip
Pro-democracy activist Agnes Chow, 21, attends a rally in front of her portrait after she was banned from running in a by-election, in Hong Kong, China January 28, 2018. REUTERS/Bobby Yip
Bobby Yip / reuters

「モー娘。が大好き」は単なる日本へのリップサービスではない

周庭さんはしばしば、日本のサブカルチャー(大衆文化)への言及を繰り返してきた。たとえば、逮捕されているときに欅坂46の「不協和音」を頭に浮かべていたと日本のメディアに語っている。

批評家の宇野常寛氏が主催する「PLANETS」に連載している「御宅女生的政治日常──香港で民主化運動をしている女子大生の日記」では、宇野氏のオーダーでもあるのだろうが、モーニング娘。や嵐など日本のアイドル文化に数多く言及している。さらに、『きらりん☆レボリューション』『アイドルマスターシンデレラガールズ』などのアイドルを題材としたアニメにまで言及している。こうした周さんの言動は、日本の人々に親近感を抱いてもらうためのリップサービスであり、戦略という側面も否定はできないかもしれない。

しかし、筆者はどうもそれだけではないような気がするのだ。

いわば香港民主派の「アイドル的存在」として活躍する彼女は、もともとアイドルの大ファンであり、それをロールモデルとして受肉し、民主派として活動している側面もあるのではないか。彼女自身のそうした面を反映し、彼女が日本でキャラクター消費的に受け容れられた部分もあるのではないか。筆者はそう考えている。

香港で裁判所に入る前、記者団に話す民主活動家の周庭氏(中央)ら(中国・香港=2020年08月05日)
香港で裁判所に入る前、記者団に話す民主活動家の周庭氏(中央)ら(中国・香港=2020年08月05日)
AFP=時事

欅坂46の歌詞に自らと、「香港人」を重ねる

欅坂46というアイドルグループは、同調圧力に抗う少女・女性の内面を表現するような歌詞の曲が多い。周庭さんは、『サイレントマジョリティー』のこの歌詞を引用する。

 「声を上げない者たちは/賛成していると…/選べることが大事なんだ/人に任せるな/ 行動しなければ/Noと伝わらない」

これを、民主主義や抗議活動の重要性を述べたものと、彼女は解釈するのだ。

「この歌詞は、社会に関心を持つことや、自ら声を発することの大切さを物語っています。(…)中国共産党の圧力を前に、もしわたしたちが自分たちの利益のために声をあげないままでいたら、最終的に苦しむのは自分自身を含めた、全ての香港人なのです」(「御宅女生的政治日常」)。

千葉市の幕張メッセで初の「全国握手会」を開催したアイドルグループ・欅坂46が。写真はミニライブでパフォーマンスを披露する欅坂46のメンバー(2016年04月17日)
千葉市の幕張メッセで初の「全国握手会」を開催したアイドルグループ・欅坂46が。写真はミニライブでパフォーマンスを披露する欅坂46のメンバー(2016年04月17日)
時事通信社

「日本アニメは香港の共通の記憶」

このように日本のサブカルチャーを受け止めているのは、彼女だけではない。1992年生まれの香港人・銭俊華『香港と日本』によると、香港では当たり前に日本のポップカルチャーが親しまれているという。それどころか「ローカライズされた日本アニメは香港の共通の記憶」(p163)であるとまで言う。

アニメやマンガの歌は、抗議運動の中で使われる。たとえば、『進撃の巨人』は「凶暴な巨人による小さな城への侵入、および自由を守る信念が香港人の共感を引き出し」(p182)、主題歌の替え歌がプロテストソングになっているという。

銭俊華『香港と日本ー記憶・表象・アイデンティティ』
銭俊華『香港と日本ー記憶・表象・アイデンティティ』
筑摩書房公式サイトより

 『デジタルモンスター』の主題歌「Butter-Fly」も2019年の抗議運動で使われたが、その理由は、内容が「現実に置き換えやすい」(p190)ものだからで、「絶望の中で少しでもテンションを上げる」(p191)ために必要とされたと銭氏は語る。

驚くことに、必要ならば破壊や武力を行使しても良いというメッセージが、アニメの中にあると彼は考えている 。デモの最前線で過激な行動を取る人々は「勇武派」と呼ばれるが、こうした自由のために武力行使を容認する「勇武」という概念が「香港史上初めて」「広く認められ」たことに触れて、彼は言う。「『勇武』はまさに多くのアニメのイデオロギーである」(p191)と。

(もちろん、同じ作品を享受していても日本のアニメファン、アイドルファンの多くは、暴力や破壊を伴う行動を肯定するメッセージをそこに読み取ってはおらず、むしろその行動を否定するだろう)

銭氏は言う。「共感を引き起こせることは大切であり、アニメソングで歌われる闘志や勇気や夢や愛は社会運動の理念に一致する」。このような日本のサブカルチャーの受容が、確かにあるようなのだ。

ドラえもんのコスチュームに身を包み抗議行動に参加する香港のデモ隊(2020年1月1日撮影)
ドラえもんのコスチュームに身を包み抗議行動に参加する香港のデモ隊(2020年1月1日撮影)
Navesh Chitrakar / reuters

日本の大衆文化が「ソフト・パワー」に

香港で見られるこの現象は、文化の魅力こそが国際政治において大きな影響を及ぼすと考えた、ジョセフ・ナイ氏の、「ソフト・パワー」概念で説明がつくかもしれない。「大衆文化は、個人主義、消費者の選択など、政治的に重要な影響を及ぼす価値観に関するイメージやメッセージをそうとは意識されない形で伝えることが少なくない」(『ソフト・パワー』p84)とナイ氏は指摘する。

それは、冷戦状況下で、西側陣営の力を増大させる力を持ったといい、「大衆文化は(中略)中南米全体と東アジアの一部での民主主義国家の増加」(p90)にも寄与したと指摘した。私たちが香港で目にしているのは、この「ソフト・パワー」だろう(蛇足になるが、東アジアでの成功例として挙げられているのは、第二次世界大戦後の日本である)。

フィクションが人々の政治行動に影響を与えることは、珍しい事ではない。アメリカの奴隷解放は、ストー夫人の『アンクルトムの小屋』という小説を多くの人が読み、奴隷の境遇に共感したことで起こったと言われる。フランス革命も、シラーの演劇などによって鼓舞された。現代に近いところで言えば、ハクティヴィスト集団「アノニマス」は映画『V』のキャラクターの仮面を使っていた。香港では、アイドルやアニメが、同様に機能しているのかもしれない。

香港・新界地区で、雨傘や火炎瓶を手に警察に抵抗するデモ隊(中国・香港=2019年10月1日)
香港・新界地区で、雨傘や火炎瓶を手に警察に抵抗するデモ隊(中国・香港=2019年10月1日)
AFP=時事

私たちが周庭さんに感じる「魅力」の正体を考える

こうして日本のサブカルチャーが香港の民主化に与えているかもしれない影響について考えるにつけ、翻って現代の日本を考えると、そこまでストレートではいられないということも、感じざるを得ない。

日本では、民主主義はインターネットやSNSが普及した結果、「意見が異なる者とはわかりあえない」という失望を生み出したり、直接民主主義やアナーキズムを実現しようとした結果の自壊で幻滅を経験していった。自由は、ヘイトスピーチやポルノ表現などでその価値を毀損され、ただ真っ直ぐに信じるだけではいけないと多くの者が思っている。

サブカルチャーも、1960年代ごろにそうであったような、反権威主義的で、自由を求め、個人の幸福を追求し、新しい生き方を求めるものとは程遠くなっているように感じる。「自由」の追求は、いまや「表現の自由」の名の元での人権侵害的なポルノやヘイトスピーチの擁護に繋がってしまっている。反権威主義もまた、今や逆転し、反権威主義的なポーズを取る権威主義的なリーダーへの共感に繋がってしまっている。

つまり、今の日本は、自由、民主主義それ自体の価値を純粋に求めるというよりは、その有害性を内省し修正せざるを得ない状況である。

また、新型コロナウイルスなどの世界的脅威を前に、中国のような全体主義的で権威主義的な管理社会に「魅力」を感じる人も増えている。本来は資本主義の発展には民主主義が必要だと言われていたが、民主主義がなくても著しい経済成長を遂げられると示したことも、中国の体制を肯定する人々を後押しするのだろう。

こうした複雑で迷っている状況だからこそ、香港の人々が民主主義や自由の価値をストレートに主張し、求め、動く姿が眩しいのではないか。単純に「若い女性だから」という意識や、キャラクター消費だけで周庭さんが持ち上げられているだけではないと筆者は感じる。

そこには、自由や民主主義の価値を真っ直ぐに叫ぶ姿への郷愁があるのではないか。

香港の民主化運動の問題をいち国際ニュースとして終わらせるのでもなく、周庭さんの存在をマスコット的に取り扱うだけでもなく、「彼女の姿に我々は何を見るのか」を通じて、自分たち自身のことをじっくり考えた方が良いだろう。それこそが、今の私たちにとって重要なことではないだろうか。

(文:藤田直哉/ 編集:南 麻理江)

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