8月4日。今日はかつて横浜F・マリノス、松本山雅FCでプレーした松田直樹選手の命日。共にプレーし、友人であり、松田選手を先輩として慕っていた、FC東京の石川直宏選手。ふたりの静かな最後の時間をここに転載したい。あれから三年、松田の魂は8月の暑い風の中に生きている。
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松田直樹との別れ
FC東京は、中断期間に松本山雅と練習試合を行った。この試合は震災のチャリティーマッチとして黙祷が捧げられ、募金も行われた。
松本山雅には石川直宏の弟が所属していた。この日は、控えのGKである弟も、故障明けの兄も、残念ながら試合には出られなかった。それでも、たくさんの松本山雅ファンや、東京から遥々駆けつけたFC東京サポーターの声援に、久しぶりの試合は大いに盛り上がった。
石川には、懐かしい友人との再会があった。松田直樹である。松田とは、マリノスでわずかな期間ではあったがチームメイトだった。石川がジュニアユースの頃からの憧れの先輩でもある。大きくて、粗野で、男気があった。
「おまえ、松本来いよ!」
その日、石川は何度となく松田からそう言われた。試合が終わり、奥に引き上げると、そこで再びシャワーから出てきた松田と顔を合わせた。「冗談じゃねえからな。松本で待ってるからな!」
それが、松田との最後の会話になった。
8月2日午前。練習中に突然倒れた松田は、心肺停止の状態で高度救命センターに緊急搬送された。直ちに人工心肺が取りつけられたが、意識はなかった。急性心筋梗塞だった。
石川は弟から連絡を受けた。「集中治療室にいる。もしかしたら......やばい」
次の日、石川は身重の妻に見送られて、車に飛び乗った。走行中、ひとり松田を思った。
「いったいマツくんは、どんな表情でいるんだろうか?そこで自分は、何と声をかけたらいいのだろうか?」
死と隣り合わせ―――。そんな松田のイメージは自分の中になかった。記憶の中の松田は、いつも強かったのだ。長い時間の中で、ひたすら〝何かの回答〟を自分の中に求めていた。
起こることすべてに意味がある。そして、それは何かによって決められる。例えば「死」であるならば、そこには何がしかの原因がある。病気であったり、もともとの体質であったり。それが何かのタイミングで起こる。「生」もまた、何かのタイミングに違いない。今、友人が生死の境をさまよい、自分の子どもはこの世に生を受けようとしている。
「これはいったい、どういうことなのか?なぜ、このタイミングなのか?」
同じ問いが、繰り返し、繰り返し、頭の中を巡った。
病院に着いたのは、夜だった。
横たわったその体は温かかった。
松田は、石川が病院を後にした次の日に、息を引き取った。
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(いとうやまね著・株式会社カンゼンより一部転載)
(2014年03月11日掲載)
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『プロフットボーラーの家族の肖像』
メディアでは報じられることのない、サッカー人、7家族のエピソード、貴重な家族写真を収録。EL GOLAZOの人気連載企画の書籍化。【収録】久保竜彦(廿日市サッカークラブ)、城福浩(ヴァンフォーレ甲府監督)、宮澤ミシェル(サッカー解説者)、水沼貴史(サッカー解説者)、福西崇史(サッカー解説者)、石川直宏(FC東京)、原博実(日本サッカー協会専務理事兼技術委員長)
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(HUFF POST記事)
◆いとうやまね
ライターユニット(いとうみほ+山根誠司)。著書には、『フットボールde国歌大合唱!』『サッカー誰かに話したいちょっといい話』(東邦出版)、『プロフットボーラーの家族の肖像』(カンゼン)、『蹴りたい言葉~サッカーファンに捧げる101人の名言』(電波実験社)、他がある。サッカー専門誌、フィギュアスケート専門誌のコラムニストとして、またサッカー専門TV 番組、海外サッカー実況中継のリサーチャーとしても活動。スポーツ以外の執筆も多数。