沖縄県の仲井真弘多知事が, 在沖縄米海兵隊の普天間飛行場の移設先と設定されている辺野古の埋め立て工事を承認してから、およそ1ヶ月が経った。その後行われた地元の名護市長選挙においては、辺野古移設反対派である稲嶺進氏が再選されたため、仲井眞氏の辞任を求める声が一層強まっているが、仲井眞氏の公式の立場は「行政手続きとして埋め立てを承認しただけで、県外移設を求める公約に変更はない」である。
仲井眞氏は、辺野古移転に関する日米合意の見直しおよび普天間の県外移設を公約して、知事選挙に当選しているため、昨年12月末の辺野古埋め立て承認がそのまま「辺野古移転承認」と捉えられれば、彼が知事職を続ける正統性が失墜する。
しかしながら彼は県内の保守派を支持基盤としており、辺野古移転を積極的に承認することはないにせよ、事実上の容認派であろうことは明らかであった。その意味で仲井眞氏は、まことに大した狸である。ここで私は辺野古への移設の是非について議論するつもりはない。ある目的を達成するための戦略的な態度について語っているのだ。
彼は、自分を取り巻く環境を実によく理解していた。自分が初めから堂々と辺野古移設容認を掲げていれば、そもそも県知事選に勝つことすらできなかっただろう。彼はそのことをよくご存知だ。そこで彼は、自分の信念としてではなく、あくまでも県の民意や名護市長の姿勢などを挙げ、「客観的に状況を見て県内移設は不可能」であるとして、県外移設を唱えてきた。県外移設を唱えつつも、「自分自身の政治信条としての県内移設反対」を唱えることは決してしなかったのである。
そして、県民を納得させる上で最低限必要な譲歩を国から引き出したと見るや、辺野古への移転を事実上容認したのだ。もともと彼が県内移設「推進派」ではないにせよ「容認派」であったことは、県知事選において自民党が彼を支援したことから明らかであった。が、彼自身も彼を支援した自民党沖縄県連も、時期が来るまでは県外移設を唱えた。これは、彼らとしては最低限取らねばならなかったポーズにすぎない。
政治とは、単なる思想表明ではない。政治とは現実を変えることであり、目標を実際に実現できなければ意味を成さないのだ。したがって重要なのは、単に立派で綺麗な理想を掲げることではなく、実際に掲げた目標を達成するための戦略なのである。馬鹿正直に理想を掲げた結果、自分が潰されてしまうくらいならば、息を潜めて仮面をかぶることも必要になってくるだろう。
常に緊張状態に晒される中東やかつてのバルカン半島においては、そういった策士たちで溢れていた。あのような地域で安易に「和平」を唱えれば、国内の過激派から暗殺されかねない。だから、かの地域の多くの政治家は、たとえ和平推進派であろうとタカ派の仮面を被っていたのである。いくら立派な理想を掲げていたとしても、自分が死んだり潰されたりしてしまえば、その理想を実現することはできない。
最初に言ったように、私はここで辺野古移転の是非について議論するつもりはない。ただ少なくとも、数多くの妨害や障害に晒されながらも達成しなければならないゴールがある人々は、いかにそれらの妨害をかいくぐるかという戦略的な姿勢を、仲井眞知事からは見習えるだろう。