2018年5月に、ハフポスト日本版は5周年を迎えました。
創刊前のオフィスはこんなに広かったのに
今ではたくさんの人が並んで仕事をしています。
そして5月11日には、「Be Green」をテーマに5周年を記念したパーティを開催。
多くの方々がコーポレートカラーの「緑」を身に着けて参加してくださいました。
そして、「アタラシイ時間」という5周年企画も始まりました。
会社の5周年企画に関わっていると、ふと「そういえば、5年前って何してたっけ」と小さな疑問が頭に浮かびました。
5年前は22歳、保育士1年目。3月31日まで学生だったのに、4月1日から「先生」と呼ばれ戸惑ったことを強く覚えています。
毎日泣き叫ぶ0歳児7人と過ごし、仕事が終われば友だちや彼氏に泣きついていたような...ただ飲んで騒いでいただけだったような‥。
私生活では、学生時代から付き合っていた人と、今までとは違う時間の過ごし方に慣れずにいました。
その一方で、久しぶりに感じる「会いたいのに、会えない」という気持ちにワクワク。
高校に入学して、1ヶ月ちょっと。高1の夏から1年間、カナダに留学するのでその準備を必死にしていた。
はじめて親元を離れ、ひとりで海外に長期滞在するから気持ちはワクワクと不安で半分ずつだったけど、その1年間が人生のターニングポイントになるなんてまだ知る由もない。
好きな人と、金環日食??を見た。
朝が苦手なくせに、張り切って早起きした。(今はもうむりだ)
■坪池 順
写真を撮り始めたころ。
出版社で編集者をしていた。
今では考えられないけれど、深夜残業は当たり前。
でも毎日がすっごく楽しかった。
編集者として出版からネットメディアへの移行を考えていました。この頃はTumblrとハフポストUS/UK版ばかり見ていました。機密漏洩で軍事裁判にかけられたブラッドリー・マニングを支持するムーブメントに参加したり(写真は午前3時に撮ったもの)。
とはいえ、ネット編集の経験ゼロだし、40歳超えていたのでなので移行は難しいかなと考えていました。だから、ハフポスト日本版に参加できたときは嬉しかったですね。いまこうやってハフポスターになれているなんて、5年前には想像していませんでした。
■崎川 真澄
3年前に死んだ母が存命で介護中かつ、仕事では某システム開発が完成。
その説明に全国の本支社を行脚中でした。
■磯村かおり
30歳の節目の年。
「人生早すぎ!」「なんか変わった?」という会話を同級生とよくしていた。
最後の大学生活!
イギリス留学から帰ってきたばかりで、進路が不安だったけど、大学に入り浸っていた。
大学の時の友達は、5年後の今も変わらず仲がいい。
5年前(当時16、17歳)はカナダへ単身留学して丁度一年くらい。
一番ハメ外してたし一番自分が最強だと思ってた。
当時の1番の悩みは彼氏と喧嘩ばかりして別れたこと(考えられないくらい病んだ)だったけど、その2週間後に新しい彼氏と付き合ってたし、今思えば幸せな悩みだな〜と思う。
5年前、私は麻雀を打つロシア人を取材していた
ハフポスト日本版ができた2013年5月7日、私は当時、出向元の朝日新聞にいて、モスクワ支局員として旧ソ連圏の取材を担当していた。
段ボール箱の中から、当時の取材ノートを引っ張り出す。 5月18日の日付が目にとまる。この日、私はモスクワ中心部であったロシア人による麻雀大会を取材していた。
ロシアにも日本式麻雀の愛好家は多く、大会を開くまでになっていた。用語も「ロン、ドラ、マンガン」など、日本で使っているものを話していた。
一方で違いもあった。日本では麻雀はどことなく「賭け事」というイメージがあるが、ロシアではチェスのように知的ゲームとして受け入れられていた。大会にも理系出身者や女性らもたくさん参加し、明るく楽しく和気あいあい。日本の雀荘の印象とはずいぶん違った。
麻雀に限らず、ロシア人は「日本」が大好きだ。漫画やアニメ、音楽などのポップカルチャーは言うにおよばず、映画や絵画、武道や茶道など伝統的な文化も、さらには自動車や家電、ゲームなどの産業製品もリスペクトしてくれる。
これに対し、日本人はどうか。北方領土問題、シベリア抑留、ソ連時代の一党独裁...。ロシアといえば「寒い。怖い」「おそロシア」。そんなマイナスイメージがつきまとう。両国の関係は、まるで悲しい「片思い」のようだ。
ロシアとの付き合い方がどうなるにしても、まずは相手のことをよく知らないといけない。人間関係と同じようなものだ。その意味では、ステレオタイプなロシアばかりを伝える日本の報道のあり方に、私は少なからず不満があった。
そんな状況に一石を投じたいと思い、「おそロシア」に対抗して「おもロシア」という枠組みでロシアの「素顔」を伝えようとしてきた。まさにハフポスト日本版がローンチしたときのころだ。
ハフポストはアメリカ生まれのメディアだ。当時、日本版のオフィスがある東京から約6000キロ離れたモスクワで、アメリカやヨーロッパのメディアが発信する情報に引きずられた記事が出るのだろう、と正直冷ややかにみていた(笑)。と思っていたら、2017年、私自身がハフポスト日本版に出向、ここでロシア報道をやり始めた。人生、何が起きるかわらかないものだ。
髪を染め、カラコンを入れるも憧れのギャルにはなれなかった。
放課後、駅前のサイゼでドリンクバーだけを頼み何時間も駄弁ることが生き甲斐だった。
マスコミ勤務2年目で、千葉県警担当の事件記者だった。
急な仕事で休日が潰れるのが、当時はまだかっこいいと思っていた。
いつかフリーランスになりたいと考えていた。
5年前、アメリカ東部、ボストンのMITメディアラボにいました。そこで、様々な研究者とメディアについて語り合ったのですが、伊藤穰一所長が私のiPadにさらっとサインをしたのです。
黒いサインペンで書かれたのは「Question Authority」という文字。インターネットは権威を疑うものです。そして、いまこの瞬間、日本では様々な権威ある組織のおかしさが浮き彫りになっています。
日大アメフト部の悪質なタックル、財務省の福田前財務次官や狛江市長へのセクハラ疑惑。権力者の勝手な振る舞いに対して、そしてそれを黙って見過ごしてきた、"事務的な空気"に対して、NOを突きつける個人が増えてきました。
もしかしたらそれはネットやiPadの力ではなく、人間が持っている本質的な勇気と、誰もがアクセス可能な事実の力なのかもしれないと、5年前を振り返って思っています。
初めて外資系(ハフポスト)に転職し、初めて文化の壁を体験しました。
当時はほとんど英語が話せなかったので、えらいところに転職しちまったなあと青ざめたんですが、5分後には、世の中は実力主義で 相手も人間なのだから、ビビることはないとすぐに気持ちを切り替えていました。
日本の企業で学んできたことが世界に通用する、むしろ日本のほうがすごいことが山のようにあると気がついたのもこの頃でした。
あなたの #5年前のワタシ を教えてください。
5年前はバラバラの場所で違う時間を過ごしていた、仲間たち。
たった5年だけど、こんなに違う時間を過ごしているんだな、と話しを聞いて思いました。
ちょっと前の自分を振り返るのって照れくさいことだけど、もしかしたら、過去の自分が今の自分にヒントをくれるかもしれません。
ぜひ、あなたの「 #5年前のワタシ」 を教えてください。
ハッシュタグ #5年前のワタシ をつけて、エピソードと一緒にツイートしてもらえると嬉しいです。