タオルから考えるミャンマーの医療

ミャンマーは、第二次大戦中の独立戦争協力時より、歴史的にも日本との縁が深く、とても興味深い国だとは思っていた。しかしながら、現地とのつながりもなく、なかなか訪れる機会がない中、今回、宮澤保夫・星槎グループ会長に同行を許して頂き、ミャンマーで勉強させて頂くことができた。そして、今回の滞在で、当初自分の持っていたミャンマーに対する未開なイメージは、ただ一点を除いては悉く裏切られることになった。

2014年3月14日午後5時、私は38度の温風にさらされていた。ミャンマーという国は、最近日本国内でもしばしば耳にし、聞き知ってはいたが、実際に訪れたのはこれが初めてであった。

ミャンマーは、第二次大戦中の独立戦争協力時より、歴史的にも日本との縁が深く、とても興味深い国だとは思っていた。しかしながら、現地とのつながりもなく、なかなか訪れる機会がない中、今回、宮澤保夫・星槎グループ会長に同行を許して頂き、ミャンマーで勉強させて頂くことができた。そして、今回の滞在で、当初自分の持っていたミャンマーに対する未開なイメージは、ただ一点を除いては悉く裏切られることになった。

 ヤンゴン空港を出たとたんに、道路には大量のトヨタ車があふれ、スマートフォンを操りながら歩道を闊歩する人々も目に付いた。電気店には日本と同様、iPhoneが並び、外国人向けのホテルには液晶テレビが備え付けられていることも多いようであった。高級レストランやスーパーマーケットのトイレは水洗で、手洗い場にも送風乾燥機やペーパータオルが常備されていた。商業施設に関しては、日本に負けず劣らずの設備で、その一つ一つの規模に関しては、日本の田舎のイオンモールのようであった(非常に大きいという意味である)。訪れた、保健省、通信省、科学技術省等、官公庁には、世界各地からひっきりなしに来訪者があり、大臣は五分ごとにスケジュールを組んでいた。

ミャンマーは私の想像をはるかに超える盛況ぶりであった。この盛況ぶりをみると日本企業が「ミャンマー、ミャンマー」と騒ぐ理由が分かる。実際、騒いでいるだけのことはあり、先のトヨタ車をはじめ、シャープの液晶テレビ、TOTOのトイレ等、日本の製品はかなり多く、現地のミャンマー人ホテルマンが「日本製がいいのは知ってるよ。みんなお金があったら日本製のものを買うね。」というほど日本ブランドというものはミャンマーに浸透していた。

しかしながら、先に述べた一点、最も自分にとって関わり合いの深い、病院のみが、自分の思い描いていたミャンマーであった。私が訪れたのはヤンゴンで最も大きな三つの病院のうちの一つ、800床のノース・オカラバ病院であった。ところで、ミャンマーの平均寿命は60半ばである。日本の病院と異なり、患者やスタッフは全体に若く、医院長のMya Thaung氏も50代に見えた。

訪れた当初、Mya氏から、「感染症対策はほぼ完璧でWHOの基準に従って処置を行っている」と聞かされ、やはり、到着後目にした様子と同様、医療に関しても、自分はミャンマーを過小評価していたのだろうと思った。

しかしながら、一般病棟には、一棟当たり手洗い場が一つしかなく、ICUも含め、手洗いには固形石鹸、及び手拭いが使用されていた(図Ⅰ)。ICUの水道の取手も、日本でみるように肘で開け閉じ出来るタイプではなく日本で一般に目にする家庭用の水道の取手であった。もちろん、ミャンマーのスタッフ達は、「水道をあけるのに手を使わないのか」と驚きを隠せない様子だった。

図Ⅰ:矢印は使い古しのタオル蛇口の横には固形石鹸も見える

現在、ミャンマーで問題になっているのは結核だ。患者が薬局で簡単に薬を購入でき、患者の判断で、完治する前に薬剤投与をやめてしまうために耐性菌が生じる。病院で見た結核対策も、我が国とは随分違っていた。Mya氏は「結核患者は隔離している」と言うが、結核患者と一般患者のベッドの間には、カーテン一枚なく、吹き抜けであった。(図Ⅱ)

図Ⅱ:青矢印が普通病棟、赤矢印が結核病棟 間には何も仕切るものはない

看護師や医師は患者間を行き来する際も、手袋を交換せず、手洗いもしていなかった。「いちいち変えることは出来ない」。現地のスタッフはつぶやく。つまり、院内での二次的な感染の対策はほぼ皆無であった。現地のスタッフに質問したところ、「予算がないからできない」と言っていた。皮肉なことに、本来最も感染に関して敏感であるべきはずの病院が、「お金がない」との理由で、スーパーマーケットよりも衛生のための物資がない状況にあった。

現在ミャンマーには最新の病院及び病院設備が、日本をはじめ、外資により、導入されている。しかしながら、ミャンマーの人々にとって、まず本当に必要なのは、大型の設備の投資ではなく、病院にとって最も基本的な、手洗いをはじめとする衛生の環境を整え、その大切さを現地の医療従事者及び行政に伝えることである。ミャンマーの医療への投資は決して多くない。予算が少ない中で医療を行なってきた現地のスタッフが、「院内感染対策に、必要な予算を割け」と主張することは非常に難しいのだろう。

自分の見学したノース・オカラバ病院では、トイレが下痢の患者と一般の患者で分けられており、「衛生に関して、出来ること、気づいたことはどんどんやろう」という意識がとても強いように感じた。例えば、一人のスタッフに質問しても、そのスタッフだけが答えるという形ではなく、周りにいる全員がディスカッションに加わる等、より良い医療をスタッフ一人一人が目指していた。実際、Mya医院長は、「日本の病院を是非見学してみたい。日本で医療を学びたい。」と述べており、その様子からは、外から知識を取り入れ、ミャンマーの病院に生かしたいという積極的な姿勢と、日本の医療に対する大きな信頼感を感じた。

以上を考慮すれば、この院内感染対策を代表とする衛生の概念は、必ずやミャンマーに普及させることが出来る、そのように私は感じた。まさに、日本が得意とする分野だ。しかし、ミャンマーの病院に日本人医療スタッフは一人もいなかった。此処にこそ、日本人医師が活躍できる場所があるにもかかわらずだ。私は、一人前の医師になった暁には、ミャンマーで活動したいと考えている。

大いなる発展の可能性を秘めたミャンマー医療界において、ミャンマーの人々が抱く日本ブランドに対する信頼感を生かし、私は、ミャンマーで初めての、病院衛生を伝える日本人医師を目指したい、そのように感じた。

【著者】 岡田直己

大阪府出身

東大寺学園高校卒業

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