自分の期待を「手放す」ということ

私はこれまで数多くの患者さんの「死に逝く過程」を見てきました。
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先月、横浜で緩和ケアとホスピスの音楽療法をテーマにした講演をした際、興味深い質問がありました。

90代の母が怒りを抱えてたまま、人生を終えることに悩んでいます。母は今、人生を振り返り、さまざまな苛立ちがあるようです。その不満や怒りを家族に何度も繰り返し言うののですが、家族としても聞くのがつらいです。このような気持ちで人生を終えて欲しくありません。どうしたらいいでしょうか?

まず、このような場合、専門的知識を持った第3者が入ることが望ましいです。家族という関係性の中で精神的サポート提供することは非常に難しいことですし、ご家族にも心のケアが必要だからです。

私はこれまで数多くの患者さんの「死に逝く過程」を見てきました。患者さんの中には残された時間が少ないことを悟り、驚くようなエネルギーで心の整理をしたりやり残したことをする人もいます。人は人生の最期まで、成長したり回復したりする可能性があるのです。

同時に、90年以上怒りを抱いてきた人が、人生の最期にそれを手放す(Let go)可能性がどれくらいあるでしょうか? 現実的にはとても難しいことだと思います。たとえどんなに優れたセラピストが対応したとしても、心の回復に向かう力は本人にしかありません。周りはその過程をサポートすることしかできないのです。つまり、お母さまが「怒りから解放されて欲しい」という自分自身の期待を手放すということです。

また、お母さまにとって「怒り」とは自分の心を守るための"defense mechanism(ディフェンス・メカニズム)"である可能性があります。これは日本語では「防衛機制」と訳されることが多い言葉で、簡単に言えば、自分自身を守るために起こる現象です。

もし、代わりになるものがない状態でこれを取り除いた場合、本人はもっとつらい状態になる可能性があります。そのため、慎重に対応する必要があるのです。

私はこのお話を聞いて、ある患者さんのことを思い出しました。拙著「ラスト・ソング」で書いたリンダという女性のことです。彼女はアメリカのホスピスで出会った63歳の独身女性で、長年心の痛みを抱えて生きてきた人でした。彼女が〈心の苦しみ〉を手放すことができないのには、何らかの理由があったのです。私は彼女の苦しみを「取り除いてあげたい」という自分の気持ちに注意しなければいけない、と思いました。そうしなければ、セラピーは結局彼女のためにならないと思ったからです。

最終的に、彼女は自ら回復の方向へ向かいましたが、人の心がいかに複雑であるかということを、私は彼女から学びました。

終末期ケアにおいてもっとも難しいことは、誰かの苦しみと寄り添うということです。その苦しみを解決できる場合はこちらも少し楽になりますが、多くの場合はそれができません。そういう状態で、それでも一緒にいることは想像以上に疲れる過程です。だからこそ、ご家族への心のケアが欠かせないのです。

お母さまの怒りを変えることはできないかもしれませんが、愛情深い家族の存在そのものが、彼女にとって何よりも大切なことだと思います。

(2018年12月8日「佐藤由美子の音楽療法日記」より転載)

佐藤由美子(さとう・ゆみこ)

ホスピス緩和ケアを専門とする米国認定音楽療法士。バージニア州立ラッドフォード大学大学院を卒業後、アメリカと日本のホスピスで音楽療法を実践。著書に『ラスト・ソング』『死に逝く人は何を想うのか』。