ムーミンが巷を席巻中だ。
少し街を見渡すだけで、ムーミングッズを持って歩く女性の姿をほとんど必ず目にすることができる。書店や雑貨店でも、ムーミンコーナーを別枠で設けているようなところが少なくない。
かねてよりの北欧ブームの上に、今年は原作者のトーベ・ヤンソン氏の生誕100周年ということで、常にも増してムーミンシリーズへの注目度が上がっているようだ。講談社文庫も、数年前にムーミンシリーズを一斉に新装した。その影響もあってのこのブームなのかもしれない。主に20~30代の女性からの支持が高いようだ。
単純に、それぞれのキャラクターの可愛らしく「おしゃれ」な見た目がウケている、ということは考えられる。しかし、ムーミンシリーズにおいては、あの独特の世界観を抜きにしてその魅力を語ることはできないだろう。あのフォルムと、それぞれの登場人物のやや強烈とも呼べるような性格が相まって、唯一無二のキャラクターが出来上がっている。人々は、多かれ少なかれ、そんな部分に惹かれているのではないだろうか。
そんな個性的なキャラクターたちに彩られたムーミンの世界は、現代に生きる我々へのヒントに満ちているように思う。
最大の魅力は、ムーミンの世界に生きるものたちが、それぞれの個性的な性格を、のびのびと生き切っているという部分だろう。ムーミンに出てくるキャラクターは、誰も「ふつう」を生きようとしていない。「ふつう」の世界に馴染んでしまった我々には少しびっくりしてしまうような生き方が、そこではむしろふつうなのだ。
たとえばミイは読んでいるこちらがたまに本気でひいてしまうぐらいの毒舌家だし、スナフキンは自由を愛するあまり、ルール無用な行動に出てしまうこともしばしば。ムーミンパパはいつまで経っても完成しない小説を書き続けるだけで、まったくお金を稼がない......。
意地悪な見方をすれば少しばかり迷惑な存在ともとれるような彼らも、ムーミンの世界ではまったく問題なく受けいれられているように見える。誰も彼らを異常とはみなさない。それどころか、その強烈な個性を認め合って、互いにストレスなく暮らしている。みなそれぞれが、自分というものを真に生きて、自分自身にくつろいでいるから、他者の個性をしっかりと認めることができるのだ。
「ふつう」というものが世の中にはあって、そこに自分を合わせないことには迷惑な存在とみなされてしまう、そうなることを恐れて必死で「ふつう」を追い求める―― それが現代に生きる我々の「ふつう」の生き方とされている。
だけど、「ふつう」に自分を合わせようとするあまり、自分自身に備わった個性までをも抑えつけてしまうようなことが起きたら、それは悲劇でしかない。
もちろん、社会で生きていく上で、最低限守らなくてはならないルールはある。でも、それと自分自身の個性を殺して「ふつう」になることとはまた別問題であるはずなのに、私たちは、どういうわけか、そこをはき違えてしまいがちだ。
自分自身の個性を生きることと、自分勝手に生きることは違う。
いつかこんな話を聞いたことがある。「真に自分自身というものを生きているときは、自分も他人も楽しくなっていく。しかし、単にわがままに生きているだけの場合は、自分も他人も苦しくなっていく」。その通りだな、と思った。
そして、ムーミンのキャラクターたちは、みな前者を生きている。だから、みな生き生きとそれぞれの人生(彼らは妖精だから「人」ではないのだが......)を楽しんでいる。
学ぶべきことが多そうだ。
ムーミンの世界を単なるおとぎ話として片付けてしまうことは簡単だが、せっかくだから、彼らの生き方をヒントにして、すべての存在が自分自身というものにくつろいで、それぞれに備わった個性をあますところなく発揮して、自分も周りも楽しく生きていけるようになったとしたら、それほど素敵なことはないな、と思う。
ムーミンに惹かれる人々が多いこの世の中、もしかしたら実現は難しくないのかもしれない。