「死者は毎日増え続けています。無差別な暴力にさらされる現地の人々も、ガザに残って最前線で人々のために働く私たちの仲間も、もうとっくに限界なんて超えています。でも紛争が止まらない」
国境なき医師団(MSF)のスタッフとしてパレスチナ・ガザ地区に派遣されていた日本人医師らが12月11日、東京都内で開かれたトークイベントで、痛切な思いを語った。
ガザの保健当局によると、ガザ地区での死者は1万8千人を超えた。
この日のMSFによるトークイベントには、ガザに派遣されていたMSFの医師やスタッフ、ガザでの取材経験があるジャーナリストや作家が登壇した。
10月7日の戦闘開始から2ヶ月以上が経過する中、医師らは、即時停戦と人質の解放を強く訴えた。
「困ったことはあるか」ガザでいつも聞いてくれた元同僚医師の死
感染症専門医の鵜川竜也さんは、2023年4月から11月までガザ地区に派遣されていた。
北部のアル・アウダ病院で医療支援に従事していたが、戦闘開始後に避難を余儀なくされた。空爆が続く中で命からがら逃げるも、水や食料に困る日々。野宿状態の避難生活は26日間続いた。
11月1日にガザから退避。日本へ帰国したが、帰国後もガザから日々届く悲惨なニュースに心を痛めている。
鵜川さんが働いていたアル・アウダ病院が11月21日に攻撃を受け、医師3人が犠牲となった。
うち2人は、鵜川さんと共に働いていたMSFの医師、マフムード・アブ・ヌジャイラさんとアフマド・アル・サハールさんだった。
鵜川さんは「言葉にできないショックを受けた」と話す。
「現地の悲惨な状況を聞いていましたが、一緒に働いていた同僚が亡くなるという出来事は、戦争の悲惨さを痛感するようでした。2人とも医師として、戦争が起こっても患者さんのそばを離れず治療にあたっていました」
ガザで共に働いていた頃、ヌジャイラさんとサハールさんはいつも鵜川さんに、「困ったことはあるか」「何かあったら俺がなんとかするから」と優しく声を掛けてくれていたという。
MSFによると、ヌジャイラさんは38歳で妻と3人の子どもを残して亡くなった。サハールさんは婚約したばかりで、近く結婚する予定だったという。
国際的な条約のジュネーブ条約(国際人道法)では、医療施設や医療従事者、医療用車両などへの攻撃を禁止している。
鵜川さんは「彼らを攻撃の対象にしてしまうことは絶対にあってはいけない」と語気を強めた。
「戦争は間違っていると胸を張って言える日本社会であって」
白根麻衣子さんはMSFの人事マネージャーとして2023年5~11月、ガザ地区にある支援先の病院への人材配置などを担当していた。
これまでにも紛争が繰り返されてきた同地区だが、10月7日の戦闘開始前とその後について、こう語った。
「ガザ地区は、18歳未満が人口の半分を占める場所です。いつも子どもたちが笑顔で走り回っていて、外国人の私たちを見ると覚えたての英語で話しかけてきてくれるような温かい場所でした」
「10月7日までは、そんなたわいもない日常がありました。しかし、戦闘開始によってそんな“日常”が一瞬にして崩れてしまいました」
白根さんも空爆が続く中、避難をし「残っている食料のカロリーを数え、避難していた仲間で分けると何日持つか数えて食べた」。
白根さんは、「今起こっていることは無差別な暴力。傷つくのは住民たちで、何も罪がない人たちが家を追い出されています。ガザで出会った子どもたちの顔を思い出すと今でも胸が痛くなる」と話した。
日本へ帰国してからも、現地に残るMSFスタッフと連絡を取り続けている。
白根さんはガザで起きていることについて少しでも多くの人に知ってもらいたいと、メディアの取材にも多く応じている。
白根さんは「一刻も早く停戦が訪れてほしい」とし、こう語った。
「パレスチナでもイスラエルでも、何の罪のない市民の人々が犠牲になっています。この無差別な暴力を止めるためにも、一人ひとりが声をあげていくことが大切です」
「戦争は間違っていると、胸を張って言える日本社会であってほしいと思います」