スペインの新人監督、カルラ・シモンの鮮烈な長編デビュー作『悲しみに、こんにちは』が7月21日より公開される。
幼い頃にエイズで母を亡くした監督の実体験を映画化した本作は、第67回ベルリン国際映画祭で新人監督賞を受賞、アカデミー外国語映画賞のスペイン代表作品にも選出されるなど、高い評価を受けた。
1993年の夏、母親を亡くした少女フリダは、カタルーニャの田舎に住む叔母夫婦に引き取られる。フリダは母の死をまだ受け止められずにいる。母の死因が、当時不治の病とされていたエイズであることもフリダは知らない。叔母夫婦とその娘、アナはフリダを暖かく迎え入れるが、フリダはかけがえのない夏を過ごすのだが、新しい家族と慣れない土地、そしてエイズを恐れる周囲の目線のため、フリダは孤独を抱え込んでいる。
突然の母の死、新しい土地への戸惑いを抱えながらも、フリダは夏を満喫していく。しかし、少女は母の死を受け止め前に進まねばならない。陽光きらめくスペインの田舎を舞台に、家族の暖かさと死と孤独に直面する少女を瑞々しく活写した作品だ。
カルラ・シモン監督に本作についてうかがった。
自分の癒やしのための映画じゃない
――この映画は監督の子ども時代の話を元にしているそうですが、この映画を作るきっかけはなんだったんでしょうか。
カルラ・シモン監督(以下シモン):多くの人に、自分の心の傷を癒やすために作ったのかと聞かれたのですが、そういうわけではないんです。これは私の確かに私の幼少期の体験を元にした物語で、それなりにこの出来事に対して傷を負ったとは思います。けれど、それから長い月日を経ていますから私なりに消化しています。それよりも、子どもが死に直面した時、どう感じるのだろうということを描きたかったんです。
――あなたの個人的な体験を元にした作品ですが、とても普遍的な感情を描くことに成功していると思います。自らの私的な物語を普遍的なものにできると、いつ確信を得たのでしょうか。
シモン:私のこの体験を多くの人に話すと、大抵とても関心を持ってくれるので、多くの人を引きつけることができるのではとは思っていました。でも映画を作る前から強い確信があったわけではなりません。これが普遍的なものを描いているのだと本当に確信できたのは、映画を作り終えて、世界の人々に見てもらった時ですね。多くの国の映画祭に行きましたが、みなが同じような感情を抱いてくれたので、それでようやく確信を持てました。
家族愛は誰にとっても大切なものだし、だれもが親しい人の死を経験しています。それにこの映画は90年代の設定なので、その頃を覚えている人には懐かしいものでもあったのでしょうね。
――ご自身の体験を映画にするので、独りよがりなものにならないように気をつけたと思うんですが、どんな点に気をつけましたか。
シモン:たくさん本を読んで、子どもが死に直面する時どんな感情を抱くかを学びました。それと、自分と距離を置く作業が重要でしたね。キャスティングの際も、最初は自分に似ている子を選ぼうとしていましたが、重要なのは外見ではないと気づき、もっと性格を重視するようにしましたね。ロケ場所も自分の過ごした土地そのままではなく、少し離れたところにして自分の想い出と距離を取ることにしました。
――この映画は、カメラが常に第三者の目のような視点だと思いました。なぜこのような観察的な視点になったのですか。
シモン:観客にフリーダのいる世界を体験してほしいと思ったので、ホームビデオのようなイメージで撮影しました。それを観察的な視点、あるいはドキュメンタリーのようだという人は多いですね。長回しもホームビデオ風にするための工夫の1つです。一度ミスが出ると最初からやり直しになってしまうので、リスクのあるやり方ですが、どうしても必要なことでした。
製作中は、監督として自分の人生に距離を置いていたので、物語に入り込むことが出来なかったんです。でも完成した作品を観て、本当に自分の子どもの頃を思い出しました。女優である私の妹もこの映画に出演していますけど、彼女は撮影中も昔を思い出してしょっちゅう泣いていましたけど。(笑)
母が得た自由とその代償
――今回映画化する時に改めて自分の子ども時代を振り返って新しい発見はありましたか。
シモン:映画を作る上で一番難しかったのは母をどう描くかということでした。知り合いの編集者に最初の脚本を読んでもらった時に、母親の存在感を感じないと指摘されました。それもそのはず、この映画で描いたように、私は母を幼い時に亡くしていて、彼女との想い出がほとんどないのです。だから母の存在をリアリティを持って描けなかったのです。
なので、私は自分の母を再発見するために、母の死に対してどう感じていたかを質問させてもらいました。それから母が友人に宛てた手紙をたくさん読ませてもらいましたね。そうやって私の知らない母を作り上げていったんです。
――実の母親について具体的にどんなことを発見しましたか。
シモン:この映画の前に『ゆりかご』という短編映画を作ったんですが、それは母が旅した足跡を私自身が辿って、彼女の手紙を朗読するという内容です。短編映画の製作で彼女の訪れた場所を辿ったことで、母という人物をとてもよく知ることができたと思います。彼女が体験したことを私自身が追体験したような気持ちになれましたね。
彼女の手紙を読んでわかったことは、私の母はとても激しい人生を送った人だったということですね。彼女の若い頃はフランコ軍事政権が倒れて自由が訪れたばかりの時で、若い人々はその自由を謳歌するためにいろんなことに挑戦していました。彼女もそんな一人でいろんなことを試していたようです。その中の一つにドラッグもありました。手紙には今日、こんなドラッグを試してみたなど詳細に書いてありましたね。
しかし、その自由への希求の代償として、彼女はエイズを患うのです。ただ彼女はそれは全て自分に責任があることも自覚していたようです。彼女はとても強い意志を持った人だったんです。自分の娘に母乳をあげられないことを悩んだこともあるようです。それでも母は、人生を前向きに、活き活きと過ごしたみたいです。
それから彼女はクリエイティブな才能もあったみたいですね。とても美しい文章を書くんですよ。
――母のエイズの問題などはありますが、映画の中ではそこはあまり強調されていませんね。
シモン:ええ、子どもの視点で描くことが大事だと思っていましたから。私自身、母がエイズで亡くなったことを知ったのは12歳の時です。主人公のフリーダの年には知らなかったのですよ。だから映画の中でエイズという言葉を一切出しませんでした。エイズという単語は強い意味を持ちます。それを言ってしまうとエイズに関する映画になってしまうと思ったんです。私はエイズの映画を作ろうとしたわけはなく、子どもが死をどう受け入れるのかを描きたかったんです。