『500ページの夢の束』人は物語なくしては生きていけない

豊かな人生を生きるためには物語の想像力は不可欠だということを描いた作品だ。
©2016 PSB Film. LLC

 9月7日から公開中の映画『500ページの夢の束』は、豊かな人生を生きるためには物語の想像力は不可欠だということを描いた作品だ。

 主人公のウェンディ(ダコタ・ファニング)は、自閉症を抱え自立支援ホームで暮らしている。彼女は『スター・トレック』が大好きで、唯一の肉親である姉と離ればなれの彼女にとっての心の拠り所となっている。ある日、『スター・トレック』50周年を記念して脚本コンテストが開催されることを知ったウェンディは500ページのオリジナルのスター・トレックの物語を書き上げる。が、郵送では締切に間に合いそうにないと知った彼女は愛犬を連れて施設を抜け出し、ベイエリアからハリウッドで一人で旅立つ。

 主演のダコタ・ファニングの好演でとても爽やかな語り口で開放感ある作品になっている。本作には、どうして人はフィクションを愛好するのかの秘密が描かれているように思う。

現実を前進させる物語の力

『スター・トレック』が大好きなウェンディは、毎日自分なりの物語を作り、脚本を書いている。どこかで発表するあてもなく、自立支援ホームのソーシャルワーカー、スコッティ(トニ・コレット)に読ませるのみ。自閉症の彼女にとって、『スター・トレック』の世界に浸ることが、生きる糧であり、心の支えでもある。ちなみに彼女はクリンゴン語をそらで言えるほどの熱心なトレッキー(スター・トレックファンの愛称)である。

 唯一の肉親である姉は、結婚し子供もいるため、自閉症のウェンディとは暮らせないと考えている。久しぶりに支援ホームを訪ねてきた姉とも喧嘩になり、ふてくされるウェンディだが、『スター・トレック』50周年の脚本コンテストが開催されることを知り、自ら書いた500ページの大作脚本を応募しようと試みる。しかし、郵送では間に合いそうにないため、自らの手で届けようと決意、カリフォルニアのベイエリアからハリウッドの数百マイルの道のりの旅に出る。

 支援ホームの近くから出たこともない、お金もロクに持っていないウェンディが一人でハリウッドまでたどり着けるはずはない。道中様々な人に騙されたり、助けられたりしながらウェンディは、パラマウントスタジオを目指していく。

 旅の途中、彼女を救ってくれるのは『スター・トレック』愛を持った他者だ。スコッティの息子のサムや、クリンゴン語を操る警官など。会ったことはなくても同じ物語を共有する仲間たちがどこかにいる。フィクションの連帯力がウェンディを助ける。

 孤独なウェンディを励ましてくれるのは、そうしたトレッキーの他者だけではない。『スター・トレック』の登場人物も彼女を助けてくれる。カーク船長やスポックから教わったことを頼りに、ウェンディは旅の艱難辛苦を乗り越えていく。

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『スター・トレック』はご存知のようにフィクションである。しかしその影響力は非常に大きい。アメリカでは国民的SFドラマとして認知されていて、『スター・トレック』がきっかけで宇宙飛行士を目指すようになった人もいる。

 例えば、アフリカ系アメリカ人女性として、初めての宇宙飛行士となったメイ・ジェミソンは、宇宙を目指すきっかけとして、『スター・トレック』に登場する黒人女性の宇宙艦隊士官ウフーラのことを挙げている。

「60年代は、気を滅入らせるようなことばかりの現実より、『見せかけ』のイメージ(幻想)の方が生きる力を与えてくれました。イメージは私たちに可能性を示してくれたのです(筆者による意訳)」

彼女はその言葉とともに、ウフーラを演じた女優ニシェル・ニコルズに多大なインスピレーションを与えてくれたことに対し感謝の言葉を送っている。(参照

 メイ・ジェミソンは、それまでの現実にはない物語を生きた。フィクションの世界にしか存在しなかった黒人女性宇宙飛行士を、フィクションからもらったエネルギーで現実のものにしたのだ。

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 人の人生には物語が必要なのだ。時に癒やしに、時に現実を動かす力として。ギルガメシュ叙事詩以来、人は物語から多くのことを学んできて、今の繁栄があるのである。

 この映画には、つらく苦しい現実世界を生きるための知恵を観る人に与えてくれる。お気に入りの物語があるだけで、人生は豊かなものになるのだ。

 それから、この映画をより深く楽しむためにはクリンゴン語を学習していくといい。クリンゴン語の学習サイトがあるので学んでみよう。道に迷ったトレッキーを案内するのにいつかきっと役立つはずだ。

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