◇感情を表さないことと、感情を持たないことは、決して同義ではない!
皆さんは「スター・トレック」という作品をご存知だろうか? 1966年に放映されたTVシリーズ「宇宙大作戦」を皮切りに、これまで6本のドラマ、13本の劇場版、1本のアニメ作品が制作されている、超人気コンテンツだ。
調査飛行を行う宇宙船USSエンタープライズが、宇宙で遭遇するさまざまな事件を描くSF作品で、宇宙を舞台にしながらも、戦争、宗教、人種差別、また性的指向に至るまで、多くの哲学的な問いを投げかけてきたという。
私は恥ずかしながら本編を観たことがなく、「スター・トレック」に関する知識といえば、レナード・ニモイ演じる耳の尖った奇妙な風貌のキャラクターと、楳図かずおの"グワシ"とも違う、不思議なハンドサインだけだった。しかし、スポックという名前の彼が、"論理による理性を重んじて感情を表さない"バルカン人(異星人)の父と、"喜怒哀楽を持ち合わせる"地球人の母の間に生まれたハーフであるという設定を知って、その独特な風貌や、まるで固まったような表情ーーなにより、ここで紹介する映画の主人公が、なぜ「スター・トレック」の熱狂的なファンなのかーーすぐに、合点がいった。
◇発達障害(自閉症)を抱える当事者の目線から
映画『500ページの夢の束』の主人公で、自閉症を抱える少女・ウェンディ(ダコタ・ファニング)は、訳あって唯一の肉親である姉と離れ、サンフランシスコのベイエリアにある自立支援ホームで暮らしていた。彼女は、月曜はオレンジ、火曜にはラベンダー(以下略...)というように、曜日ごとにセーターの色を決めている。また、起床してすぐにベッドを整えてシャワーを浴び、タオルの匂いで交換時期を見極め、決まった道順を歩いてアルバイト先に向かうというように、毎日を自身のこだわりと論理とルールに従って、規則正しく毎日を過ごしていた。
じつは、これらの何気ない主人公の描写も、発達障害(自閉症)を抱える当事者の目線で見ていると"あるある"のオンパレードだ。たとえば私の場合、常に黒い服で、通年を通して着られる素材を着る(肌着も、一年中同じ色しか着用しない)というルーティンがあるし、駅に向かう道も、決まった道順しか通らず、それに合わせてくれない夫と(道順をめぐって!)大げんかをしたこともある。私たち当事者にとってみれば、ルーティンは、いわば安心や安全とイコールなのだ。決して侵食されてはいけない、絶対的な領域なのである。
一方で、一度「こうすべきだ」と腑に落ちると、頑なにそれを守るという従順さも持ち合わせている。ウェンディはシナボンでアルバイトをしているが、決められた通りにシナボンを作り、さらには笑顔も作って、「シナボンはいかがですか?」と"早口でくり返さず、毎回、違う口調で"言うことに徹している。これは、20代前半の私が、仕事で"相手の口調や振る舞いを真似すると色々スムーズにいく"ということを経験し、取引先によって口調や振る舞いを見事に変化させるため、同僚から「カメレオン」というあだ名をつけられたことを思い出させる......。
閑話休題。そんな平穏なウェンディの日常が、ある日「スター・トレック」シリーズ50周年を記念して行われる脚本コンテストの開催を知ったことで、風雲急を告げる。締め切りまで、1週間。正しい書式で書いた脚本をロサンゼルスにある映画会社・パラマウントに送らねばならない! ところが、せっかく書き上げた脚本が、郵送では締め切りに間に合わないことに気づいたウェンディは、自らパラマウントへ脚本を届けようと、こっそりと支援ホームを抜け出して......。
◇音楽とイヤホンは必需品!
ある程度の支援を必要とする自閉症を抱える彼女にとって、先ほど説明したように、決められたルーティンの日常から抜け出し、フレキシブルな対応を迫られる「旅」に出ることは、想像を絶するほどの困難さと、勇気を必要とする。アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害、ASD)を抱え、常に二次障害であるパニック障害に悩まされている私は、そのような旅がウェンディにどれだけのストレスをもたらすか、想像するだけで眩暈がするほどだ!
たとえば、ーー全編を通してみれば些細な出来事に過ぎないがーー劇中で彼女の愛用するi-podが盗まれるシーンがある。このシーンで、私は思わず天を仰いだ。なぜなら、聴覚過敏の特性を持つ自閉症(発達障害)のある人間にとって、i-podあるいはi-phoneなどの音楽再生機とイヤホンは、必需品だからである。つまり、自分の心地よい音で"耳に蓋"をしていないと、通り過ぎる車やバイクの音、知らない人の会話などが土石流のごとく押し寄せてくるため、注意が散漫になり、呼吸が浅くなって、パニック(厳密にいえば、いわゆる自閉症のメルトダウンのパニックと、パニック障害によるパニック発作は症状が異なるが、いずれも当人からすれば、死ぬかと思うような恐怖を伴うもの)を起こしてしまうことがある。知らない土地への旅の最中ともあれば、なおさらだろう。
このような自閉症(発達障害)の特性ゆえの困難さが、この映画では全編を通して丁寧に描かれている。
◇「発達障害=宇宙人」!?
それでは、なぜ、主人公ウェンディはそれほどまでに危険な"一歩"を踏み出したのか......? 本当に「スター・トレック」の脚本コンテストで優勝を勝ち獲るためなのか、ただの衝動か、あるいは、何か、ほかの目的があってのことなのかーー。このあたりは物語の核心に触れるため、ぜひ、実際に映画を観て、彼女の勇姿を見届けてあげてほしい。そこには、障害も何も関係ない、ただ"真摯に生きる一人の人間"がいる。そして、人間が生み出す"無限の愛"がある。
アスペルガー症候群を含む発達障害(自閉症も発達障害のひとつ)を抱える人を、"宇宙人"や"異星人"と喩える人がいる。たしかに、表情の乏しさや決まったパターンをくり返す様子は、はたから見れば"宇宙人"のように見えるかもしれない。しかし、論理による理性を重んじて感情を表さないバルカン人(異星人)の父と、地球人の母の間に生まれたが故に"感情"をうまく表現できない苦悩を抱えた「スター・トレック」のキャラクター・スポックと同じように、多くの発達障害者が、心より出づる気持ちとその表現の狭間で、常に揺れ動いている。
そのアンビバレントな感情の中で、危なっかしくも勇気ある"一歩"を踏み出した主人公の姿に、私は自身を重ね合わせ、幸せな余韻に浸りながら、映画館を後にした。それはおそらく、「スター・トレック」のキャラクター・スポックに自身を重ね合わせることで退屈な毎日をやり過ごしていた、主人公・ウェンディのように......。
◇追記:「心のバリアフリー」に取り組む上映会を!
私はこの映画を、自閉症をはじめとする発達障害の特徴を持つために、映画館での鑑賞に不安を感じる人も映画鑑賞を楽しめる"センサリーフレンドリー"を取り入れた試写会で鑑賞した。日本自閉症協会、日本発達障害ネットワークの協力に基づき、映画館の照明や音(シーンごとにデシベル測定器で細かい調整を加えたとのこと)を工夫したとのことで、さまざまな感覚過敏を持つ人にもやさしい上映会になっていたと思う。予告編などの上映はなく、本編上映中の立ち歩きや声出しもOK。また、上映室の外には吸音材で囲われたクールダウンスペースが設けられており、上映中でも、自由にパーソナルスペースを確保することができる!
日本ではほぼ初めての取り組みとのことだが、今後、このような「心のバリアフリー」に取り組む上映会が増え、私のように大きな音や密室の空気感に耐えられないような傾向のある人間でも、気軽に映画館に足を運べるようになることを、心より願う次第だ。
※本作では、通常興行中にもセンサリーフレンドリー上映が行われるとのこと。詳しくは、映画HPをご覧ください。
※「長寿と繁栄」とは、「スター・トレック」ファンにはおなじみの、バルカン人の挨拶(ハンドサイン)。ちなみにMacやi-phoneなどで「スポック」と入力すれば、このハンドサインに変換されます。お試しあれ。
『500ページの夢の束』 ©2016 PSB Film LLC
2018年9月7日(金)より新宿ピカデリー ほか全国ロードショー
【STAFF】 監督:ベン・リューイン【CAST】 ダコタ・ファニング ほか
【原題:PLEASE STAND BY/2017年/アメリカ/英語/93分/カラー/シネマスコープ/ 5.1ch/日本語字幕:桜井裕子】 配給:キノフィルムズ/木下グループ ©2016 PSB Film. LLC