1947年、独立前夜のインドを舞台にした映画『英国総督 最後の家』が8月11日に公開される。
イギリスの最後の統治者として、インドに派遣されたルイス・マウントバッテンを中心に、総督邸で繰り広げられる、ヒンドゥーとムスリム陣営の政治的駆け引き、そしてイギリスの策略などがスリリングに描かれる。
そうした政治ドラマと並列して、総督邸で働くヒンドゥー教徒の青年とムスリムの女性の恋物語が展開してゆく。
インドとパキスタンの政治的、軍事的緊張は現在も続いているが、そのきっかけとなったのは、このインド・パキスタン分離独立だ。映画は、なぜインドとパキスタンは別れてイギリスから独立することになったのかを丁寧に見せてくれる。同時に、国の分断によってどのような悲劇が起きたのかを、一組の男女の恋物語に託して描いてみせた。
監督は、インド系イギリス人のグリンダ・チャーダ。サッカー選手を夢見るインド系イギリス人の少女を描いた『ベッカムに恋して』で注目された監督だ。
今回は自身の家族の出自のルーツとなった歴史的出来事を描いた。いかなる思いでこの作品を作り上げたのか、チャーダ監督に話を聞いた。
祖母にとってトラウマな分離独立体験
――監督の祖父母はこの時代を体験しているそうですね。インドの分離独立のことはよく聞かされていたのですか。
グリンダ・チャーダ監督(以下チャーダ):私は祖父には実際に会ったことはありません。祖母と一緒に住んでいましたが、彼女は強いトラウマを抱えていました。テレビドラマなどで悪役が出てくると、「ムスリムだ!」と騒ぎ立てるんです。ムスリムっぽく見える人がでてくるだけでそういう風に言うのです。彼女の幼い頃の体験がそうさせるようです。
――それだけトラウマがあったということは、祖母から当時の話を聞くことは少なかったですか。
チャーダ:はい。祖母はパンジャーブ出身ですが、そこでは互いの宗教、信条をリスペクトし合い、上手く共生できていたのがある日突然変わってしまったような感覚があったようです。
――監督はこの題材をいつごろから映画にしようと思っていたのですか。
チャーダ:実は、この映画を作りたいとは思っていなかったんです。私にとってもトラウマを感じる題材ですから。しかし、これまで私はコメディ映画を多く作ってきましたから、他のことにチャレンジしたい気持ちもありました。そう考えた時、この物語を自分の歴史の一部として綴るべきと考えたんです。それが7、8年前くらいですね。
その後、この分離独立についてリサーチを重ねていき、自分が教わってきた歴史とは異なる、オルタナティブな視点が記録としても残されていることを知り、これはやらねばならないと強く思うようになりました。
――オルタナティブな視点を得たとのことですが、監督は英国でどんな歴史教育を受け。どんな認識を持っていたのですか。
チャーダ:端的に言うと、大きな宗派同士の争いが起きたので、英国としては分離独立という苦渋の選択をした、というものですね。300年間植民地として当地したインドだが、ガンジーもいろいろ言っているし、そろそろ去る時が来た。でもその時になったら大きな混乱が起きたので、仕方なくと。
――この映画ではその認識に対するオルタナティブが提示されるわけですね。それは具体的にはどんなものでしょうか。
チャーダ:詳しくは映画を観てほしいので少しだけ説明します。インドとパキスタンの分離独立案は、内乱によって出てきた案ではなくそうした構想が事前にあって戦略的に導かれたものだということですね。当時、冷戦が始まるなかイギリスが世界への影響力を保持するための戦略の一つで、多くのイギリス人が知らないことだと思います。
マウントバッテンを主人公に選んだ理由
――非常に複雑な歴史なので、立場によって全く異なったものが見えてくるのだと思います。この映画の主人公にマウントバッテンを選んだのはなぜでしょうか。
チャーダ:興味深い質問です。彼はインドではずっと非難されてきた存在です。マウントバッテンのせいで国がメチャクチャになったんだと言われ続けています。しかし実際には彼の責任ではないのです。彼の一般的なイメージとは違う、別の一面を知ってほしいと思ったんです。
――マウントバッテンを始めとして、彼の妻や娘も善人として描かれています。どの程度史実なのでしょうか。
チャーダ:彼の妻、エドウィナは難民キャンプで多く活動した事実が記録として残っています。それだけでなく暴動が発生した地にも足を運んでいます。そうした行動をする提督夫人は彼女以前には存在しませんでした。それから彼女の娘もインドの強い興味を持って母親と一緒に活動していました。
私は彼らは実際に善人だったのだと思います。マウントバッテン本人に関しては若干虚栄心のある人物だったと私は思いますので、そういう描写もしています。
――この映画は、インドとパキスタンの事情、それからイギリスの事情もしっかり描いていて、とてもバランスの良い作品だと思います。それぞれの事情のバランスにはやはり気をつけたのでしょうか。
チャーダ:私は作品作りの時に、常にそこに気をつけています。私はインドとイギリス、2つの文化に片足ずつ入れて育ちましたから、いろいろな視点からの見方を想像することに長けています。
この映画は、インド、パキスタン、イギリスのどの立場からも観ることができます。全ての立場を描くことで、現在の世界の諸問題を考える際にも役立つんじゃないかと思いました。インドでは、ジンナー(パキスタン初代総督)は悪人と見られることが多いですが、そのように描いていたらこの映画は成功しなかったでしょう。双方の事情をしっかりと見つめることが大切です。この映画の編集中にも、シリアで国連とロシアの対立があり、今も世界で同じようなことが起きています。
パキスタンでは上映禁止に
――本作は分離独立の大きな物語と平行して、ヒンドゥー教の青年ジートとムスリムの女性アーリアの恋の物語が描かれますね。これはおそらく脚色だと思うのですが、これを導入したのはどうしてですか。
チャーダ:これは私の映画監督としての性ですね。悲しいだけのエンディングを作ることができないんです。どこか楽観的で人間らしさのある要素が私の作品には必要なのです。
そして、分離独立には多くの悲劇がありましたが、同時にムスリムとヒンドゥーがお互いに助け合った事実もたくさん記録に残されているんです。そういう物語を語れる機会もなかなかありませんから。そして、私の祖父母が実際に難民キャンプでお互いを探しあったのですが、それはとても美しい話なので、それに繋げることのできるラブストーリーを映画にも導入しようと考えました。
――歴史を知らない人も、このラブストーリーがあるおかげで共感しやすくなると思います。
チャーダ:そうですね。分断の痛みを伝えるにはやはり愛の物語が一番良いと思いました。
――この映画はインドやパキスタンでも公開されたのですか。
チャーダ:パキスタンでは上映禁止となってしまったんですが、違法な形で観てくれた人はたくさんいたようです。(笑) インドでは、内務省の大臣が「これは全てのインド人が観るべきだ」とツイートしてくれたのですが、もしかしてそれがパキスタン政府を怒らせたのかもしれません。
インドでは劇場公開されましたが、誰もが観るべき映画だと考えたからなのか、ヒンドゥー語の吹替版で公開されました。これは私にとってはいささか残念なことです。ヒンドゥー語の映画は、ほとんどボリウッドの娯楽映画ですし、公開当時は国粋主義的な空気もありました。ヒンドゥー語映画を観る観客層は、純粋な娯楽を求める人が多いですから、インドの苦しい時期の話はあまり観たくない人も多いですし。インドの高学歴層は、わざわざ英語版のDVDをイギリスから取り寄せたり、ネット配信で観てくれたようです。
インドもパキスタンもまだ若い国です。さっきの話にもありましたが、これは両国の事情をバランスよく描いています。両国とも客観的にこの時代を見つめる準備がまだ出来ていないのかもしれません。どちらもナショナリズムの強い国ですし、互いについて語る時もどうしても敵対的になりがちです。インドにとってもパキスタンにとっても、この映画はバランスが良すぎたのかもしれません。
――両国でのこの映画の扱われ方そのものが、この歴史的な出来事はまだ終わっていないのだということを物語っているようですね。
チャーダ:おっしゃる通りです。