3月19日、仕事に向かいながらラジオを聞いていたところ、参院予算委員会の国会中継をやっていた。
私は、森友学園の土地取引にからんだ財務省の文書書き換え問題にはさして興味を持ってこなかったのだが、のちに小さなニュースになる答弁をここで耳にした。
自民党の和田正宗議員が、財務省の太田理財局長に質問をぶつけ、終盤に質問とも呼べないこんなやりとりがあった。
和田議員「まさかとは思いますけれども、太田理財局長は民主党時代の野田総理の秘書官も務めておりまして、増税派だからアベノミクスを潰すために、安倍政権を貶めるために、意図的に変な答弁をしているんじゃないですか。どうですか?」
太田局長「いや、おこ......、お答えをいたします。私は公務員としてお仕えする方に一生懸命お仕えするのが仕事なんで、それをやられると、さすがにいくらなんでも、そんなつもりはまったくありません。それはいくらなんでも、それはいくらなんでも、ご容赦ください」
ラジオだから音声しか伝わらないが、太田氏が怒り、動揺していたことは、その震える声から充分に感じ取ることができた。
私はそれをニヤニヤしながら聞いていた。あまりケンカも「プロレス」もしたことがないマジメな人なのだろう。和田氏がしたことは、明らかに意地悪な「挑発」なのであって、笑って受け流すのが得策である。
飲み屋の席で自分の職業を侮辱されたと感じたら「なんだと、てめえ!」と怒ったり、カラオケのリモコンでぶん殴ったりは、まぁしないけど、それくらいはありえないことはない。しかし、ある種の見世物という意味でのショウである国会の場でなら、「勝手に決めつけないでくださいw」と一笑に付して終わりでいい。
のちにこのひと幕は議事録から削除されたという。決済文書「改竄」を追う国会質問での発言が「削除」されてしまうことに不条理を感じるが、規定で決まっているそうなので仕方がない。
そして、和田議員に対しては、報道機関を通じて脅迫メールが来たという。
文面(ツイート)を一読してすぐ、およそ一年前に、私に向けられた脅迫状と驚くほど内容が似ていることに気づいた。拙著『広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?』(毎日新聞出版)に経緯を書いたが、「反日企業・電通擁護の記事を書いた前田将多の会社を一週間以内に爆破する」「家族も刺し殺す」というもので、爆弾とか刺すとか、内容はほとんど同じ。
おそらく同じ人物か同じような人物がやったことなのだろう。春ですね。
和田氏の発言は野球でいう「ビーンボール」のようなもので、相手をのけぞらせることが目的だ。侮辱的な発言なら、安倍総理の方がたくさん受けていることだろう。そもそもこの、一年以上も続く森友騒ぎ自体が理不尽極まりない。
大阪弁で要約すると、籠池いうややこしいおっさんが、ゴネたおして国有地をパチッただけの事件なんやけど、おっさんは安倍首相の虎の威を借りたり、夫人を名誉校長に祭り上げてうまいこと利用したために、あとはもうワーワーなってギャンギャンでもう、国民間の憲法論議もなんもかもワヤなってもうたのが、この空しい政治の一年余りであった。
森友学園(塚本幼稚園)はまず、幼児に異様といえるような「愛国教育」「安倍政権支持」の押しつけをしていたことからメディアに嫌悪感を持たれた。そこから土地取引の違法性が指摘されて、「では国有地のおかしな売却というのは、これまでにどれくらいあるのか」「ほかの企業や学校法人はどうなのか」という方向に報道は波及せず、「安倍やめろ」「安倍のせいだ」になっていった。
野党や左派メディアが、執拗に政権を攻撃するのは自由だが、国民はその「理」を見ている。
舌鋒鋭い感じを演出したくて、芝居がかった調子で強い言葉を使っても、期待ほど破壊力がないのは「筋が通らない」からだ。安倍政権の支持率は落ちたが、各党の支持率を見ればわかる通り、「政治の状況に倦んでいる」と言った方がよい。
普通に考えて、近畿財務局という地方の分局のどの役人が決済文書を書き換えたところで、その書き換えの内容を見ても、それを政権が転覆する理由にするには弱い。朝日新聞が社説で主張するように、民主主義の根幹が壊れるのは事実ではあるが、針小棒大の感は否めない。
民主主義の根幹に抵触するのは、大勢で一カ所に押しかけて暴力的に政権を失脚させるクーデターであったり、一方的で一面的な報道しかしない報道機関の方だろう。
巻き込まれるかたちで自殺者まで出たのは大変気の毒なことであるし、ハフポストは朝日新聞系だから申し訳ないが、事の軽重をごちゃまぜにして、なんでも倒閣に利用することの方が、民主主義の誤用である。
どうしようもなく軽佻浮薄な首相夫人がフェイスブックの何に「いいね!」をしようが、知ったことではないし、ファーストレディは辞任できる役職でもない。
百歩譲って麻生財務大臣は末端への管理責任を取るかもしれないが、この件を安倍総理の首に結びつけるのは、理がない。政治に理が求められなければ、もう好きと嫌いだけの泥仕合だ。
国家の運営に最も重要なのは、外交(安全保障)である。次に経済だ。外交を間違えば国を獲られるかもしれないし、経済を誤れば国が沈む。それらへの戦略と効果をどのように評価・判断するかで、侃侃諤々やるのはいいだろう。それは全否定や全肯定では済まない話だ。
和田議員が太田局長を挑発した同じ日、社民党の福島瑞穂議員は安倍総理大臣にこう詰め寄った。
「総理大臣として責任を取るべきではないですか。官僚、職員に刑法犯を犯させてまで守ってもらったんでしょう。佐川さんなどがもし改竄をしていたのであれば、あなたを守るためですよ。総理を守るための書類の改竄でさらに人が死んでいるんですよ。政治的、道義的責任があるでしょう。政治的、道義的責任を感じますか」
これなど、決めつけを前提として、責任を求めるという荒業だなぁと聞いていたら、安倍総理はこう答えた。
「福島委員の今のご発言でございますが、すべて決めつけであろうと思います」
惜しむらくは、そのあとダラダラと続いた答弁が冗長で、切れ味がなかったことである。