私の本当の名前は鈴木綾ではない。
かっこいいペンネームを考えようと思ったけど、ごく普通のありふれた名前にした。
22歳の上京、シェアハウス暮らし、彼氏との関係、働く女性の話。この連載で紹介する話はすべて実話にもとづいている。
個人が特定されるのを避けるため、小説として書いた。
もしかしたら、あなたも同じような経験を目の当たりにしたかもしれない。
ありふれた女性の、ちょっと変わった人生経験を書いてみた。
◇◇◇
「綾は99.99999%いい人だけど、0.00001%は本当に本当に悪い」
東京駅のホームで電車を待っていて彼氏の太郎と電話で話していた時に言われた。腹を撃たれたような気がした。こんな言われ方、普通じゃない。
太郎との喧嘩が増えていた。
一番大きな原因は彼の仕事のストレスだった。ストレスが溜まったときの太郎は、小さなことで私にキレた。私は怒らずに優しい保育園の先生みたいな声で「会社でなんかあったの?」「私に話していいよ」と何回も「話していいよ」と彼から話を引き出して、辛抱強く聞いてあげて、ハグしてあげて、「太郎の会社はごみだから早くやめなよー」と言いたい衝動を抑えて、彼を落ち着かせた。
でも、私の方も仕事が忙しくなっていた。忙しくなったら疲れて太郎のイライラ・ストレスを受け止めて慰める能力がだんだん落ちてきた。仕事が彼のイライラの原因にあるっていうことも忘れて、前みたいに優しく「どうしたの?」と話を引き出すテクニックを忘れて、イライラの原因は私にある、私がいけないんだ、と思いはじめて、彼と大喧嘩になった。
もう一つの喧嘩の原因は連絡の頻度だった。太郎は四六時中「つながっている」と感じたかったから、常に「もっとLINEして」「ラブラブメールをもっとして」と言っていた。
一方私は仕事をしているときは仕事に集中したいし、あまり人と話したくないときもある。太郎が求めていた連絡の頻度にいつも応じられなくて、連絡をするのが面倒くさかったけど、しないと怒られるからしなければいけない、というダメスパイラルに入った。
それで私が仕事の時間にツイートしたら、「ツイートするひまがあったら僕にメールしろ」と怒られた。
「綾はなんで僕の気持ちを理解できないの?綾を独り占めしたいだけだよ。綾のことが本当に好きだから...」
喧嘩して私が泣き出して「綾が泣くのをみていられない」と太郎が謝って、仲直りして、私の心がどん底から天国まで高速エレベーターでびゅーんと上がる。
そうだ私達は結婚したい、一生一緒にいたいと約束したからこういう喧嘩を二人で乗り越えなければいけないね、と太郎が言っていたかそれとも自分が頭の中で言っていたか...。それさえ、わからなくなっていた。毎日この喧嘩と仲直りのサイクルを繰り返して、毎日遅くまで泣いて謝って朝まで起きていて、を繰り返して、私はもうクタクタに疲れていた。
仕事でも疲れて手が文字を打ってくれなかった。すぐ返事すべきメール、やるべき仕事を退社する直前にまでぐずぐず先延ばしにした。
会社を出たら、ゆっくりゆっくり重い体を駅のホームまで運んだ。そしてゆっくりゆっくり電車に乗って、他のサラリーマンたちみたいに必死に座席に座ろうともしなかった。
体の重さで倒れないように吊革を強く握って目をつぶった。目を開けたら目の前に座っていたサラリーマンがスマホの画面を無理やり叩いていた。ゲームをやっていたのかな。
サラリーマンのメガネの右側のレンズに埃の粒がついていた。私はその埃をじっと眺めた。誰も気づかない、何の価値もない、その埃になりたかった。
今思うと、毎日ちゃんと寝て起きてぎゅうぎゅうの満員電車に乗って会社に行ってお客さんにニコニコして名刺を渡せたのはすごい。
起きる力、生き続ける力はどこから来てたんだろう。
体があんなにだるかったのになんかの勢いで動き続けられた。
その勢いはきっと「恐怖」からきたのだろう。
コーヒーが作れる休憩スペースの近くにあった私の机に座って、となりの壁に私の生産性を日本円とアメリカドルで測っている時計があるのを想像した。
毎分毎秒、時計に表示される数字が落ちていった。その数字が落ち続けていたら会社はきっと私を捨てるだろう。
何も生産できなくなって捨てられた自分はノルウェイの小説家クヌート・ハムスンのようにお腹を空かせて街を放浪せざるを得なくなるだろう。
ある日、外でお客さんと待ち合わせをした。会社に戻るために何回も電車を乗り換えなければならないと思っただけで疲れたのでタクシーをひろった。
携帯をにぎりしめながら座席に沈み込んでうなだれた。額にいくつかのニキビが花畑のように咲き始めていた。いつの間にかニキビがまたできていた。
窓の外にあるびゅーびゅー通り過ぎる世界を見てムカムカした。
携帯でフェイスブックをひらいた。自分では投稿しなかったけど、楽しく人生をすごして成功していた知り合いの写真を見るのが日常の癖になった。みんなの笑っている写真を見て、この世界はくそだと思った。こんなに人生が重いのに、もう生きたくないのに毎日頑張って最低限の生産性を出して頑張っているのに、この世界はくそ。とタクシーの中で号泣した。
自殺した某俳優の遺書の言葉が頭から離れられなかった。
我一生没做坏事,为何这样?
どうして世界はこんなに私に辛く当たるの? 何も悪いことなんかしていないのに...。