ももクロ映画「幕が上がる」が、まだまだ多くの人に見られるべき理由はその多層的な演出にあり

実は少し頭を抱えました。この映画、一筋縄ではいかない映画となっていたから。どういうことかというと、ものすごく多重的な映画なんです、この「幕が上がる」という映画。

 ももいろクローバーZの初の映画である「幕が上がる」が順調なヒット作となっているようです。試写会には行くことができなかったのですが、チケットをいただき、渋谷の映画館で見てきました。

 映画が終わり、実は少し頭を抱えました。なぜなら、この映画かなり一筋縄ではいかない映画となっていたからです。どういうことかというと、ものすごく多重的な映画なんです、この「幕が上がる」という映画は。

 まずは、ももクロちゃん達の青春アイドル映画として見るは、もちろん可能です。ももクロファンであれば、にんまりするシーン(ももたまいのシングルベッドなど)もちゃんとありますし、それの意味がわからなくても、ちゃんとそのシーンが成立しているのは、お見事です。

 では映画としては、どうなのか?

 そりゃゴリゴリの映画ファンを満足させる名作映画というものではありません。でも、演技については歌やライブパフォーマンスほどではないももクロメンバーをサポートさせる意味もある教師役にあの黒木華を起用したところが、ホントにお見事。

(C)2015平田オリザ・講談社/フジテレビジョン 東映 ROBOT 電通 講談社 パルコ

 実際にももクロメンバー、人生という意味でも、役者としても先輩であり、一瞬で空気を変えることができる黒木華にももクロの教師役がこんなにドハマりするなんて、びっくりです。そして、その黒木華が途中から実質いなくなる構成がまたいいのです。

 上の予告編、これ映画をすでに見た人であれば、お分かりになると思うのですが、なかなかうまくできた予告編です。もちろん、内容はこの予告編そのままではないんですが、この予告編の構成は、前半と後半に大きく分かれる映画の大きな構成を踏襲しています。

 この前半と後半、これが多重的なんです。

 物語として、見ればこうです。

  • ぼんやりした演劇部としての前半
  • 演劇というクリエイティブを自覚する後半

 また、主演は誰だ?という視点で見るとこうなります。前半の黒木華の画面を圧倒する存在感、すさまじかったです。

  • 実質、黒木華が主役に見える前半
  • 演劇を通じてチームになっていくももクロが主役になる後半

 ところが、ここのももクロのファン目線。また、ももクロのリーダーが百田夏菜子さんになるまでの話を知っている人の視点で見ると、こう変わるのです。

  • 夏菜子が覚悟を決めるまでの前半
  • 夏菜子頼む!になる後半

 演劇部での役割分担が実際のももクロでの役割に近いものになってる面があるので、演劇部にももいろクローバーZというチームを重ねてみてしまうというのはあります。もちろん、それが演出としての狙いともなっているでしょう。

(C)2015平田オリザ・講談社/フジテレビジョン 東映 ROBOT 電通 講談社 パルコ

 それにももクロファンの間では、百田夏菜子さんがももクロにリーダーになったのは「夏菜子は実は引込み思案で、すぐに逃げるからリーダーにした」というのは、有名な話です。劇中の部長としての成長も、ここに重なってきます。

 ただ、それだけでは、ここまで前半と後半での物語の変化を、この決して長くはないこの映画の尺の中で見せ切ることはむずかしいと思うのです。でも、この映画はそれを可能にしています。それは、後半の布石がちゃんと前半に入っているからです。

 前半に演劇部の部長になること、演劇というものに向き合うことに踏み切れず悩む夏菜子のシーンでは、ちょっと過剰なほど長く風景を映し続ける描写が続くのです。この風景は、静岡県の風景です。

 なぜ、静岡県なのかというと、そりゃ「茶畑のシンデレラ」である百田夏菜子さんの出身地であるからでしょうけど、それだけじゃないですね。静岡県の夏の風景というのは、個人的には日本の宝のひとつと思っています。近くに富士山があり、その大きな山と雲の変化が常に視界に入り、そして数多くの工場とその煙突などの巨大建造物がある風景。こういう風景って、ありそうであんまりないんです。

 富士山と工場風景にこの映画の演出陣が自覚的なのは、劇中に登場する駅のシーンが岳南電車で撮影されていることからもわかります。岳南電車といえば、富士工場夜景と言われるほど、風景好き・夜景好き・工場好きの間では、とてもよく知られているところで、専用ツアーも組まれている路線です。どう考えても、この風景を使いたくて、わざわざ使っているとしか思えません。

 風景といえば、心象風景であり心を投影するものですが、それをきっちり見せることによって、前半と後半の大きな演出上の落差を生み出しているのです。

 こんな感じの映画なので、この「幕が上がる」については、いろんな人がいろんな見方でいろんな話をしています。それは、そもそもこの映画が多層的な見方に耐えられるだけの映画になっているからなのです。

 ということで、ちょっとでも気になった人は、ももクロの映画でしょとか、アイドル映画でしょとか、そういう言葉を気にすることなく、まずは一度見てみるといいと思います。きっとホントに人それぞれによって、映画から受け取れるものが違ってくるはずです、ぜひ!

(2015年4月4日「Yahoo!ニュース 個人」より転載)

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