日本一そこで老い、生き終えたい村づくり
米国で老年医学と出会い、帰国後、東京の高齢者施設で、米国で見たチームアプローチの構築を目指した大蔵暢先生。2016年11月からは宮城県大崎市に新規開設した、やまと在宅診療所大崎の院長に就任されました。ここで取り組むのは「異次元」の多職種連携。ここに至った経緯と展望を伺いました。
老年医学との出会い
―2016年11月にやまと在宅診療所大崎の院長に就任されるまでのキャリアを教えていただけますか?
全人的医療を目指して大学卒業後から6年間、いくつかの医療機関で研鑽を積みましたが、日本では総合診療の概念が出始めた時期。ロールモデルが見つからなかったんです。そこで渡米し、「老年医学」に出会いました。
老年医学とは、さまざまな問題が複雑に絡み合っている高齢患者さんを、症状と関連臓器、病気だけでなく、その方の人生観や家族背景など、社会的な部分も含めて全てを診るというものです。高齢者医療の目的は、残された命(余命)を延ばすこと、生活の質(QOL)を上げること、そして余命×QOLを最大化することだと思っています。難しいですけどね。老年医学に出会い、高齢患者さんの老いと病いが生活にもらたらす影響の評価方法、介入方法がよりよく理解できました。
また、衝撃的だったのはチームプレイ。高齢者医療に関わる全てのスタッフが高い専門性を持ったプロフェッショナルとして確立していて、チームとしての力強さがありました。医師をふくめた医療メンバーと非医療メンバーが対等な立場でお互いに協力して、余命だけでなくQOLを最大化しようという情熱に圧倒されました。日本の医療・介護現場には、医師を頂点としたヒエラルキーが残っていますが、それを完全に取り払った多職種連携が必要だと痛感したのです。
2008年に帰国し、生活を一旦止めて病気を治療する場である病院で余命×QOLを最大化することは難しいと感じていたので、それならいっそのこと病院外のフィールドで挑戦したいと思いました。私がイメージしていたのは、生活を続けながら病気を治療すること。ちょうどその時、特定の老人ホームと関連した診療所を立ち上げる計画があり、私のやりたいモデルができるのではないかと思いました。
入院が必要なぐらい重症化する前に老人ホームで早期に治療を始めれば、生活し続けることができます。多職種スタッフが同一建物内にいるので、コミュニケーションが密になりチームワークがやりやすくなります。さらには高齢入居者同士で、お互いの老いを学びあったり、刺激しあったりすることで、独居の方に比べてQOLが上がりやすい環境であることなど、多くのメリットがあり、老人ホームは私が想像していた以上に興味深いコミュニティでした。
ところが、医療法人が運営するクリニックに対して老人ホームは営利企業が運営。長期的には同じゴールを共有していても、短期的には相容れない部分がありました。短期間で大きな利益を上げなければいけない営利企業の事情を考えれば、仕方なかったのかもしれません。老人ホーム運営会社の役員も兼務し、何とか妥協点を見出だせないかと模索を続けましたが、結局、理想の実現はそこでは難しいと判断しました。
―それで2016年9月に退職され、翌月から医療法人社団やまとに参画されたのですね。
そうです。もともと田上理事長の取り組みには注目していて、うまくいくだろうな、成功するだろうなと思っていました。特に在宅診療所がリードする「健康コミュニティづくり」を進めているところに共感できました。老人ホームでうまくいかない悩みを相談したところ、宮城県大崎市に新しく開設する診療所のお話をいただきました。
自宅は東京、勤務地は宮城県大崎市
―やまと診療所大崎の開設から1年が経ちましたが、振り返ってみてどうですか?
ありがたいことに、診療規模は着実に拡大していますし、基幹病院の大崎市民病院とはお互いになくてはならない関係になっています。また、診療圏に含まれている隣町の涌谷町では、在宅医療・介護連携推進協議会の委員をさせていただいています。他には、多職種専門職が参加する事例検討会を主催していて、毎回20〜30名の方に参加いただいて地域の問題解決に取り組んでいます。総じて非常に順調だと思います。
―現在、東京にご自宅があって、平日は宮城県で勤務するというスタイルで働かれていますが、このスタイルはどうですか?
私は現在、月曜日の朝6時に新幹線に乗り9時に出勤、平日はホテルに滞在し、自宅に戻るのは金曜日の21時頃という生活スタイルです。正直、身体的にはつらいときもありますが、東京に家庭を持ちつつ、地方で働くことができるのは非常にいいシステムだと思います。特に地方への移住は簡単にできませんからね。
また当初は週4日は宮城県で、週1日は神奈川県で勤務をしていました。しかし、「やまと」の重要プロジェクトである大崎診療所の立ち上げには責任を持ってしっかり関わりたいと思い、週5日宮城での勤務に変えてもらいました。「やまと」には宮城県と神奈川県の2地域にそれぞれ2診療所ずつ(合計4診療所)あり、自分の興味やライフスタイルによって柔軟に勤務形態を変えることができます。広域医療法人の大きなメリットだと思います。
―では逆に、現在課題に感じているのはどのようなことですか?
人口14万人の大崎市は思っていた以上に大きなコミュニティで、訪問看護ステーションやケアマネージャーの事業所などのサービス提供者が意外と多いのです。在宅医療に特化した診療所は当院のみですが、やはり患者さんごとに異なるケアチームができてしまっていて、チーム力を高めていくのに難しさを感じています。やはりある程度は固定されたチームが必要ですが、その点では同じ診療圏にある遠田郡の2町(人口2万5千人の美里町と人口1万7千人の涌谷町)に期待しています。
「異次元」の多職種連携で実現したいこと
―今後の展望はどのように考えていますか?
いま日本中の地方で高齢少子化が進んでいます。なかには2040年までに人口1万人を下回ることが予測されている消滅可能性都市と言われる自治体もあり、実は私の故郷の富山県朝日町もそのうちのひとつなんです。同じような町や村が消滅していくのを指をくわえて黙ってみているわけにはいかない。なんとかしないといけないというパッション(情熱)とミッション(使命)が自分のなかにみなぎっています。
医療と介護がリードする地方創生がその唯一かつ最強の方法であると確信しています。これからますます増える高齢者の一番の心配事は健康と介護だからです。医療と介護が充実していて、安心してそこで老い、生き終えることができる街を作りたい。そのために必要不可欠なもの、それは「異次元」の多職種連携だと思います。
私が目指す理想のチームケアは、集まって表面的な議論で終わるのではなく、問題解決を目標とするものです。医師や看護師による医療的な視点だけでなく、それ以外の視点から多様な価値観を持ち込んで、最終的にはひとつのケアゴールに合意形成していく。そのケアゴールに基づいて、それに沿った形で各職種がケアプランを実行していくイメージです。事例の問題は同時にその地域の問題でもあります。問題解決を繰り返すことで地域が成長し、いつの間にか高齢住民にとって暮らしやすい街になっているはずです。あまりにいい街になったら、よそから移住してくる人もでてくるかもしれません。やっぱり人は安心して老い、生き終えたいですからね。
そんな街づくりをここ大崎市や美里町、涌谷町でやってみたいです。もしうまくいったら同じことを日本中の地方で展開する。そして自分もそのうちのどこかで安心して楽しく老後を過ごしたいと思っています。
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◼︎医師プロフィール
大蔵 暢 医療法人社団やまと やまと在宅診療所大崎
1995年富山医科薬科大学(現富山大学)卒業。や聖路加国際病院などでの勤務を経て、2001年に渡米。ワシントン大学(シアトル)やミシガン大学で老年医学・高齢者医療を学び、2009年に帰国。東京都内の老人ホームでの施設医療に取り組んだ後、2016年10月から「やまと」に参画。同年11月から「やまと在宅診療所大崎」の院長としてライフワークである「日本一そこで老い、生き終えたい村づくり」に取り組んでいる。