「ダイバーシティ」というと、肩ひじの張った制度が多い中で、変わった取り組みを始めた企業がある。化学メーカー大手、三菱ケミカルだ。
同社は今年「Experience JAPAN(EJ)」という社内研修制度をスタートさせ、世界各国の現地法人に勤める社員14人を、日本の本社や事業所に赴任させた。
休日にはボランティアの日本人社員らがイベントを企画し、外国人社員を富士登山や歌舞伎の見物、屋形船体験へと連れ出す。費用は会社持ちで「日本で遊ばせる」、同社の狙いはいったい何だろう。
「壮大な修学旅行」 地方都市にほれ込む外国人社員も
「富士山に相撲、すごく楽しかったですよ」
そう話すのは、本社人事部のジェシカ・メリーウェザーさんだ。
2016年に米子会社から来日し、EJの立ち上げに携わった。
「本来はイベントの運営側だが、半分参加者のようなもの」と笑う。
「特に富士山は、私1人では絶対登れなかった。参加者が励まし合い、チームになれたからこそ、山頂に立てた。ご来光にも感動しました」
外国人社員に、仕事の傍ら徹底的に遊んでもらい、日本を体験してもらおう―。
EJは、和賀昌之社長の発案で始まった。人事部の三橋素子マネージャーは「ある社員はこの制度を『壮大な修学旅行』と呼びました」と笑顔で話す。
イベントの企画・運営に参加するのは、75人の日本人ボランティア社員だ。彼らは交通機関の使い方など、外国人社員の生活面もサポートしている。
ジェシカさんは「日本人はとても優しい」と話す。同僚たちは、英語はさほど達者でなくとも、分からないことはやって見せる、知らない場所には連れて行くなど労をいとわないという。
「ただ、こうした日本人の姿は、海外にはあまり伝わっていない。だからこそEJは、日本を理解する良い機会だと思う」と、ジェシカさんは話した。
EJ参加者は、地方の工場などにも赴任している。外国人が少なく、土地になじむのに時間がかかるなどの難しさもあるが「英語が通じにくいので、日本語は目覚ましく上達する」(三橋さん)。地元で盆踊りや御朱印集めに精を出し、その土地にほれ込んでしまう社員もいるという。
日本の職場も、外国人がもたらす化学変化に期待
外国人社員の声からは、日本と海外の働き方の違いも浮かび上がる。
欧米の企業は、採用段階で社員に課す業務や、達成すべき成果を明示するのが一般的だ。
一方、多くの日本企業は職務をあまり限定せず、幅広い経験を積ませようとする傾向が強い。このため、外国人社員の中には「自分は、どのような貢献を求められているのだろうか」と不安になり、三橋さんらに相談してくる人もいるという。
またジェシカさんは「会議の時も、若手が勉強のためオブザーバー的な立場で同席する『陪席』という概念が分かりづらいようだ。配布資料や議論が日本語なことも相まって『私はなぜ参加を求められたのだろう?』と疑問を抱く人もいる」とも指摘する。
「ボスが朝早くから来ているが、会社は何時始業か」「遅くまで残っている同僚もいるが、自分も合わせるべきか」といった、日本の労働文化に対する相談も多いという。
三橋さんは「こうした外国人社員の声をきっかけに、日本の職場も良い方へと変わっていければ」と期待する。
長時間労働の見直しは、日本人社員にとっても有益だ。ダイバーシティの取り組みが進むほど、会議で英語の資料を配るなどの配慮も必要になる。
来年度のEJ受け入れ部署を募集したところ、予想の3倍以上の職場が手を挙げたという。日本の職場も、外国人社員のもたらす化学変化を期待しているようだ。
転職先で培った力を還元 退職者も「Welcome Back!」
同社は外国人社員の受け入れにとどまらず、一度会社を去った人間に門戸を開く「Welcome Back!」も宣言している。
高機能化学部門の泉晋一郎マネージャーも、復職した1人だ。
2009年に技術者として入社したが「技術にとどまらず広い視野を持ちたい」と2012年、シンクタンクに転職。その後、コンサルティング会社等を経験した。
転職先では技術畑の知識を生かしながら、主に自動車業界の事業戦略立案や、政府の政策立案、実証事業の支援などに携わった。その中で、素材産業に求められる役割の大きさを改めて実感したという。
「次世代の自動車である電気自動車が今後普及していくには、走行距離を延ばすための電池大容量化、車体軽量化など素材の技術革新が不可欠。この電気自動車以外にも素材が貢献できることは非常に多い。やはり素材分野で活躍したいと思うようになった」(泉さん)
2019年6月に復職し、高機能化学部門の企画部に所属、部門の新規事業立案などを担っている。
技術者時代は「良い製品さえ作ればいいと思っていた」という泉さん。
「異業種の経験によって、消費者に近い産業のニーズを把握でき、顧客の求める技術を実現する視点を持てるようになった。こうした経験で培ったスキルやものの見方を、職場に届けたい」と、抱負を語った。
外に向かって会社を開く 変化対応能力を高めて生き残れ
ダイバーシティ経営を研究する中央大の佐藤博樹教授は、ダイバーシティを進める利点の一つに「社員が、将来の予期せぬ変化に柔軟に対応する『変化対応能力』を高められる」ことを挙げる。
「10年、20年先の産業の姿がますます見えづらくなる中、企業、そして社員が生き残るには変化対応能力が不可欠だ。外国人や一度退職し、違った経験を得た方など価値観の違う人と一緒に働き、自分も変化した経験のある人ほど、この能力は高まる傾向にある」
異なる価値観を持つ人を職場に迎え入れる「Experience JAPAN」と「Welcome Back!」は、まさに三菱ケミカルが、企業としての「変化対応能力」を高める取り組みと言えそうだ。
ジェシカさんは、最後にこう語った。
「私は、日本の本社でグローバル化が進むのを目の当たりにしてきました。帰国したら同僚たちに『この会社の未来は、外に向かって開いている』と伝えたい。EJへの参加も勧めるつもりです」
(取材・文:有馬知子 編集:磯本美穂、川越麻未)