初めての妊娠が稽留(けいりゅう)流産になりました。
自然の出血で流すか、手術をするか、どちらかを決めなければいけません。
流産の手術は全身麻酔。それを避けたかった私は、早く出血が起きてほしいと願いました。
いままでいとおしいと思っていたものを、流産が決まったとたんに、体内から早く出てほしいと思ってしまう自分を責めたりもしました。
実は私の流産は今から7年前、2011年3月17日に診断され、ちょうど東日本大震災の真っただ中でした。地震のこと、原発のことなど、不安なことが多く、流産に関してはセカンドオピニオンがほしいと思っていました。
友だちがメールでも相談できる医師を紹介してくれ、私の状態を相談したところ、10週までには手術をした方がいいとのアドバイスをいただきました。
心拍はないものの、赤ちゃんの袋(胎嚢)だけはどんどん大きくなっていく。それが腫瘍のようにも思えてしまい、それがとても悲しかったです。
自然に流れる出血の兆しもないので、主治医と手術の日を決めました。タイムリミットが決まったことで、少し気持ちが落ち着いてきました。
テレビから流れる震災、原発の映像もとてもつらく、日本中が混乱で不安の時。私のパ-トナーは福島出身なので、私は親戚や友だちに物資を送るのにも忙しく、体が重い中、スーパーをあちこち回りました。また友だちが我が家に避難してきたので、人がいてくれたことが、流産を控える私には心強くもありました。
そして迎えた手術の日。まず子宮口を広げるために海藻を入れます。私の体は変形しているところが多く、膣や子宮口も斜めになっていて、最初は海藻が入りにくく、とても痛かったです。
でも、医師のケアが本当に丁寧で、一つ一つの声掛けに救われました。
手術直前まで、エコーで赤ちゃんの心拍がないかを確認してくれ、最後の最後まで希望をもたせてくれました。感謝の気持ちでいっぱいでした。
胎嚢は楕円形だったのが、最後のエコーのときには少し変形していました。
びっくりだったり、嬉しかったり、悲しかったり...
次から次にいろんなことがおきて、自分の気持ちに向き合ったり、感情を出す余裕がなかった妊娠、流産の1ヶ月でした。
不安だらけで、泣くことすらできなかったのですが、一泊入院の手術を終え、退院後、やっと泣くことができました。
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