ここ数年巷で流行っている、「ていねいな暮らし」という言葉。あこがれは抱きつつ、自分とは関係ない……と思っている人も多いのではないだろうか。そんなの、経済的にも、時間的にも余裕がある人の特権でしょ、と。
でも、「もの」への考え方、仕事への取り入れ方をちょっと変えるだけで、大きく生活が変わるとしたら?
大量生産、大量消費の社会の中で、私たちを本当に豊かにする「もの」との付き合い方とは?
そのヒントを探るべく、日本の伝統を次世代につなぐ、株式会社和える代表取締役の矢島里佳さんに話を聞いた。
漆のお箸でいつもの食事がより美味しく感じた
矢島さんが伝統の世界に出会ったのは、大学生の時だった。フリーライターとして全国の伝統産業の職人を取材してまわった際、その仕事に対する姿勢や生き様に魅了され「職人さんたちと一緒に仕事がしたい」という気持ちが強くなったという。
在学中に株式会社「和える」を創業。今も、現代の暮らしの中で伝統を生かし、次世代につなげていくための事業を展開している。
「漆の職人さんを取材した際に、一膳のお箸をいただきました。私はその時、人生で初めて塗りのお箸を使い、毎日のご飯がより美味しく感じるという体験をしました」
幼少期から職人の手仕事に触れられる環境を創出すべく、2012年には、“0歳からの伝統ブランドaeru”を立ち上げ、日本全国の職人と共にオリジナル商品を生み出している。
「乳幼児期というのは、感性がとても豊かで、私たちの一生ものとなる価値観や感性の基盤を育んでいく時期です。そんな時期に、何に出会い、何に触れ、何と暮らすか、というのはとても大切なことだと思います」
「例えば、aeruの『こぼしにくい器』を使ってくださった方からは、お子さんが『この器を使うと、苦手な野菜を食べたり、食事に集中して一生懸命食べてくれる』といった声もあります。他にも、漆のコップを『気に入って離そうとしない』という声も。多分、本能的に気持ちがいいんだと思うんです。子どもというのは、本当にお目が高いお客様なんですよ」
心の底から満たされるものを選んでいるか
矢島さんの仕事の中で欠かせないのが、職人とのコミュニケーションだ。最近では、作り手への理解をより深め、暮らし手(「和える」では消費者のことをそう呼んでいる)につなげるためのヒントとするべく、漆職人に弟子入りして学んでいるという。
「体験ではなく、本気で弟子入りして学んでいます。職人仕事は、段取りが一番大切。先々のことを考えて段取りすると、自ずといい仕事ができることを身をもって体感しています」
現在、矢島さんが学んでいるのが、柴田漆工房の柴田道雄さんだ。道雄さんの息子の明さんが「京ものユースコンペティション」(京都の若手職人の登竜門と言われるコンペティション)に出場した際、矢島さんが審査員をしていたことがきっかけで出会った。
木地師の明さんは、道雄さんの弟子として塗りの修行を続けながら二代目として「erakko(エラッコ)」というアウトドア漆器ブランドを立ち上げ、新しい感性を織り交ぜて伝統を進化させようと奮闘している。この現代社会で伝統工芸品の置かれる現状と、ものと人の関係性について、明さんは次のように教えてくれた。
「器でいうと、プラスチックの製品などはやっぱり安くて便利ですから、それが今、選ばれているのはある意味当たり前のことだと思います。僕も使います。それでも、伝統工芸品は、値段が高くてもその価値があるものなんだ、ということをしっかり伝えていきたいです」
明さん、そして矢島さんが「師匠」と呼ぶ道雄さんもこう語る。
「単純に、高い・安い、不便・便利などという尺度ではかるだけでなく、そこから一歩踏み込んで味わってもらいたい。コロナ禍で余計やけれども、自分だけじゃなくて周りの人も、お互いに幸せになれるような、心の底から満たされるものを皆さんには選んで欲しいです」
「いい友達と付き合えば豊かな生活ができて成長できるのと同じように、『いいもの』と付き合えば豊かな生活ができて、成長できるんやと思います」
ただ美しいだけではだめな世界
道雄さんは現在、72歳。中学を卒業し、高校は夜間に通いながら修業を始めた。職人としてのキャリアは57年にも及ぶ。「いいもの」をつくり続けて、多くのお客様に支えられてきたという自負はあれど、一方で伝統を次世代に伝えていくことの難しさも感じている。
業界全体に継承の問題が常に隣り合わせにある中、伝統と現代の橋渡しを担うのが、息子の明さんや、矢島さんの役割なのかもしれない。職人が想いを込めた手仕事でつくったものが生活をどう変えるか、矢島さんは身をもって体験している。
「ていねいにつくられたものが日常の中にあると、住空間が心地よくなっていくんですよね。私が人生の中で大切にしている道具へのこだわりは、やはりまず『美しい』ことです」
「ただ使えればいいということでもないですし、ただ美しければいいというわけでもない。伝統工芸品は機能的で、かつ美しい。心地よく、優しく、大切にしたいという気持ちを起こさせてくれる、それが魅力です」
伝統工芸品が持つ「美」の要素については道雄さんも力を込めた。
「この世界の『美』とは何か、それは機能美、『用の美』です。今残っているお椀というのは、もう、完全に完成された形です。足すこともない、引くこともない。これ以上ないというほどシンプルで、だからこそ美しい」
なぜ伝統工芸品を使うと自己肯定感が上がるのか
「和える」で数々の伝統工芸品を販売している矢島さんは、実際に使用してみたお客様からよく「優しくなれた」という声をもらうという。自分に対しても、他人に対しても、物や動植物、さまざまなものに対して優しくなれた、と。
自然の恵みをいただいて、一つ一つていねいにつくられたものは、人間の五感に不思議なほど強く働きかけてくるようだ。
また、興味深かったのが、伝統工芸品を日常のなかで使っている子どもは自己肯定感が高い傾向にある、という矢島さんの言葉だ。
「自分は『本物』を与えてもらえる価値のある人間なんだ、と感じられるようです」
これは子どもに限った話ではなく、大人も同じはずだ。私たちは、日々接するさまざまなものを通じて、知らず知らずのうちに自分の「価値」を定めているのかもしれない。
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「値段が高いから」と敬遠していたものが、その金銭的な投資以上の価値を伴って、自分の人生に返ってくる。そして、「本物」をちゃんと使えば、自己肯定感が上がり、今よりももっと成長することができる──矢島さんと、柴田さん親子は、手頃で便利なものを手に取りやすい現代人が改めて見つめ直すべきポイントを教えてくれた。
Microsoft Surfaceの生みの親であるパノス・パネイ(米マイクロソフト・最高製品責任者)は、日本企業で働いていた経験をもち、日本人のものづくりの姿勢──細部に対する強いこだわり、妥協しない姿、最後まであきらめない精神──に大きな影響を受けたと告白している。
画面のサイズ、ボタンとコネクタの位置、ペンの反応、感触などの無数の項目を、人間工学に基づいたいくつもの検証を経てプロダクトに落とし込んだ。
直感的な操作を可能にした高い性能と美しいデザインは、私たちがやりたいことに没頭できる環境をととのえ、前に進むことを助けてくれる。
こうしたSurfaceのブランドストーリーが受け継いでいるのは、生活に寄り添い、毎日を豊かにしてくれる伝統工芸品の「用の美」の心なのかもしれない。
「本物」が仕事に、生活にもたらしてくれる力を、改めて見直してみてはどうだろうか。
(執筆・編集 / 清藤千秋)