ワールドカップ期間中メキシコを旅していた筆者だったが、サッカー観戦していない時もサッカーのことで頭がいっぱいになった。前回はメキシコ市でのワールドカップ観戦とセラヤでの選挙「観戦」の話をした。今回、メキシコ市からパチューカへ向った筆者は何を見たのか?
メキシコでの日本の注目度は?
決勝トーナメント一回戦でメキシコが敗退した。惜しくも強豪ブラジルに敗れたものの善戦した。
ところで、その決勝トーナメント。最終的にドラマチックな結果となった日本代表のベルギー戦を観戦したかったが、メキシコの一般テレビでは放送してくれなかった。そういうば、一次リーグもラテン・アメリカ優先のためか、コロンビア対セネガル戦を放送し、裏番組の日本対ポーランド戦は放送していなかったようだ。つまり、今回ほとんどのメキシコ人は日本戦をハイライトや再放送でしかみていないことになる。なかには、本田選手のプレー(メキシコのクラブでプレーしていた)を、もっと見たかった人もいたのではないだろうか。少し残念であった。
さて、準決勝進出をかけたブラジル対ベルギー戦は、友人の誘いで、セラヤのブラジル料理店で観戦することになった。ベルギーが2対0で前半を折り返している状態で行くべき場所だとは思えなかったが、名目は娘の学期末のお祝いのためであった。案の定、特に盛り上がらなかった。シュハスコ料理店では、肉を食べ終わったら、サービスを断わる赤色のサインをテーブル上で表示するのだが、ブラジルへの赤信号のようにも見えた。ロナウドやメッシに続いて、ネイマールが大会から姿を消した。
サッカーと平行して旅は続く。世界遺産のサン・ミゲル・デ・アジェンデでは、クロアチア対ロシアの熱戦を見た。西部劇映画のようにさびれたバーで、カーボーイ・ハットをかぶった男たちが談笑していた。さながら荒野の決闘である。
FIFA公認のサッカーの聖地とは
ワールドカップも佳境に入った。準決勝はフランス対ベルギー。イングランド対クロアチアに決まった。
メキシコ市に戻った私は、他の友人にお世話になることになっていた。すぐ翌日、その彼女の家族旅行に(半ば強制的に)同行を求められた。休暇とはいえ、ちょっとした誘拐である(笑)。行き先はパチューカ。
「パチューカって、本田がプレーしたところじゃん!」と驚いた。車で2時間ほど走り、パチューカ市に入ると、彼女はサッカー博物館に連れて行ってくれるという。いつもギリギリになってプランを教えてくれる。メキシコ人らしいと苦笑しつつも、まあ悪くない選択だと思った。とりあえず身代金は請求されていないし、むしろVIP待遇だ。
本田選手のユニフォームくらい眺められるだろうと思って訪れた博物館。大きなサッカーボール状の建物である。よくわからずに入ると、ワールドカップ一色。「CFパチューカがワールドカップ特集してくれているのかな?」と思ったのだが、どうもそうではないらしい。専任のガイドが付き添ってくれて、サッカーの歴史の逸話を聞いた。ただ、FIFAの話やメキシコのサッカーの歴史がメインで、パチューカはその一部にすぎない。ガイドによると、FIFA公認の施設であり、スペイン語で「サッカーの殿堂」という。
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野球の殿堂やロックの殿堂なら聞いたことがあるが、「なんでこんなところに?」「誰も聞いたことがないぞ」疑問は膨らんだ。ガイドは英語も話せるのだが、大半は彼女の家族向けにスペイン語で話していたので、半分わかったようなわからないような感じだった。
その晩早速ホテルでググってみた。「サッカーの殿堂」はメキシコ初の国際試合を記念して2011年に完成したらしい。1902年パチューカの地でイングランド対メキシコの試合が行われたのだ。記念メダルはバーミンガムで鋳造された(冒頭の写真を参照)。FIFA誕生の2年も前のことである。
コーンウォールの遺産とメキシコ・サッカーの起源
少し歴史を振り返ってみよう。メキシコは16世紀にスペインに征服された。当時パチューカ周辺のメキシコ中央部は、豊富な鉱脈をもつ鉱山が乱立していた。とりわけ、メキシコ銀はアジア貿易を通して流通したらしい。
そのパチューカの近郊にあるレアル・デル・モンテに、19世紀イギリス人が入植した。特にイギリス南西部コーンウォールから鉱山労働者が呼ばれた。コーンウォールの鉱業が衰退していたためだ。翌日我々は現地を訪れた。
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世界遺産に指定される随分前、私はコーンウォールのレヴァント鉱山を訪ねたことがあるので、このあたりのことはよく知っている。コーンウォール出身で蒸気機関車の発明者トレビシックを祝う祭りを見たこともある。また、この地方にはコーニッシュ・パスティという名物があるが、これはもとはといえば、鉱山労働者に好まれた食事である。牛肉、ジャガイモ、カブ、たまねぎなどが入った厚手のパイは、食器なしに食べることができ、栄養があって重宝された。
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事実、レアル・デル・モンテではその遺産が現在パステとして親しまれている。本場のコーニッシュ・パスティとは形が少し違っていたが、美味かつボリュームたっぷりなので試してみてほしい。世界で唯一のパスティの博物館には行けなかったが、毎年国際パスティ祭りが開催されるそうだ。2014年にはチャールズ皇太子夫妻がイギリス人墓地とともに、この地を訪問している。
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さて、コーンウォールからの入植者は、イギリスの産命業革による採掘技術を持ち込む一方で、当時イギリスで流行っていた「フットボール」を現地に紹介した。これがメキシコ・サッカーの起源とされている。イギリス人たちは、1901年にメキシコ最古のクラブであるパチューカ・アスレチック・クラブも創設した。本田選手の所属するCFパチューカの前身である。こうした成果の一つが、入植者からなるイングランド・チームと現地メキシコ人チームの国際試合であったのだ。
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これは憶測だが、メキシコにはサッカーを受け入れやすい下地があったのだと思う。メキシコには古代からボールゲームの伝統があった。マヤ文明やアステカ文明の遺跡を訪れると、必ずと言っていいほどそのボール競技場が保存されている。今回の旅でもいくつか遺跡を訪ねた。現代サッカーとはルールも違うが、パチューカで鉱山労働者による国際試合が開催されたのも単なる偶然ではないだろう。
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ちなみに、当時はメキシコの独立戦争開始から1世紀ちかく経過していたが、前出のレフォルマを経て、メキシコ革命の始まる1910年の寸前であった。新国家メキシコは依然混乱していた。また、パチューカのあるイダルゴ州と、セラヤのあるグアナフアト州やケレタロのあるケレタロ州は、独立運動と改革運動と関わりが深く、メキシコの歴史上非常に重要な地域である。
家族で楽しむサッカーの殿堂
閑話休題。このサッカーの殿堂、知る人ぞ知る穴場である。サッカーの博物館としては、チューリッヒに2016年に完成したFIFA世界サッカー博物館(経営が危ないらしい)や2012年にプレストンから移設したマンチェスターの国立サッカー博物館などがあるが、パチューカの話は聞いたことがない。
事実、ここへ連れて行ってくれたメキシコ人の友人もその歴史を知らなった。また、現時点でウィキペディアのページはスペイン語しか存在していないようだ。施設の宣伝もあまりしていないようだし、入場客も少な目だった。
第一部は巨大ボール状の施設で国際サッカーの歴史を学ぶ博物館。歴史ある展示物には当時のボール、シューズ、シャツ、チケットなどがあり、写真や映像を交えて学べる。ワールドカップで使われた品々などが展示され、見所満点。また、チャンピオンズ・リーグの歴史を巨大スクリーンで楽しむ鑑賞室もある(画像は悪かったが・・・)。誰が選定しているのかは不明だが、殿堂入りしている選手や監督も並ぶ。YouTubeの映像をみると、ブラジルのロナルドやイタリアのパオロ・ロッシが招待されて受賞しているようだ。サッカー・ファンが話し合えば、終りなき議論が始まりそうなテーマだが、あまり注目されていない点では納得がいく。
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第二部はインタラクティブ施設「サッカー・ワールド」。様々なサッカー体験が楽しめる。典型的なゲームしては、テーブル・サッカー、バーチャル・ペナルティ・キック、ビデオ・ゲームがあるが、他にもいろいろある。シュートの速度、ジャンプの高さなどを測る、技術測定コーナー。複数で遊ぶ対戦式ゲームとしては、キーパー・ゲーム、模擬テーブル・サッカーなど種類が豊富で面白い。模擬テーブル・サッカーは最低6人くらいの選手が必要だが、遊ぶ人数が足りなくてもご心配なく。例えばママが参加できなくても、巡回している複数のスタッフに声をかければ、人数を確保できるのが嬉しい。
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施設の外にはミニ円形サッカー場。常駐するスタッフにボールを貸してもらい、現場にいる観光客に声をかければ、老若男女ミニサッカーが楽しめる。
FIFAのお墨付きなのかはともあれ、サッカーの重要な歴史が刻まれた場所であるのは確かだ。サッカー・ファンには、博物館が勉強になるし、友人や家族で来れば、参加型サッカー・ゲームで楽しい時間が過ごせるはずだ。
陽気なサッカー大国
ワールドカップの決勝は、帰りの飛行機で見ることになった。最近はテレビの生中継が空の上で見られる。上空一万メートルから地上の祭典を眺めるのも不思議な気分だ。結局、クロアチアのモドリッチの活躍むなしく、若さを爆発させたフランスが優勝した。
ワールドカップ期間中に偶然滞在したメキシコだったが、いろいろな偶然と熱気に包まれたものとなった。「4年後のカタール大会の決勝は日本対メキシコだ!」「キャプテン翼の放送は、毎回長いシュート・シーンで終わるような気がしない?」。メキシコの友人たちとそんな陽気な話をしながら、テキーラとポゾレという美味しいスープを楽しめる場所、それがメキシコである。
取材協力