2016年リオデジャネイロオリンピックで、団体金メダルを獲得した体操男子日本代表。
さらに個人総合で内村航平選手が金メダル、個人の跳馬で白井健三選手が銅メダルと、すばらしい成績をおさめました。「団体での金」にこだわり続けてきた5人は、なぜ個人競技である体操で、団体での勝利を目指してきたのでしょうか。メダルを実際に手にして帰国した直後にお話をうかがいました。
体操男子日本代表
内村航平選手、山室光史選手、田中佑典選手、加藤凌平選手、白井健三選手
うれしいを超える金メダルが、未来への架け橋となる
「やっぱり全然違いますね。仲間と獲る金メダルというのは。うれしいを超えちゃってます」
団体総合で逆転の金メダルを勝ち取った直後、決勝で全6種目を演技したリーダー・内村航平選手は充実した表情で言葉を紡いだ。個人では2009年から世界選手権6連覇、ロンドン五輪でも個人総合の金に輝いた「キング・オブ・ジムナスト」(体操の王者)が団体での頂点にこだわったのには、明確な理由がある。
「体操という競技はまだまだ国内でもあまり知られていないと思っています。やはり、五輪の団体で金メダルを獲ることによって、僕や(白井)健三だけではなく、ほかの選手たちの名前も一気に全国に広まる。それが体操の普及につながると思っています」
団体の金メダルこそが、体操界の未来への架け橋になる。内村選手はそう信じて自分を磨き、仲間を信じ続けた。
絆を深めていった代表たち
内村選手とともに2012年ロンドン五輪を経験した仲間たちも、思いは同じだった。
予選では6種目、決勝では5種目を演技したオールラウンダーの加藤凌平選手は、「普段からの練習はもちろん、世界選手権でもずっと同じようなメンバーで戦いながら団結力が生まれた。どんどん絆が深まっていったことが団体の金につながったと思います」と、仲間同士の支え合う絆を強調する。
平行棒、鉄棒で高得点をたたき出した田中佑典選手も「団結力を持って戦い、そして勝てたということは本当に最高でした。さまざまな人に、体操という競技に興味を持っていただけたのではないかと思います。リオ五輪では日本選手団が史上最多のメダルを獲得しました。リオ五輪は、いろんなスポーツに興味を持ってもらえる機会になったと思います」そう言って、つかみ取ったものの大きさを噛みしめる。
「(金メダルが決まった瞬間)びっくりするくらい自然に泣けて、よかったなと思いました」と語るのは、あん馬とつり輪で演技した山室光史選手だ。
「やっぱり五輪の団体で金メダル獲れたら泣けるのかな、と思い続けてずっとやってきました。苦しいことは今までにもありましたが、泣くのは五輪で金メダル獲ったときだと昔から言い続けてきたので......」。そう胸を詰まらせる山室選手は、内村選手と同学年で団体メンバー最年長。「サラッと一言で支えてくれる」(内村選手)と信頼されるムードメーカーでもある。
「年が上になってくるにつれて、半分コーチのような目線でチームを見るようになりました。僕は監督やコーチよりも選手に近い目線で声をかけることができたのかなと思います。自分も試合をやっている身なので、試合のときにほしい言葉もわかっているつもりです」
さらに、山室選手は、リオの選手村での生活を教えてくれた。
「玄関を入ると寝室が2つあって、それぞれ2人ずつの、合わせて4人部屋。僕と航平、(加藤)凌平と(田中)佑典が同部屋でした。健三だけ最初は別でしたが、本人が寂しいといってリビングにベッドを持ち込み、一緒に生活していました。航平とは一緒に過ごす時間も長かったので、お互いに感じたこと思ったことを話しあったし、気づいたことがあったら僕が下の子たちに話したりもした。スケジュールとかでも気になったことがあれば、僕が選手を代表して聞きにいったり。そういう橋渡し役は僕がやりました。少なからず役に立てているのかなと思います」
5人がそれぞれの役割を持ち、チームのために使命を果たす。一人ひとりが個性を発揮することで、団体金メダルにつながった。
10代最後、チャレンジする気持ちで勝ち取った銅メダル
5人のうちただひとり、今大会が初の五輪となった19歳(当時)の白井健三選手は、次のように振り返る。
「本当にうれしい思いも悔しい思いもたくさんありました。なかなか10代で経験できる大会でないので、本当に貴重な体験をさせてもらったなと思います」
団体最後の種目・ゆかで自身の名のついた大技「シライ・グエン(後方伸身宙返り4回ひねり)」を決め、全体で唯一の16点台をマーク。その瞬間、中継を見守る多くの人が日本の優勝を確信したことだろう。
白井選手は個人種目別のゆかでは4位に終わったが、跳馬では銅メダルを獲得。演技前には山室選手から「最後だからやれることをしっかりやってきなさい」と背中を押され、助走に踏み切った。失敗を怖れずチャレンジする強い気持ちが、新技「シライ2(伸身ユルチェンコ3回半ひねり)」を成功させ、彼を個人銅メダルに導いた。
「ゆかで悔しい思いをしましたが、跳馬では『これで失敗したらそういうオリンピックだったということ』と完全に開き直っていました。ゆかで4位という結果がなければそこまで強い気持ちにもなれなかったと思います。人間は、何か1つうまくいかないと、気持ちの変化があって別の何かが1つうまくいくようになっているのかな、と思いました」
国を超えてリスペクトしあう、トップアスリート同士の絆
内村選手は個人総合でも金メダルを獲得。ウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手との争いは、「あのすごい戦いは二度とできない。体操の歴史の中でずっと語り継がれればいい」と内村選手自身も認める激闘となった。
そのベルニャエフ選手も表彰式後の会見で、「航平さんという伝説の人間と一緒に競い合えていることが嬉しい」と発言。世界の体操界をリードする二人が見せた、互いを認め合い、分かち合う心の美しさは、日本中に静かな感動をもたらし、各メディアやインターネットのSNSなどを通じて拡散された。
そのことを受けて、内村選手は帰国後、次のように語った。
「日本の人に日本の選手を知ってもらえるということは、ある意味普通のこと。今回は日本のみなさんが海外の選手のことも知って、賞讃してくださいました。日本だけじゃなく世界の体操を見ていただけたと思うので、体操という競技を広める意味ですごく大きな五輪だったと思います」
また内村選手はリオの観客についても、「どの国の選手に対しても温かい拍手を送り、失敗したあとも拍手で励ましてくれた。選手たちもすごくやりやすかったのではないかと思います」と讃えている。
国を超えたアスリートたちの絆や、観客の温かな声援。勝負を超えたところにあるスポーツの魅力を、今回のリオ五輪では感じ取ることができた。
スポーツくじ(toto・BIG)が未来のオリンピアンを支える
次の五輪の舞台は東京だ。
2020年、私たち日本人は、世界中から東京に集うすべてのアスリートにエールを送り、世界のスポーツ文化を応援し、支える立場を担う。
スポーツはメダルの色や数などを争う「だけ」のものでなく、互いの卓越性や努力を認め合い、分かち合うためのものでもある。リオ五輪で男子体操チームがあらためて気づかせてくれたそのことを、私たち一人ひとりが心の中で大きく育てていけたら、東京五輪はスポーツ界に大きな価値をもたらすことができるだろう。
スポーツくじ(toto・BIG)は、その売上金を通じてトップアスリートへの助成、全国のスポーツ施設の整備への助成、スポーツ団体や自治体によるスポーツ教室や大会運営などへの助成を行い、多様な面から日本のスポーツ振興を目指している。男子体操で世界一に輝いた5人に、スポーツくじ(toto・BIG)が日本のスポーツ界に果たす役割について、どのように感じているかを聞いた。
「スポーツ界全体を盛り上げる力が、スポーツくじにあると思います。スポーツくじ(toto・BIG)を購入される方にはサッカーファンが多いと思いますが、サッカーと同様にそれぞれの個性が交ざり合って一つのチームになるという、体操の楽しみ方をみつけていただけたらありがたいと思います。リオ五輪での僕たちの金メダルは他競技の選手にも刺激になったと思いますし、くじを購入される方たちにも熱い気持ちになっていただけたのではと思っています」(山室選手)
「プロ選手ではない僕たちにとって、助成によって支えてくださることはすごくありがたいことです。くじを買ってくださる方々には、くじの売上がスポーツ界の発展につながっていることを実感していただけたらと思いますし、くじを通して、体操もそのほかのいろんなスポーツも育っていったらいいと思います」(内村選手)
「スポーツくじを購入される方々の動機は一人一人違うと思いますが、助成の使い道は体操など多岐に渡ります。そのような仕組みによって"チーム・ジャパン"が強くなっていくのだと思います。みなさんの声援に加えて、資金面などでも心強い支えになっていただいています。ありがとうございます」(加藤選手)
「世界のいろんな国で開かれる大会に出場してみると、日本の体育館などの会場はすごくきれいに整備されていると感じます。また、多くの人がスポーツを楽しむためにも、施設が整備されていることはとても大事です。スポーツくじの助成によって、よりスポーツが振興していく。それはとてもいい形だと思います」(田中選手)
「たくさんのスポーツを好きになる入り口になる。それが五輪のいいところだと思います。今回リオで結果を残したことで、体操への興味がいろいろな方へと広がっていくと期待しています。リオ五輪をきっかけに、2020年の東京五輪も、さらにその先も、みなさんにずっとスポーツファンでいていただけるよう、助成していただいている僕たちは、これからもいい結果を出して恩返ししていきたいと思います」(白井選手)
2020年、東京での連覇を目指して
男子体操の歴史をひもといてみると、日本は1960〜70年代にかけて五輪5連覇、世界選手権5連覇という偉業を達成した。今回、2015年の世界選手権に続いてリオ五輪でも団体優勝を成し遂げた選手たちは「新しい歴史を作ることができた」(内村選手)と胸を張る。
自国開催となる2020年東京五輪に向けて、五輪2連覇への期待は早くも高まっている。
内村選手も、4年後を見据えて次のように語っている。
「リオ五輪は確実に2020年の東京五輪につながる大会だったと思います。4年後に団体決勝を戦う選手たちには、今回の決勝がプレッシャーになると思うけれど、それを跳ねのけられるメンバーが日本にはたくさんいます。東京でも必ず日本がまた団体の金メダルを獲れると信じています」
■プロフィール
(画面左から)
山室 光史(やまむろ こうじ)
1989年1月17日、茨城県古河市出身。オリンピックはロンドンに続いて2度目の出場。リオ五輪の団体総合決勝では、あん馬とつり輪で演技をした。
加藤 凌平(かとう りょうへい)
1993年9月9日、静岡県生まれ、埼玉県草加市出身。オリンピックはロンドンに続いて2度目の出場。リオ五輪の団体総合決勝では、つり輪以外の5種目で演技。
内村 航平(うちむら こうへい)
1989年1月3日、福岡県生まれ、長崎県諫早市出身。オリンピックは北京から3回連続出場し、リオ五輪の団体総合決勝では6種目すべてで演技。個人総合ではロンドンに続く2連覇を果たす。世界選手権は個人総合で6連覇中。
白井 健三(しらい けんぞう)
1996年8月24日、神奈川県横浜市出身。リオの代表メンバーで唯一オリンピック初出場。団体総合決勝では跳馬とゆかで演技。種目別跳馬では新技を決め、銅メダルを獲得。
田中 佑典(たなか ゆうすけ)
1989年11月29日、和歌山県和歌山市出身。オリンピックはロンドンに続いて2度目の出場。リオ五輪の団体総合決勝では、つり輪、平行棒、鉄棒で演技をした。
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